第31話 乗り込んできた俺様王子ゼノヴィス
晴れ渡る午後のグラウエン公爵邸。
庭園ではルッカが嬉しそうに花冠を作っており、ヴェンツェルは午前中の膨大な政務を終え、珍しく自室で一服していた。アルテミアが手作りのタルトと紅茶を準備し、まさに穏やかな家族の時間が流れようとしていた───その時である。
「───たのもう!!」
屋敷の静寂を力いっぱい打ち破る、幼くも妙に尊大な叫び声が響き渡った。
「……あら?」
アルテミアが紅茶を注ぐ手を止める。 バタバタバタッ! と廊下を慌ただしく駆ける重い靴音。直後、玄関の重厚な扉が勢いよく叩き開かれた。
「グラウエン公爵はいるか!!」
現れたのは、まだ六歳ほどの少年だった。 眩いばかりの華やかな金髪に、少し吊り上がった勝ち気な碧眼。身につけているのは、年齢に到底似合わぬ豪奢な王族の正装だ。背後には、いかにも胃を痛めていそうな護衛騎士たちがズラリと控えている。
少年は小さな胸をグッと張り、腰に両手を当てると、堂々と言い放った。
「俺はゼーヴェン王国第二王子、ゼノヴィス・ド・ゼーヴェンである!」
「…………」
静まり返るエントランス。 その瞬間───アルテミアの脳内で、前世の記憶が凄まじい音を立てて爆発した。
(き、来たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)
表向きは丁寧な淑女の笑みを貼り付けつつ、彼女の心の中は大惨事だった。
(俺様ツンデレ攻略対象王子ゼノヴィス殿下だぁぁぁぁっ! 属性のバーゲンセールかよ!!)
アルテミアは思い出す。 前世で没頭していた乙女ゲーム『恋するアルケミスト(通称:恋アル)』。 ゼノヴィスは、「未来の攻略対象王子」だ。高飛車で尊大、けれどその裏には「王宮での孤立」と「誰にも認められない寂しさ」を隠しているという、全プレイヤーを悶絶させた奇跡のツンデレキャラである!
(生ゼノヴィス殿下……! 破壊力がすごすぎるわ! 頬のぷにぷに感とツリ目のギャップが尊すぎて拝みたい……っ!)
オタクの血が激しく騒ぐのを必死で押し殺し、アルテミアは淑女らしくスカートの裾を優雅につまんだ。
「ようこそグラウエン公爵邸へ、ゼノヴィス殿下。私は公爵夫人のアルテミアと申します」
「お前が……!」
ゼノヴィスの碧眼がキリッと鋭く細められる。
「ヴェンツェルを腑抜けにした悪党女だな!」
「…………」
アルテミアの完璧な笑みが、一瞬だけぴきっと固まった。
(あ、手紙で思いっきり『悪党女』って言われたの……ゼノヴィス殿下の可愛さですっかり忘れていたわ……)
「兄上から聞いたぞ!」
ゼノヴィスはずいっと一歩前へ踏み出す。
「昔のヴェンツェルは、もっと凄かった! 強くて、怖くて、帝国軍を一人で薙ぎ払う死神で! 俺がいつかああいう男になるんだって憧れていたのに……!」
小さな拳をぎゅっと握りしめるゼノヴィス。
「それなのに! お前が来てからヴェンツェルは変わった! 娘と遊び、花を飾り、お菓子まで食べているというではないか! そんな腑抜けにしたお前を、俺様が成敗しに来たのだ!」
ビシッと指を突きつけられるアルテミア。 だが、前世で彼ルートをコンプリートしたアルテミアには、丸見えだった。
ゼノヴィスの突き出した指先が、ほんの少し震えていること。 本当は怒っているのではなく、大好きで憧れだったヴェンツェルが「自分の知らない大人」になってしまったことが寂しく、取り残されるのが怖いのだと。
(……あかん、泣ける。ルッカちゃんと同じで、寂しいって言えずに威嚇しちゃうタイプだわこの子……!)
