第7話 第一界→他の界 アルティエロ③
……話し終えて、はちみつリンゴ紅茶を口に含む。
ほのかな甘み、ふわっと鼻の奥をくすぐるリンゴの香り。
あたたかい、優しい味。体にしみわたるような気がする。
そんな紅茶を淹れてくれたタビオ氏は……腕を組んで、むっつりとした顔になっていた。
「お前さんの話をまとめると……。まず、超巨大な山羊モドキが『第一界』と『第二界』と、それから『第二界と第三界の間にある界』の地球のうちの一つを食った」
「はい……」
「話は信じたい。信じたいが……。信じたくねえなぁ……」
タビオ氏の呟きは、オレの思いと同じ。
師匠が……なんて、信じたくない。
山羊モドキに呑まれたのが夢か幻覚で、実は師匠も魔法使いの仲間もみんな生きている……なんて。
願望。
タビオ氏は深くため息をついた。
「……とにかく確認が必要か。イズラ」
「はいっ! 師匠!」
「お前の魔法訓練には、しばらくの間ランカを寄越す。基礎訓練だけしておくように」
「え、えええええええ! ランカですかあああああ!」
「何だ不満か? あいつ、突出した才能はないが、基礎的にはすべてクリアしているからお前の教師役としてはちょうどいい」
「……ランカの教え方は上手ですけど! 分かりやすいですけど! だけど、魔法訓練の後についでにって淑女教育とか髪の手入れとか爪の手入れまで追加される……」
「おう! ちょうどいいじゃねえか。イズラ第七王女様」
「むー……」
ぷっくりと膨らませた頬が、年相応に見えてとてもかわいい。思わず和む。
「それからアルティエロ」
「はい」
「お前さんたちの世話もランカっていう……魔法使いなんだけど、前職は王城の侍女をやっていた女がいるんで、ソイツに頼んでおく」
ランカさん……ね。なんとなくスゴそうな気がするけど……、ま、会ってみないと分かんないか。
「ありがとうございます」
とりあえず、礼を言っておく。
「最優先、なるはやで、お前さんの情報を確かめて、対応しねえとヤバい気がするんだよな。ただ『第二界』と『第三界』は間にいくつもの『界』が挟まっているから……まだ猶予があるとは思うんだが」
『第一界』と『第二界』は隣接している。だから、すぐに食われた。
だけど『第二界』と『第三界』の間には……いくつの『界』があったっけ。
ええと……、確か……三百くらいだったかな……。
山羊モドキが三百の地球を食うのは……どのくらいの時間がかかるんだ?
分からないけど、確かに猶予は……ある。
「『第三界』で暮らすにあたって、分からねえことがあったらランカに聞いてくれ。それと、イズラは見習いで、一か月前にここに来たばっかりだが、しっかりしているから頼りにしていいぞ。フツーの七歳じゃなくて、王城でちゃんと教育を受けた七歳だ」
七歳……。つまりオレとは九歳差。師匠に尻を叩かれながら、魔法を覚えていた頃かな……なんて、少しばかり感傷に浸ってしまう。
「とにかく今日はゆっくり休んで。何も考えずに寝ろ……っていうのは無理だろうけど、体は休めるように。後、食堂はもう閉まってる時間だから、これ、持っていけ」
タビオ氏に渡されたのはビスケット。しかも大量。
「……こんなに食えないですけど」
「お前さんの分だけじゃなくて、一緒の部屋の奴らの分。それからコレも持っていけ」
小瓶を三つ渡されたけど。
「何ですか、これ」
「リンゴの酒だ。軽くて飲みやすい」
「……ありがとうございます」
やっぱイイヒトだな。タビオ氏。
イズラとタビオ氏に元の部屋まで送ってもらった。
「えっと。ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
ドアを閉める前に、頭を下げた。
タビオ氏は「おう!」と短く返事をして。イズラ王女は「ゆっくりお休みくださいね、アルティエロ様!」と、小さく手を振ってくれた。
『第三界』で最初に出会った二人がイズラ王女とタビオ氏でよかった。
少しだけ、胸の中があったかくなる。
……完全に安心したわけじゃないけど、きっと大丈夫。なんとかなる。
そう思った。
