第5話 第一界→他の界 アルティエロ・デ・バルベリーニ①
「あれ……?」
ふっと、影が落ちた気がして、大皿を手にしたまま、オレは空を見上げた。
もうすぐ昼時。
太陽は真上。
野外バーベキュー日和だなあ……なんて思うくらいに、空は雲一つなく、すんごくよく晴れていた。
影なんて、どこにもない。
ええと……? 大きな鳥でも飛び去って行ったのかな……?
なんかちょっと、不思議に思っていたら、ヴィオランテ姉さんがオレを呼んだ。
「ちょっとー、アル~! アルティエロ~! 早くお肉持ってきてよぉ!」
むやみやたらと広い魔法演習場には……、今日は、というか、昨日もだけど、レンガを組んで上に鉄制の網を乗せだけの、簡易なバーベキュー台がいくつもできていた。どの台も薪は燃えて、煙が上がっている。
既に肉を焼いているヤツラもいる。
魔法省のみんなでバーベキュー的昼食……、というか、食後に寝っ転がるのか、テントまで張っているヤツラがいるから、まるで野営の場所みたいだけど。
とにかく、一昨日、大型魔獣を何十体も、みんなで倒したばっかりなので……、魔獣肉が、文字通り山のようにある。
五日間くらい、連続してバーベキューとかできるんじゃないか?
「ボクらも早く焼こう。腹減ったー」
ヴィオランテ姉さんの婚約者であるジルベルトが、待ちきれないとばかりにオレの側まで走ってきた。
茶色の髪と瞳の色のためか、それとも大量の肉を前にした瞳の輝きからか、どう見てもワンコ……。子犬から成犬になる過程の、元気いっぱいに野原を走り回るワンコにしか見えない……。
外見の色彩で人を判断するのもアレかと思う。けど、外見の色は内面や魔力に影響を与えるとかいうのが、オレたちの魔法の師匠の説。
それで言うと、オレとヴィオ姉さんのオレンジ交じりの赤い髪と瞳は……ええと、確か、師匠の説では……。
赤は情熱とかエネルギー。
オレンジ色は……温かみって意味もあるけど、食欲増進……。あっはっはっは。
まあ、肉はたくさんあるし。食らうとするか!
「ジルベルト、この大皿、先にヴィオ姉さんのところに持って行って、食べてて。一皿じゃ足りないだろ? オレ、もう一皿持ってくる」
「りょーかい!」
大皿を受け取ったジルベルトは、すごい勢いでヴィオ姉さんのところに走って行く。
主人の元に戻る犬の如し。
……転ばないよな?
調理担当……というか、裁断系の魔法が得意な魔法使いたちが、魔獣肉をスパスパ切り分けて、どんどん大皿に持っていく。
「これ、どの部位?」
「右からタン、ハラミ、ロース」
「ほう……」
どれも美味そうだ。
「こっそりサーロインも取り分けてある。欲しいか?」
「もちろん!」
「……じゃあ、あとでいいからヴィオランテ特製塩ダレ、分けてくれ」
「おっけ!」
勝手に承諾して、美味い部位盛り合わせ大皿を二皿もらう。
右手に一皿、左手にもう一皿もってジルベルトとヴィオ姉さんの台へと向かう。
「ほーら、アル~。お姉様特製塩ダレ味のお肉だよー」
ヴィオ姉さんがオレの口へと肉を運んでくれる。
大皿をテーブルに置きつつ、オレは「あーん」と口を開ける。
……マジで、美味い‼
ヴィオ姉さんの特製塩ダレ。
それを作るには、まず、大量にニンニクとショウガと玉ねぎをすりおろすところから始まる。
すり終えたら、そこに塩と大量のレモン果汁と白ワインを投入。なければエールでも。
ここまでが基本で、あとは、すりおろしたリンゴとかを入れてもいいし、セロリとかの香味野菜のみじん切りを加えても良し!
今日のタレには何と! 魔蜂のハチミツまでが加わっているようだ。!
魔獣肉は魔力が乗っているから、塩とコショーで焼いただけでも家畜肉より数倍美味いんだけどさ。
今日のこの塩ダレは……いつもより更に美味い‼ 塩味と辛みと甘みのマリアージュ! 魂が吹っ飛ぶ美味さかよ!
「マジで、うっま!」
「そうでしょう、そうでしょう! 魔獣討伐に向かう前からタレを仕込んで熟成させておいたから」
「お姉様、マジ尊敬。一生ついて行きたいです。あ、サーロインもらったから、アイツらにもこの塩ダレ、分けてやって」
ヴィオ姉さんが「サーロイン♪」と小躍りした。あっはっは。超喜びの舞かよ!
