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爰に伊弉冉尊曰く、
「悔しきかな、吾すでに黄泉の国の竈の物を食せり。故に、還ること得ず」
然れども、なお黄泉神に請して、還らむことを許さしめむ。
願はくは、必ず我を見たまふことなかれ。
そこで伊弉冉尊は言った。
「残念なことに、私はすでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。だから、もう元の世界へ帰ることはできないのです。
しかし、これから黄泉の神に願い出て、帰ることを許してもらえるよう頼んでみましょう。
どうか、その間は決して私の姿を見ないでください」
『日本書紀』巻第一 神代上
*
輪廻は空間端末の称号をクリックした。
俺はそのまま寝てしまったが、輪廻は称号に驚愕していた。
詳細画面は全て黒塗りだった――。
「なんだ……これ?」
「――これに気が付いたのは?」
「昨夜だ。寝る前に見た……意味がわからないから聞いたんだ。
黒塗りになってるのは、今知った」
「この能力を持っていたのだとしたら――
あなたは、レア亡者どころじゃない。
しかし、これは……」
輪廻は、そのまま黙った。
「お前、何か隠してるのか?」
「いいえ。何も隠していません」
「明日人がアーシュになることは――
明日人の自我消失に繋がるんじゃないのか?」
「……部分的には――」
俺は湯船から立ち上がった。
「だから、深く思考し過ぎると不幸になるとお伝えしたのです。
私の任務はあなたの監視です。
真実の開示ではありません」
輪廻は湯船に浸かったまま静かに言った。朝の露天風呂に、鳥の鳴き声が響いた。
「それなら、明日人が神になるのを――俺は止める」
俺は湯船から上がって、脱衣室へ向かった。
「私の管轄は地獄。
天上界においては、管轄外になります。
無垢なる魂へは干渉すら出来ません。
ですが、地獄も天上界も共通することがあります。
それは、魂のあり方。
神となって魂が固定される時、
あなたの愛する藤浪明日人の人格は失われるかもしれませんが、代わりに多くの人々の魂が癒されるのです。
また、人々の記憶に残るアーシュは永久に生き続け、滅びることはありません」
俺は輪廻に振り返った。
「でもそれは、明日人の魂を犠牲にした別物じゃねぇか!」
「人と、異世界の魂のあり方は、捉え方が違うのです。
ここは異世界。
何故、死生観までもが同じだと、あなた方は考えているのですか?
私も地獄で様々な魂が来ては、消滅していくのを見守ってきました。
その上で私は思います。消失することも循環することも、等しく同じなのだと――魂魄の存在なくしては、消失も循環も起こりえないのです」
「だけど、神になるってことは、人としての死と同じだろう?」
「では、人であるあなたに改めて問います。
死とは一体なんなのですか――?
藤浪明日人が現世からいなくなることが、あなた方の言う死だとすれば、今、天上界で転生を待ってる状態も等しく死ではありませんか?
果たして、この魂の停滞は喜ばしいことなのですか?」
輪廻の問いに、俺は怯んだ。だが、睨み返しながら言う、
「死がなんであるかなんて、俺にはこれっぽっちも興味はねぇ。
それより、明日人はこれから神になる意味を知ってて天上界にいんのか?
あいつは、俺にもう一度会って、一緒に暮らせると信じているかもしれないんだぞ?」
「……それは、管轄外ですので、お答え出来ません」
俺は輪廻を放って、脱衣室に入ると扉を乱暴に閉めた。
脱衣室には新しい洋服を生成した鎖と、タオルとドライヤーを持った鋏が待ち構えていた。
俺は、盛大に舌打ちした。
「なんだよ? モモには誠司は便所じゃねぇって教えといたから、大丈夫だって。
機嫌直せよ? ホラ、お前の好きなアーシュのTシャツ生成してやったぜ?」
鎖が広げたアーシュの派手なTシャツを見て、俺は泣きたくなってきた。
明日人はこれから、アーシュになる為に天上界にいる。
輪廻の言う通り、亡者になった俺と魂の境界線で過ごすことは、魂の停滞なのかもしれない。
何より、穢れた地獄の亡者が明日人と会うことは許されることなのか――?
もし、俺と一緒にいることを明日人が選んだ時、安全な天上界から追放され、地獄に落とされるかもしれない――。
俺のように魂が再生しない明日人を地獄で守り続けることが出来るのか?
出来なかった場合、明日人は体を失いながら、消滅してしまう可能性がある。
「なんだよ? 喜ぶと思ったのに、テンション下がってんじゃん」
「✂大丈夫ですか? 水分補給するなら、薄めたスポーツドリンクがお薦めですよ✂」
「……それより、パンツくれ。Mサイズの少し大きめのヤツ」
俺は空気の読めないポンコツ達に言った。
「誠司のだからコレで良いだろ。ホラよ」
金髪バカは無難な黒いトランクスを生成すると、俺に渡した。感想は言わずに黙って履いた。
そして、ポンコツメガネからスポドリを受け取って飲みながら、金髪のTシャツにバッドのジェスチャーをした。
「✂だから、あれほどショッキングピンクは止めた方が良いって、言ったのに……✂」
「はぁ? 天上界に行くなら、ガッツリ目立ってインフルエンサーになれ!」
「そういう問題じゃねぇよ。
明日人がアーシュになるってことは……」
喉に物が詰まったように、その先の言葉が出せなかった。
カラリと、風呂場のドアが開いた。
「天上界に、無理に行かなくても良いんですよ? 何も藤浪明日人だけが、世界の全てではないのですから」
輪廻は淡々と体を拭くと、静かに衣服を着ていく。
「その二人も永遠の魂を持つのでしたら、あなたの眷属にすれば良いだけのことです」
そして、Yシャツの袖ボタンをとめながら、
「あなたには永遠に地獄に留まり、異世界の神となる選択もあるのですから――」
その声は、いつもと変わらぬ役人口調だった。