ベッドに横になって、目を瞑って。ヴィオ姉さんとジルベルトの規則的な寝息を聞く。
ちょっとくらいはうとうとするかと思ったけど……、眠れない。そりゃそうか。
立ち上がって、窓から外を眺める。
暗い夜空。星は見えない……と思ったけど、しばらくすると、空は次第に明るんできた。
あかつき、あけぼの。夜明け。
きれいだな。
……空を見て、きれいだと思える気持ちがあって、よかった。
大丈夫。
きっと、オレは大丈夫。
神様に祈るみたいに、両手を組んで。オレはそのまましばらく師匠や仲間の魔法使いたちの追悼みたいに……、目を瞑って祈っていた。
鳥の声。
遠くから聞こえる誰かの挨拶の声。
……大丈夫。きっと次は、守る。山羊モドキに食われる地球を、茫然としたまま見ているだけなんて……、絶対に、しない。
「……アル? ジルベルト?」
探るような声がした。
「ヴィオ姉さん、目が覚めた? 具合はどう?」
「……う、ん。寝すぎて頭が痛い……感じ」
「水とか飲んだほうが良いかな? 一応ビスケットとリンゴの酒、もらったけど」
「リンゴならお酒っていうよりも果汁みたいなモノでしょ。それ、もらえる?」
ヴィオ姉さんは渡したリンゴ酒を、ちびちびと飲む。飲むというよりは、舐めて口の中を湿らせているっていう感じ。
そうしているうちに、ジルベルトも起きてきた。
「ここは……」
「『第三界』の魔法省の客間。オレたち助かったんだ……」
「助かった……」
ジルベルトはぼんやりと、オレの言葉を繰り返した。
「『第三界』の魔法使い……、多分それなりに地位のある人が、あの山羊モドキの対処に動いてくれている。オレたちは、もう安心して……」
……いや、安心できるのか?
ここはまだ、安全だとしても。
いつか、そのうちには。
あの山羊モドキが、そのうちにこの『第三界』も……。
ヴィオ姉さんがオレと同じことを思ったらしい。
「安心なんて、できるわけないじゃない! アイツが……ここにもやってくるかもしれないのに!」
いきなり、ヒステリーみたいに叫んだ。
オレは即座に言い返す。
「ああ、だから、あの山羊モドキを倒そうよ!」
反射的に言ったけど。
倒したい気持ちに嘘はないけど。
だけど、ヴィオ姉さんは「ひっ!」と叫んで……震えだした。
「無理よぉ……っ!」
「姉さん……?
「無理っ! 無理無理無理無理無理ぃっ! ねえ、逃げよう? もっとどこか遠くまで!」
「ヴィオ姉さん……」
逃げる?
どこに?
逃げてどうなる?
『第三界』から逃げて、『第四界』に行けば安全なのか?
それとももっと遠くへ?
……分からないから、ヴィオ姉さんに賛成もできないし、反対もできない。だけど、ヴィオ姉さんの叫びで起きたのか、ジルベルトがヴィオ姉さんを抱き寄せた。
「うん、逃げよう。ヴィオランテ」
「ジルベルト……」
「どこか、ずっと遠くへ。ヴィオランテが安心できる場所まで、どこへでも連れて行くよ」
ヴィオ姉さんがジルベルトに抱くつく。ジルベルトの背に回した手がものすごく震えている。
怖いんだ。
ヴィオ姉さんも、ジルベルトも。……オレも、だ。
「だけど、もう少し待ってくれる? 状況、掴めないことにはどこにどう逃げればいいのかもわからないし。それに、ボクもポンポンと『界』を渡ることは無理だし。少し、休憩して、体調を整えたい。少なくとも逃げる先の『界』の座標くらい知らないと『界渡り』は失敗する可能性が大」
「でも、のんびりしているうちにアイツが来たら……。ううん、来ることが分かるのなら逃げようがある。でも、気が付いた時にはアイツの腹の中になんてことになったら」
「飲まれても、すぐに消化されるわけじゃないだろ? だから、きっと大丈夫」
ジルベルトが安心させるようにヴィオ姉さんに言いきかせているけど。
……飲まれて、消化まで。
あの巨大な山羊モドキの腹の中って言うことは、つまり太陽の光が届かない。夜みたいに突然すべてが暗くなって……、魔法で明かりを作ることはできるけど……。自転とか公転とか、そういうのもなくなって……。世界中が天変地異みたいになってんじゃないの?