母性とオタク心が同時に限界突破したアルテミアは、どこまでも優しく微笑んだ。
「なるほど。ゼノヴィス殿下は、旦那様のことが大好きなのですね」
「なっ───!?」
ゼノヴィスの顔が一瞬でりんごのように真っ赤になる。
「ち、違う! 俺はただ……っ、あんな強い大人になりたいだけで……っ!」
「ふふ、とっても素敵な目標ですわ」
「〜〜〜っ! ごまかすな! 俺はお前を追い出し、ルッカという娘を俺の舎弟にするために来たのだ!」
「……舎弟?」
その時、庭から花冠を頭に乗せたルッカがトコトコと駆けてきた。
「お母様ー? お客様……?」
「お前がルッカか!」
ゼノヴィスがルッカを見下ろす。
「今日から俺の舎弟になれ! 俺が守ってやる!」
ルッカは大きな目をパチパチさせ、1秒の躊躇もなく即答した。
「……やだ」
「なっ!?」
「ルッカはお母様の娘だもん。舎弟ってなに? おいしいの?」
「おいしくない! 俺の部下になるということだ!」
「絶対やだー! ルッカはお母様と一緒がいいもん!」
ぎゅっとアルテミアのドレスに抱きつくルッカ。 ゼノヴィスは「お前は悪党に騙されている!」「騙されてないもん!」と5歳児対6歳児の泥沼の言い争いを始めてしまった。
そこへ───。
「───何をしている」
冷徹で低い声が響き、場の空気が一瞬で凍りついた。 黒い軍服を身にまとったヴェンツェルが、静かに歩み出てきたのだ。
「お父様!」
ルッカが嬉しそうに駆け寄ると、ヴェンツェルは自然な動作で娘を抱き上げ、冷ややかな視線を王子へ向けた。
「……第二王子殿下。私の屋敷で何をしている」
「ヴェンツェル!」
憧れの男の登場に目を輝かせつつも、ゼノヴィスは胸を張った。
「お前を救いに来た! その悪党女の洗脳を解いてやる!」
ヴェンツェルの紫紺の瞳がすっと細まり、周囲の温度が5度下がった。
「……その言葉を、撤回しろ。私の妻を悪党と呼ぶことは、相手が王子であっても容赦せんぞ」
「ひっ……!?」
本気の圧をかけられ、怯むゼノヴィス。だが意地で踏みとどまる。
「や、やっぱり洗脳されている……!」
頭を抱えるヴェンツェルと、その横でクスクスと笑いを噛み殺すアルテミア。
「ふふ……すみません旦那様。でも殿下、遠くからお越しくださって喉が渇いたでしょう? まずはお茶と、焼きたての苺タルトでもいかがですか?」
「っ……! 毒か! 俺を毒殺する気か!?」
「そんな物騒なもの入れませんよ。では、私が先に食べますね」
アルテミアが目の前でタルトをひとくちパクリ。
「ん〜! 今日も美味しく焼けましたわ。ほら、大丈夫です」
「…………っ」
ゼノヴィスの鼻が、ひくひくと動いた。 香ばしいバターと甘酸っぱい苺の香りが、彼の理性を猛烈に揺さぶる。
(ゼノヴィス殿下は王宮の厳しいマナー教育の反動で、実は重度の甘党!)
アルテミアは勝利を確信しながら、優しく微笑みかけた。
「監視なさるなら、どうぞごゆっくり。私に悪事がないか、美味しいお菓子を食べながらじっくり見張ってくださいませ」
「……っ! 悪党女の化けの皮を剥がすまで、絶対帰らないからな!」
ぷいっと顔を背けながらも、ゼノヴィスはちゃっかりソファの特等席に深々と腰掛けた。 護衛騎士たちが(殿下……完全に胃袋を掴まれに行っている……)と遠い目をする。
ヴェンツェルが呆れたように溜息をついた。
「……アルテミア。甘やかすな」
「まあ、旦那様。そうおっしゃいながら……」
アルテミアが指差した先には、ヴェンツェルがいつの間にかベルトランに指示して用意させていた『子供用の小さめなティーカップ』があった。
「ちゃんと殿下の分まで、一番飲みやすい温かさのお茶をご用意させているじゃないですか」
「…………ッ! 客人への最低限のマナーだ」
気まずそうに顔を背けるヴェンツェルに、ルッカが「お父様、やさしい〜!」と抱きつき、ヴェンツェルの耳が真っ赤に染まる。
それを見たゼノヴィスは、タルトを口に運びながら(う、うまい……っ!)と目を見開き、そして切なそうに胸を痛めた。
(……本当に、ヴェンツェルは変わってしまったんだな)
冷徹で、誰にも心を開かなかった男が、温かい家族の中で柔らかく笑っている。 それが少し悔しくて、けれどどこか羨ましくて。
「……絶対に、ボロを出させてやるからな……!」
口のまわりにカスタードクリームをつけたまま強がる6歳児の刺客。
こうして、未来の攻略対象王子ゼノヴィスによる「公爵家張り込み成敗作戦」という名の、賑やかすぎる居座り生活が幕を開けたのだった。