つられてオレも踊っている間にも、ジルベルトが一心不乱に肉を焼いている。
オレも焼こう。
焼いて、食って、焼いて、食って、焼いて、食って……。あー、しみじみ美味い。
魔法使い仲間の何人かが「肉は塩焼き!」「ネギ巻き!」「甘ダレ作ったー!」「辛いタレ!」とか叫んでいる。
今日もいい一日だ……としみじみ思っていたら、肉の焼ける匂いに誘われたのか、師匠がよぼよぼしながらやってきた。
「師匠っ! こっち、こっち!」
手を振って呼ぶ。師匠、老眼だから。
「アルティエロ……」
よろよろと、つまずく感じで歩いてくる。
「師匠、またご自分の部屋に戻らないで資料室の片隅で寝たんですか⁉ 腰、痛めますよ! もうオババ様なんだから、体は労わって、ちゃーんとベッドで寝てください!」
「年寄り扱いするんじゃあないよ!」
「師匠、年寄りですよ! 七十もとっくに過ぎて、八十歳に近いんだから!」
軽口を叩いて、肉を勧める。
もそもそと食べる師匠は子ネズミみたいなんだけど……。これでも師匠はオレたちが暮らしている『第一界』の魔法使いの中でも一、二を争うくらいの特級レベルの大魔法使い。
『第一界』と『第二界』を散歩するみたいに行き来しちまう、ものすごい魔力を持つ『界渡り』能力者にして、魔法の研究者。ホントかどうか知らないけど、若い頃は『第七界』まで行ったことがあるって。
すげぇな。マジ尊敬。
いつかオレも、師匠みたいに。歴史に名を残すくらいの魔法使いになれたらいいなー、なんてな!
そんな師匠が、顔をしかめて言う。
「……肉は美味いが。何やら空気がおかしい気がするね」
「師匠?」
「アル。おまえさん、何か感じなかったかね?」
言われて、思わず空を見上げた。
そうしたら……。
「し、師匠……、あれ……」
空に、黒い影。
ゆらゆらと揺れて、それから、すーっと動いた。
「日食とか月食とか、そういうのとは違いますよね……?」
「……気になるね」
師匠も、空の一点を見つめる。
見ているうちに、黒い影がだんだん近づいてきたような……。
「ヴィオっ!」
師匠がヴィオ姉さんを呼んだ。
「はいっ! 師匠!」
「おまえさん、ちょっと飛んで、アレを見てきておくれ」
「アレ?」
師匠が指さした先を、ヴィオ姉さんも見上げた。黒い影は少しずつ大きくなってきている……気が、する。
「な、何、あれ……」
「わからん。だから、見てこい」
ヴィオ姉さんの能力は、結界に飛行。
シャボン玉みたいな結界を張って、そのシャボン玉の中に入って、空を飛べる。
空っていうか……月くらいまでは余裕で行ける。
「アルも行っておいで」
「分かりました、師匠」
オレの力は主に増幅。
自分だけでは通信魔法程度の大した魔法は使えない。けど、他の人の魔力をかなーり増強することはできる。
ヴィオ姉さんの魔力を増幅すれば、月どころか土星くらいまでだって、行って帰ってこられるかも。……やったことないけどさ。
「はいはいはいはい師匠! ボクも行きます!」
ジルベルトがびしっとした直立姿勢になって、右手を上げた。
「そう……だね。ジルも行っておいで。万が一、何かあったら。別の『界』に行けるから……」
「はいっ!」
ヴィオ姉さんが真ん中。姉さんの右手側にオレ、左手側にジルベルトが並ぶ。
「じゃあ、包みまーっす!」
ヴィオ姉さんがぐるっと右手で円を描いて。
三人は入れる大きなシャボン玉に俺たちを入れる。
オレは、ヴィオ姉さんの右手に触れて、魔力を増幅。
「行ってきます、師匠」
「気をつけていくんだよ」
「はい!」
……この時のオレは、知らなかった。
これが、師匠や魔法使いの仲間たちとの永遠の別れになるってことを。
知っていたら、みんなも、せめて師匠も。
一緒に連れて行ったのに……。
***
オレ達を乗せたヴィオ姉さんのシャボン玉的結界は、勢いをつけて、どんどんどんドン空高く飛んで行く。
成層圏なんて、あっさり超えて、宇宙のほうへ。
「ちょっと、姉さん! 速度出し過ぎ!」
あっという間に月まで到達……じゃなくて、通り過ぎちまった。このままじゃ火星まで行っちまうんじゃないのか?
「ごっめーん! 魔獣肉とアルの能力増幅で、とんでもないくらい滑らかに魔力放出~」
「うわ……」
そうだった。肉、たっくさん食っていたんだ……。
「ちょっと増幅量、落とす……」
オレの魔力のほうも、調整しないと……って思った時に、ジルベルトが叫んだ。
「な、な、な、何だよ、あれっ!」
「え? 何よ、あれ……!」
ヴィオ姉さんも叫んだ。
宇宙空間……金星の近くに浮かんでいる山羊みたいなイキモノ。
頭部に大きく湾曲した形状の二本の角を持っている。
だけど、背中にコウモリみたいな羽があって、体長の十倍くらいの長い尻尾もある。
何よりもオカシイのは……、その、体の、大きさ。
金星よりもでかい。
地球よりもでっかい。
多分……木星とか土星くらいの大きさ……。
あれ……、なんなんだ?