シロウト考えだけどさ。胃液に溶かされる前に、自身とか津波とか、そういう災害とかで……。
腹の中から別の『界』に逃げられるのなら、師匠だってきっと逃げている。
もしも逃げているのなら、まず来るのはこの『第三界』だろう。
『第二界』にまず逃げたのかもしれないけど。『第二界』ももう既に山羊モドキの腹の中。
逃げて、この『第三界』に居て、そのことをまだタビオ氏が知らないだけならいい。この『第三界』のどこかに、師匠が逃げてきてくれているのなら……、頼る先はこの魔法省だ。タビオ氏とも知り合いなら、当然だけど。
食われて、そのままの可能性のほうが高いんじゃないかな。
何も知らないまま腹の中で……。
途端に湧き上がる吐き気。
嫌だ。
これ以上考えたくない。
だけど。
どうしようもないからって、オレたちだけ逃げるのは……違う気がする。
たとえ無理だと分かっていても……、あの山羊モドキをなんとかしたい。
このまま放置しておいて、次に犠牲になるのはきっと『第三界』の人たちだ。
対策に動いてくれているタビオ氏も……、オレを助けてくれたイズラ王女も。まだ出会っていない大勢の人も。
置いて逃げることなんてできない。
師匠の敵討ちをしないままなのも嫌で。
だから、オレは、逃げられない。
たとえ……ヴィオ姉さんとジルベルトと……離れ離れになったとしても。いくら怖くても吐き気がしても。
だけど、今、それを言って、ヴィオ姉さんを追い詰めるのも……嫌だった。
泣いているヴィオ姉さんはジルベルトに任せて、オレは立ち上がった。
「……朝食、もらってくる。あと『第三界』の人たちの状況聞いてくる。オレの戻りが遅くなりそうだったら、そのビスケット食べててくれ」
二人の返事を待たないまま、オレは部屋を出た。食欲なんてない。ただ、今は二人の側に居たくない。
……オレは、弱いから。きっと。あの山羊モドキを倒したいって思っても、心の奥の奥の奥の……、どこかでは、逃げたいって気持ちもある。
ヴィオ姉さんの賭場に居たら、倒したい気持ちより、逃げたい気持ちのほうが大きくなってしまう。
だから、逃げた。
……ジルベルトがいてくれてよかった。ヴィオ姉さんを任せて逃げることができるから。
ああ……、オレはずるいな。
ずるいけど……。
どうしようもない。
朝が来て、昼が来て、夜が来る……みたいに、倒したい気持ちと逃げたい気持ちがまじりあっている。
怖い。だけど、逃げたくない。
逃げたくないけど、ヴィオ姉さんの側に居れば……、逃げたい気持ちが大きくなる。
逃げたら、怖くなくなるのか。
分からなくて。
頭を横に振って、廊下の窓から外を見る。
今は朝。
世界は明るい。
廊下の窓から見る外は、明るい。
低木の並ぶ小道。その横に咲く小さな花。鳥が飛んできて、木の枝に止まって……。
平和な、朝、だな……。
ぼんやりと外を眺めていたら、軽い足音が聞こえてきた。
パタパタパタパタ。
それから、「廊下を走るのはお止めください」という知らない女の人の声。
誰がと思っていたら、その廊下の曲がり角からイズラの姿が飛び込んできた。
「アルティエロ様! おはようございます!」
ああ……、なんて眩しい笑顔何だろう。キラキラ輝く銀色の髪、金の瞳。それよりももっと輝いている明るい笑顔。
怖い気持ちも迷う気持ちも、全部、吹き飛ばしてくれるような……。
「朝ごはんのお誘いに来たの!」
キラッキラ。ああ……、まぶしいなあ……。
「あー、ちょうど食堂はどこかなって思っていたところ。それからえっと、後ろの人は……」
目を細めながら、答えて。それから、イズラ王女の後ろの女性をちらと見る。
グレーの髪とミモザのような黄色の瞳を持つ、背の高い女の人。年は……、オレとかヴィオ姉さんとかとおんなじくらいに見える。二十歳は超えてはいない感じ。
さっき「廊下を走るな」と言った人だろう。
その背の高い女の人は、オレに向かってすっと腰を折って一礼をした。
「タビオ・ロッシ・クローチェ課長補佐よりの命令により、アルティエロ・デ・バルベリーニ様がたの身の回りのお世話をさせていただきます。ランカ・デ・ファンチェッリでございます。ランカとお呼びくださいませ」
ああ、昨夜タビオ氏が言っていた……。
「お手数をおかけします。よろしくお願いいたします。アルティエロです」
世話をかけることは確かだろうから、とりあえず頭を下げてみた。
「……と言いましても、王城の侍女のようにびっちりとお傍に付き従っているわけではないので、御用があればお呼びくださいという程度ですが」
「いや、それでも助かります。ええと、ランカさんは、イズラ王女付きの侍女ではないんですか?」
「この魔法局ではイズラ・ド・アイオアディ第七王女殿下も単なる見習い魔法使いでございますので、特に専属侍女という存在はおりません。自分でできることは自分でやれ。それがタビオ・ロッシ・クローチェ課長補佐の方針でございます」
「なるほど……」
オレは頷いた。
「だからね、あたくしもここではイズラ王女じゃなくて、単なるイズラなの!」
にこにことイズラ王女……、イズラが言う。
「そんじゃあ、王女なしで、イズラって呼び捨てにしてもかまわないのか?」
「ええ! ぜひそうしてちょうだい、アルティエロ様!」
「ありがと。オレの名前、長いからアルって呼んでもらって構わないよ」
そう言ってみたら、イズラは顔を赤らめた。それで、モジモジしだして。
なんで?
