第2話 お飾り妻宣言にガッツポーズ(心の中)
結婚式が終わった。とにかく長かった。何が長かったって、神父様のお祝いのお言葉である。
(……目が潰れる。直視できない……! 密室で顔面国宝はダメ。毒。致死量。前世の喪女に対する暴力。)
アルテミア・フォン・グラウエン───前世の朝比奈紬は、豪華な馬車の座席で必死に窓の外をみつめていた。
式の最中はどうにか乗り切った。だが、問題は式が終わった今だ。
狭い馬車の中で、二人きり。
「…………」
「…………」
向かい側に座る夫、ヴェンツェル。灰銀の髪は夕暮れの光を受けて淡く輝き、紫紺の瞳はまるで冷たい宝石のようだ。
軍人らしく鍛え上げられた長身に、スキのない完璧な立ち姿。ただ座っているだけで画面が持ってしまう。
(無理無理無理!!)
見るな。見るんじゃない。直視したら死ぬ。比喩ではない。前世で恋愛経験皆無だった20代喪女に、密室での「顔面国宝」は毒が強すぎる。
一方、ヴェンツェルは不思議そうに目の前の花嫁を観察していた。
先ほどから一度もこちらを見ようとしない。緊張しているのかと思いきや、なぜか口元が満足げに緩んでいる。
(……不可解な女だ)
ヴェンツェルは今日、彼女に一つの『通達』をするつもりだった。
この結婚は政略結婚だ。自分に妻を愛するつもりはないし、相手にも自分を愛することを求めない。互いに一切干渉しない───それが最も合理的な協定のはずだった。
やがて馬車は、グラウエン公爵邸に到着した。威厳ある黒い石造りの大邸宅。外壁には蒸気機関の配管が走り、魔導灯が幻想的な光を投げかけている。
馬車が止まり、執事が出迎えた。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」
(……奥様!)
甘美すぎる響きに、アルテミアの背筋がピンと伸びる。
働かなくてもいい。衣食住は完全保障。前世の自分が聞いたら、感涙して拝み倒すレベルの好条件だ。
(神様、神転生をありがとうございます!!)
心の中で固い握手を交わした。
そしてその夜。
案内された寝室で、アルテミアの幸福なニート生活を決定づける『儀式』が執り行われることになる。
ふかふかの天蓋付きベッドと、ホテルのスイートのような豪奢な室内。うっとりと感動に浸っていると、背後から低い声が響いた。
「アルテミア」
「はい」
振り返る───あ、しまった。目が合った。
(顔が良い……ッ!!)
反射的に視線を逸らすアルテミアに、ヴェンツェルは眉をひそめつつ暖炉の前に立った。
「この結婚について、君に伝えておきたいことがある」
「はい」
「私は仕事を最優先する。今後も長期間、屋敷を空けることがあるだろう」
「承知しております」
「そして───この結婚は政略的なものだ。君に妻としての役割以上を求めない」
冷徹な声で、ヴェンツェルは淡々と条件を並べていく。
「夫婦としての営みも不要だ。私への感情も求めない。君にはこの屋敷で、不自由なく暮らしてもらう。社交の場で必要な役割だけ果たしてくれればいい」
「…………」
「それ以外は、互いに干渉しない。感情は判断を誤らせる。夫婦関係に必要ない。」
完璧な契約条件。傷つくか、悲嘆に暮れるか。ヴェンツェルが妻の反応を待っていると───。
ぷるぷると肩を震わせていたアルテミアが、ぱっと顔を上げた。
「……ありがとうございます!!」
「…………は?」
ヴェンツェルが固まる。
目の前の花嫁は、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべていた。
「本当に、心から感謝いたします! ぜひともその条件でお願いいたします!」
「…………」
ヴェンツェル、完全フリーズ。
アルテミアの脳内では、すでに大歓喜のファンファーレが鳴り響いていた。
(きたーーーーッ!! 最高条件!! 労働ゼロ! 夫婦関係ゼロ! イケメンと恋愛する必要もナシ! これで推しのルッカちゃんを甘やかすことだけに全集中できる!! これ、ゲームとかで言うならば“お飾り妻ルート”じゃん! 最高難易度の回避ルート!! こんな裏設定は知らなかったけど、本当にありがとうございます……神様!!!)
本来ならガッツポーズをキメたいところだが、そこは公爵夫人の矜持でなんとか踏みとどまる。
「お互い自由に過ごせるなんて最高……ゲホン、とても素敵ですね! どうぞお気遣いなく、私も公爵様のご迷惑にならないよう空気と同化いたしますので!」
「…………そうか」
一拍遅れて、ヴェンツェルが引きつった声を絞り出す。
「では、これで話は終わりだ」
「はい! おやすみなさいませ!」
ヴェンツェルは何も言えず、狐につままれたような顔で部屋を出て行った。
扉が重く閉まった、その瞬間。
「ッしゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
アルテミアは天高く両拳を突き上げた。
「完全勝利!!」
そのままダイブしたベッドは、フカフカで最高の寝心地だ。
「お飾り妻、万歳! 自由! 安定! 衣食住保証!」
ゴロゴロとベッドの上を転がりながら、天井を見上げる。その瞳には、並々ならぬ決意が宿っていた。
「……待っててね、ルッカちゃん。……絶対に守る。あなたの人生は、もう誰にも壊させない。」
一方その頃。誰もいない廊下で、ヴェンツェルは足を止めていた。
「…………」
閉ざされた扉を見つめる。
心底嬉しそうだった彼女の笑顔が、なぜか頭から離れない。愛情を求めないと告げられて、あそこまで歓喜する女がどこにいる。
(……妙な女だ……なぜ、私の言葉であれほど嬉しそうにする? 普通、嫌がるだろう……?)
ほんの微かな違和感と、芽生えたばかりの「面白くなさ」を胸に、冷血公爵は首を傾げるのだった。




