第1話 誓いのキス直前に前世を思い出しました
荘厳な鐘の音が、大聖堂いっぱいに響き渡る。
(……すご。映画みたい)
ステンドグラスから差し込む七色の光が、真紅のバージンロードを照らす。
(いや、これ本当に私の結婚式?)
王侯貴族たちが見守る中、純白のドレスに身を包んだアルテミア・フォン・マルキオは、一歩ずつ祭壇へ向かう。
(……きれい)
そう思った、次の瞬間だった。祭壇の前で待つ青年と、バチッと視線が交差する。
灰銀色の髪に、切れ長の紫紺の瞳。軍服姿ですら絵画のように美しく、完璧すぎる顔立ちはまるで冷徹な彫刻のようだ。
(え)
心臓が跳ね上がる。
(ちょっと待って。誰この人。顔面国宝すぎない……!?)
直後───頭の奥で、何かが派手に弾けた。
『うわぁぁぁイベントCG!!』
『ルッカちゃん尊い!』
『また監禁エンド!? 恋アル怖すぎるって!!』
『ルート分岐のたびに胃が痛むゲームなんだよ!!』
脳内に怒濤の如く流れ込んでくる記憶。残業帰りのコンビニ弁当。休日は一日中ゲーム三昧。
恋愛経験ゼロのまま、推しキャラを愛でることに命を捧げていた二十代喪女───朝比奈 紬。
(……あ、私死んだんだ)
そして、即座に理解した。
(ここ、『恋するアルケミスト』の世界じゃーーーん!!)
脳内のオタクが大絶叫を上げる。
通称『恋アル』。乙女ゲームの皮をかぶった、怒涛のヤンデレ製造機である。
攻略対象も、ヒロインも、悪役令嬢も、選択肢を一歩間違えれば即・闇落ち&心中エンド。とにかく情緒の上がり下がりが激しい劇薬ゲームだ。
そして、紬の最推しは───。
(ルッカちゃん!!)
幼少期に愛を知らずに育ち、重すぎる愛に飢えた未来のヤンデレヒロイン。愛されたかっただけの、あまりにも可哀想な天使。
(絶対救う……! って、今それどころじゃない!!)
祭壇の神父が、優しく微笑む。
「それでは、誓いの口づけを」
アルテミアは、おそるおそる視線を上げた。目の前にいるのは、ゲーム内でも圧倒的な作画コストを誇っていた男。ヴェンツェル・フォン・グラウエン。
冷血公爵にして軍神。そして───ルッカの実父である。
(本物だ……! 顔が近い! 近い! 近い! 物理的に近い!! これ以上近づいたら私の魂が抜ける!!)
必死に表情筋を総動員して、無難な笑顔を作り出す。だが、脳内の語彙力はすでに崩壊していた。
(無理、尊い、顔の造形が神。呼吸するの忘れる)
ヴェンツェルは淡々とこちらを見下ろしている。その紫紺の瞳は、まるで氷の刃。花嫁を見ているというより、戦場で敵の動きを見極めるような視線。
(あ、そうだ)
前世の知識が繋がる。
この結婚は、形だけの政略結婚。仕事人間のヴェンツェルに愛などなく、お互いに干渉しないのが暗黙の了解だったはずだ。
(……え、最高では?)
アルテミアは心の中でガッツポーズを決めた。
(顔面国宝を遠くから眺め放題! 衣食住保証のニート生活確定! しかも推しのルッカちゃんを全力で甘やかせる!? 神転生かよ!!)
「アルテミア」
「……はい」
低く鼓膜を揺らす声に、思わず背筋が跳ねる。
(テキストゲーだったから知らなかったけど、イケボまで完備かよ! サービス精神どうなってんの!?)
ヴェンツェルは形式通り、至近距離で軽く唇を重ねてきた。触れたか触れないか、一瞬の口づけ。
それだけで、大聖堂は割れんばかりの歓声に包まれる。アルテミアは頬を真っ赤にしながら、必死に無心を装った。
(落ち着け私。これはイベントCG。私は顔グラが真っ黒だったモブよ、空気、ただの壁……!)
「…………?」
一瞬、ヴェンツェルが不審そうに眉を寄せた。目の前の花嫁は、顔を真っ赤に染めている……が、なぜかどこか嬉しそうだ。緊張というより、内側から喜びが溢れ出ているような奇妙な空気。
(……不思議な女性だ)
そんな微かな違和感だけが、彼の胸に残る。
一方その頃、アルテミアの頭の中はすでに次のタスクでいっぱいだった。
(早くルッカちゃんに会いたい! 5歳のちびっこ推し! 絶対かわいい! 違う違う───絶対救う。絶対幸せにする。推しとか関係なく、あの子は……私が守る)
こうして。
新婦の頭の中が継娘への爆発的な愛で埋め尽くされたまま、一人の元喪女による「未来のヤンデレ阻止計画」が幕を開けたのだった。