「えっとあのその……。お、お父様に、確認しないと……。で、でも、アルティエロ様なら……」
「へ?」
オレの呼び名を、イズラのお父さん……つまり、国王陛下に確認するってどういうことだ?
イズラは頬を染めて、オレを上目遣いで見てくるし。えっと?
ぽかんとしていたら、ランカさんが、すっと一歩前に出た。
「僭越ながら申し上げます。我が国の王族は婚姻後は愛称で呼びあいますが、婚姻前に愛称呼びをすれば……」
「あ、不敬とか、常識知らずとか?」
しまった。場所が変われば常識も変わる。
ここは……『第三界』は、もしかしたら、名前の呼び捨ては良くても、愛称で呼ぶのは駄目な国だったのかもしれない。
「近いです。例えば、イズラ・ド・アイオアディ第七王女がアルティエロ・デ・バルベリーニさまを『アル』と呼び、アルティエロ・デ・バルベリーニ様がイズラ・ド・アイオアディ第七王女を『イズー』とでも呼べば……」
「呼べば?」
オレは首をかしげたまま、聞いた。
「『脳内お花畑バカップル』と呼ばれるますね」
「うっわ……」
バカップル……、マジか!
「ですので、今のアルティエロ・デ・バルベリーニ様の愛称で呼んでくれというお言葉は、我らの国の言葉に翻訳しますと『最愛の妻、もしくは夫になってくれ』という意味になりますね」
「うがっ!」
知らなかったとはいえ、オレの「アルと呼んでくれ」はこの世界ではプロポーズかよ!
そりゃあ王女様なイズラは……親である国王陛下の承認を必要としますね! うわああああ!
「婚姻後であれば問題はございません。寧ろ愛称でお互いを呼びあうほどに夫婦仲がよろしいと思われます」
決してそういう意味で「アル」でいいと言ったつもりはなかった!
いや、そりゃあイズラはかわいいよ! かわいいけどっ!
七歳のお子様に、十六歳の男が恋愛的感情を向けたら犯罪だろう! プロポーズなんて超問題‼
一般的に、貴族や王遺族の婚約や婚姻が早いからセーフかも……?
いや、マジで、駄目だ。
「すみませんすみませんすみません! イズラはかわいいけど、十年後だったら求婚とかしたいかもだけど。今はまだ! 年齢的状況的に無理っ! オレの『第一界』もなくなって、仕事もなく、しばらく『第三界』で居候状態なのに、求婚までは行かなくても王女様の恋人もしくは婚約者になんて、おこがましくって申し出られませんっ! オレの『界』では愛称呼びは親愛の情! 親しいお友達になってほしいなー程度の意味なんすよおおおおおお!」
思わず力説してしまった。
いやすみません、マジですみません!
仲良くしようぜ、お友達として、お世話になります、よろしくね的な感じで「アル」でいいよって言ったのに!
恋人おおおおおおおお⁉
焦りまくりオレを見て、ランカさんはくすりと笑う。
「はい。承知しました。アルティエロ・デ・バルベリーニ様。文化の違いによる相互認識の差でございますね」
「そーゆーことです! すみません!」
焦りまくって、唾を飛ばして力説してしまった。
「えと、ええと……。じゃ、こ、このまま、あたくしはアルティエロ様をアルティエロ様とお呼びすればいいわね……」
「そ、そうしてくれっ!」
イズラの口調が、ほんの少しだけ残念そうに思えたなんて……。
うっかり……、十年後なら十七歳と二十六歳なら……なんて……。
思ったことは、絶対に口に出さないでおこう……。




