第24話 冷血公爵、家族のもとへ
王都郊外、深い山中に佇む古い魔導施設。
事件は、終わった……はずだった。
「施設内の完全制圧、完了いたしました! 首謀者および協力者、全員拘束!」
側近の騎士からの報告を受け、ヴェンツェルは静かに息を吐いた。
長かった。ここ数日間、ほぼ不眠不休で王都の異常事態を追い詰め、ようやく敵の牙城を崩したのだ。
「怪我人は?」
「軽傷者が数名。命に別状はありません!」
「そうか……無事なら何よりだ」
ヴェンツェルは胸元にそっと手を置いた。
服の内ポケットには、いつも大切に持ち歩いている『婚姻契約改定案』と、ルッカが描いてくれた『三人で手を繋ぐ家族の絵』がある。
(……アルテミア。ルッカ)
思い出せば、冷たかったはずの己の胸の奥がじんわりと温かくなる。
かつては執務室と戦場しか居場所がなかった自分に、帰りを待ってくれる「家族」ができた。
『お父様、またあそぼう!』
『旦那様、帰ってきたら美味しいお菓子を作りましょうね!』
……二人の弾けるような笑顔が、頭から離れない。
(……早く、帰りたい)
任務を終えた公爵としての冷徹な顔が、ふっと柔らかく綻ぶ。
今度こそ、無事に屋敷へ帰ったら。あの改定案を渡して、アルテミアに自分の言葉で伝えよう。
「お飾り妻などではない。私の大切な妻として、永遠に隣にいてほしい」と。
「……ふっ」
「旦那様……? どこか嬉しそうでございますが……」
「……何でもない。帰還の準備を───」
その時だった。
───ガシャァァァンッ!!
背後の廃棄区画から、不吉でけたたましい爆発音が響き渡った。
「な、なんだ!? 魔導炉は停止させたはずだぞ!?」
「く、くくく……甘いぞ、グラウエン公爵……っ!」
瓦礫の陰から這い出てきたのは、血まみれの残党であった。その手には、魔導炉へ過剰魔力を直接流し込む非常用起動装置。
「私ひとりの命など……どうでもいい! お前たちも……道連れだーっ!!」
「やめろッ!」
カチリ、とスイッチが押された瞬間。
───ズズズズズ……ッ!
「しまっ……! 総員、退避ーっ!!」
ヴェンツェルの叫びが響くのと同時に、施設全体が激しく揺れ、崩落が始まった。
頭上から落ちてくる巨大な魔導装置の破片。ヴェンツェルは咄嗟に側近を押し飛ばし、自ら横へ飛び退いた。
轟音とともに土煙が舞い上がる。
「旦那様ーっ!」
「……くっ……!」
立ち上がろうとしたヴェンツェルは、右脇腹に走った激痛に顔を歪めた。
裂けた軍服から、朱い血がドクドクと溢れ出している。瓦礫の破片が深く掠めたのだ。
「お頭……怪我を……!?」
「浅い、問題ない! それより全員、外へ逃げろ!」
傷口を力強く押さえながら指示を飛ばす。動ける、戦闘にも支障はない。この程度の傷など、戦場をくぐり抜けてきた男にとってはかすり傷に過ぎない。
だが───不気味な高音とともに、魔導炉が怪しく紫色に発光し始めた。
「暴走……!? このままでは山ごと吹っ飛びます! 閣下、お逃げください!」
「逃げるだと……? 冗談ではない。ここで爆発させれば、麓の町まで壊滅する!」
ヴェンツェルは血を流しながらも、猛然と暴走する魔導炉へ向かって歩き出した。
一歩、また一歩。流れる血が地面を赤く染めていく。
「閣下! 一人では無理です!」
「……私が、止める」
紫紺の瞳に、宿るは凄絶なまでの意思。
公爵家に代々受け継がれてきた膨大な魔力を解き放ち、両手を暴走する魔導炉へ直接突き立てた。
バチバチッ!! と強烈な魔力反動がヴェンツェルの全身を打ち叩く。
身体の骨が軋み、傷口からさらに血が吹き出す。視界が真っ赤に染まり、激痛に意識が飛びそうになる。
それでも───ヴェンツェルは、絶対に手を離さなかった。
(……帰る)
脳裏に過るのは、愛おしい我が家の光景。
(……私は、戻るんだ……!! ルッカ……!!)
泣き虫で、甘えん坊で、自分を「お父様」と呼んでくれる小さな娘!