魔物……?
とにかく尋常のイキモノなんかじゃない。
オレは、オレたちは、呆気に取られて、宇宙空間をひょいひょい飛んでいるその巨大山羊モドキ? を見ていた。
呆然としているオレたちなんかには、山羊モドキは気が付くこともなく。
そりゃあそうか、体の大きさが違う。
木星サイズと人間サイズ。
人間が、細菌とかウィルスとか目視できないように、あの山羊モドキはオレたちがここにいるなんて、見えちゃいないだろう。
そうして山羊モドキは、宇宙空間をひょいひょい飛んで、そうして何かを見つけたように高くビブラートのきいた声で「メェェ」と鳴いた。
な、何だ……?
鳴き声を上げたまま、その口を大きく開けて……、山羊モドキは……。
パクリ……と、地球を飲み込んだ。
「え……?」
ヴィオ姉さんがきょとんとした声を出した。
「な、何だよ今の……」
ジルベルトもだ。
オレは、声も上げられなかった。
だって、今、見た光景は……。
目を見開いてみても、金星と火星の間にあるはずの地球がない。
目を擦って、もう一度見ても……、地球が……ない。
何なんだよ、これ、何なんだよ!
叫びそうになったとき、山羊モドキが伸びをして。前足を何度か掻いた。
それで、ぐにゃりとした振動が……伝わって来て……。
「え、え、え⁉」
目の前が、真っ暗になった。まるで貧血を起こした時のように。
咄嗟に、オレは、ヴィオ姉さんとジルベルトに手を伸ばして、二人の身体を抱き寄せた。
離れたら、駄目だ。
本能的な感覚。
そして、水の中で、ゆらりとかき混ぜられたような感覚がして……、オレは恐る恐る目を開けた。
宇宙空間。それは、変わらない。
太陽があって、水星があって、金星があって……、地球があった。
「何だよ今の、オレたち幻覚でも見ていたのかよ!」
地球があるという安心感で、オレは思わず大声を出してしまった。
だけど、ジルベルトが首を横に振る。
「あれは……、ボクたちの地球じゃないよ」
「え⁉」
「あれは『第二界』の地球だ。ボクたち、多分だけど、あの超巨大な山羊みたいな生き物が『界渡り』をするのに巻き込まれたんだ……」
幾億以上、無数にある並行世界。
オレたちの宇宙と同じ次元に存在しながら、異なる歴史や物理法則で展開する可能性のある別の世界。
だから、地球も、無数にある。
その中で、人類が発生した『界』に、オレたちは『第一界』『第二界』と数字をつけていた。
人がいない、生物がいない、オレたちがまだ確認していない『界』には特に数字はつけていない。
オレたちの『第一界』と隣接している別の宇宙。
そこには同じように太陽があって地球がある。それが『第二界』だ。
『第二界』もオレたちと同じように魔法も科学も発達した地球で、かなり交流は盛んだった。
ジルベルトや師匠なんかは『第二界』の式典なんかにはわりとよく招待されて、年に一度は『第二界』に行っていた。
『第二界』と『第三界』の間には、百個くらいの『界』があって、それを通り越して行かないといけない。
『第三界』は、感覚的な距離がすごく遠い……感じ。
まあ、でも本当ところは『界』と『界』なので、時間的な距離はほとんどない。
だけど、たどり着くためのエネルギー……、魔力は、かなり膨大なものが必要。
時間と空間を縮めての転移が『界渡り』だからさ。
ジルベルトレベルではなかなか遠方まではたどり着けない。
師匠は……『第三界』にしかない薬草とか魔法物質が欲しいとかで、旅行気分でたまに出かけていたけど。『第七界』にまで、一度でも到達しするなんて、偉業中の偉業。できないことはないだろうけど、フツーは無理。
さすがの師匠も『第八界』までは行っていない。
なんでも『第七界』は魔法のない世界で。あ、魔力の元となる魔素がすんごい薄いんだって。
だから、『第八界』まで行って、そこが魔法どころか魔素もなくて、帰ることが出来なくなったら困るから、『第七界』で引き返したとか何とか。
で、『第四界』『第五界』『第六界』までは、お互いに、人の住んでいる別の『界』の地球がありますよって、程度には、お互いに認識している。
そんな感じで、すんごく遠くの『界』だ。
ああ……、オレ、今、すごく思考が混乱して、余計なことを考えている。いいや、敢えて思考を流している。
目の前の、現実を、認識したくない。
だって……、あの山羊モドキが、オレたちの『第一界』を……食べた。飲み込んだ。パクリって、一口で。
そうして、今、『第二界』の地球があって、山羊モドキは宇宙空間をスキップでもするみたいに飛んで、その地球に向かっている。
やめろ。
止めないと。
思っているのに動けない。
何もできない。
硬直している間に、山羊モドキは、さっきと同じように大きく口を開けて……。
そして、『第二界』の地球も……、飲み込んだ。
第八話くらいまでがアルさんのお話。
そのあとまた村上美沙さんの視点に戻ります。