(アルテミア……!!)
自分を見ると目を逸らし避けられているかもしれない、けれど太陽のように温かく微笑んでくれる、愛する妻。
(私は……あの二人を残して、死ぬわけにはいかん!! 家族の元へ、戻るんだぁぁぁぁッ!!)
魂の底からの叫びとともに、限界を超えた絶対零度の魔力が魔導炉を包み込んだ。
───バァァァァァンッ!!
強烈な光のフラッシュが弾け飛び、暴走していた魔導炉が一瞬でカチコチに凍りつき、静寂が訪れた。
「……はぁ……はぁ……」
膝をつき、荒い息を吐くヴェンツェル。完全な鎮圧。
「旦那様……! すごい……お一人で暴走を止められるなんて……!」
駆け寄る騎士たちに、ヴェンツェルは血のついた手を見つめながら、途切れ途切れの声で命じた。
「……帰るぞ。一刻も早く……我が家へ……」
「ハッ!」
一丸となって撤収に取りかかる部隊。
だが、ヴェンツェルはその瞬間───胸の奥で『パキン』と、何かが砕け散るような妙な感覚を覚えたのだった。
同じ頃───グラウエン公爵邸、陽の光が降り注ぐ美しい庭園。
「お母様! お花さん、今日も元気だよ!」
「ふふっ、本当ね。ルッカちゃんがお水をあげてくれたからだわ」
アルテミアは庭でルッカと和やかに過ごしていた。
ヴェンツェルが王都へ発ってから数日。寂しさはあるものの、「あの強い旦那様なら絶対に大丈夫」と信じ切っていた。
「お父様、今日帰ってくるかなぁ?」
「そうね、きっともうすぐ……あら?」
ふと、胸元に妙な違和感を覚えて首元へ手を伸ばす。
そこにあったのは、結婚初日にヴェンツェルから贈られた、一筋の繊細なシルバーネックレス。
過剰な装飾のない、上品で美しいそのネックレスを、アルテミアは「夫からの唯一の贈り物」として毎日大切に身につけていた。
(留め具が緩んだかしら……?)
指先で鎖を確かめようとした、まさにその瞬間。
───ぱきん。
音もなく。まるで目に見えない刃で断ち切られたかのように、細い銀の鎖が、弾けて切れた。
「……え?」
指の間をすり抜け、ぽとりと地面の土の上に落ちるネックレス。
「……お母様……?」
「あ……ごめんなさい、ちょっと鎖が切れちゃったみたい」
アルテミアは慌ててそれを拾い上げた。
ただの劣化。ただの不注意。そう自分に言い聞かせようとした。しかし───。
ドクンッ!!
心臓が、痛いほどの鳴動を打った。急激に血の気が引き、指先が氷のように冷たくなっていく。
理由なんてない。根拠もない。
けれど、説明のつかない不吉な予感と強烈な胸騒ぎが、アルテミアの全身を駆け巡った。
(……旦那様……?)
無意識に、その名を呟いていた。
胸をギュッと締めつけられるような、恐ろしいほどの不安。
(嫌……何なの、この胸騒ぎ……!? 旦那様になにか……)
「お母様、顔色があおいよ……?」
心配そうに覗き込んでくるルッカの顔を見て、アルテミアは必死で青ざめた顔に笑みを貼り付けた。
「だい……丈夫よ、ルッカちゃん。お父様は……ちゃんと帰ってくるわ。約束したんだものね!」
「うん! ゆびきりしたもん!」
「ええ……ええ、そうよ……!」
切れたネックレスを固く拳の中に握り締め、アルテミアは王都の方角の空を見つめた。
(お願い……無事でいて。早く……早く帰ってきてください、旦那様……!!)
王都からの帰還ルート。
馬を飛ばす部隊の先頭で、ヴェンツェルは激しく手綱を握り直していた。
右脇腹の傷口から血が滲み、荒い息が漏れる。
「浅い傷」と強がってはいたものの、暴走魔導炉の反動をまともに喰らった体は限界を迎えていた。視界が時折、歪む。
(……急げ。一刻も早く、あの場所へ……!)
胸のざわめきが止まらない。
自分を待つ妻と娘の元へ。
だが、彼はまだ知らなかった。
アルテミアの手の中で切れた、あの結納のネックレスが───これから二人の運命を、思いもよらぬ波乱へと引きずり込んでいくことを。




