no title 3
このたびは
幣も取りあへず
手向山
紅葉の錦
神のまにまに
菅原道真『古今和歌集』
*
翌朝、顔を洗いに井戸へ行くと、鎖が子バイソンに餌を与えていた。
知らない間に、どうやら鎖と子バイソンの間に友情が芽生えたっぽい。
「よーし、よしよしよし! 飼い葉しかねぇけど、たくさん食べろよ? モモ♪」
「モー♪」
モモと名付けられた子バイソンは、俺が撫でた鼻面を鎖に差し出して懐いていた。俺がちょっと触っただけで、仲間の地獄バイソンを呼び集めて地鳴らしされかけたのに……。えらい違いだ。
――名前まで付けてやがる……。
あれ? 鎖のポジションって、本来俺の役目ではないのか?
いや、でも、ヨダレ凄いし。臭いし。頭割れて触手も生えるし。
俺は懐かれなくて、いいや。
もっとかわいい生き物の方が良い……。
「負け惜しみですね」
顔を洗い終わった輪廻が、俺の思考を読んできた。
「地獄にリスとか、かわいい動物いねぇのかよ?」
「いますけど、肉食で数十匹で、人を襲いますけど、大丈夫ですか?」
「却下!!」
「見た目が可愛い物ほど、油断しないで下さいね。
地獄バイソンは、草食で温和な性格なんです。情が深いので、助けるとああして人にも懐きます。
人基準で、可愛い生物の方が危険です。
花が咲いてたら、大体食人植物なので、気をつけて下さい」
「――マジかよ。有益な情報ありがとうな。だけど、地獄バイソンが安全っていうけど、あのデカさはやばくねぇか?」
「生態系頂点である草食動物は、大型化しやすいんですよ。ひるがえって、地獄では肉食動物の主食は亡者なので、大きくなる必要はないんです」
「もしかして、昨日から地獄バイソンで移動してるのって――」
「ええ。地表の食人獣に襲われない安全策です」
――聞いてねぇんだけど?
「あれ? ああ、鎖と鋏に話した時は、あなたはメカブにまみれてましたもんね。あの、地獄バイソンの触手は食べてませんよね?」
「気持ち悪ぃな。食うわけないだろ!」
「ああ、良かった。
とんでもない精力剤なので、高値で取引されるんです。
なので、水谷誠司が食べてたら、なろう無印では、強制打ち切りになる――って、三人で慌てて駆けつけたんですよ。それで失念していました」
「そういうのこそ、ムーンライトでやれよ!?」
――んー。ムーンライトに帰ったら――そういう話を銀髪が書いてくれねぇかなぁ……もやもや。
「おっと、それ以上は、ギルティですからね!」
「それにしても、この辺、何も草生えてねぇのに、草食動物がいるんだな」
「ええ。地獄バイソンは意思を持つ、移動可能な植物でもあるんです」
「へぇ~」
「彼らは死ぬと、活動を停止し、完全に植物化します。
触手はその芽。あれが育ち、仲間に自分の生きていた時の意思や知恵を共有させる。
その為に仲間達に自分の死体を食べさせるんです。
仲間は糧であり、貴重な情報源でもある。
地獄の草食動物は半分植物の物が多いです。
水場もありませんし、不毛な地ですからね
肉食動物には、そういった魂の循環はありません。地獄バイソンのような草食動物だけが個体が仲間へ記憶伝達し、永遠に新しい命に思考を引き継がれていくのです」
「ふーん。人が食物連鎖の最下位か」
「その通り。草食動物は、数は多いものの移動してるので、亡者は常に飢え、食人動植物に襲われ、体が欠損していき、無になるんです。
だから、死んでも必ず生き返るあなたは、地獄では存在そのものが既にチートなんですよ?」
「地獄限定だろ? ありがたくねぇ能力だぜ。
俺以外の地獄の亡者が辺りにいないのは、すぐに補食されて、消えてるからか?」
「そうですよ」
「じゃあ、霧がはれたら、死体がゴロゴロあるってことかよ?」
「それはないですね。土は草食動物達に繋がっていますから、肉食動物の糧になった後の亡者の遺体は直ぐに土に変わり、草食動物の養分になります。亡者は非常に短命ですが、生態系を維持するのに重要な魂なのですよ」
「何だそりゃ?」
「無垢なる魂も、あなたのような罪を犯した穢れた魂も、等しくこの世界には意味がある。ただ、因果によって運命が変わるだけで、その存在に優劣はないということです」
「全然、興味ねぇわ。それより、天上界へはどうやったら辿りつけるんだ?」
「そうですね……」
輪廻は、空間端末で地図を示した。
「ここから西の方角にある、この山が天上界です」
「思ったより目と鼻の先じゃねぇか」
「人間には、そう見えるかもしれませんね」
「山の上に辿りつけない、何かがあるのか?」
俺は井戸の水を汲み上げながら、輪廻に聞いた。
「いえ、何もありません。ただ地獄があるだけです――。
山に辿り着くまでに体の殆どを失う者が多いだけ――それが地獄の掟です」
「ふーん。食われて消えた亡者の魂は?」
「そのまま魂の循環が止まり、消滅します」
「魂の循環が、意思の伝達や継続されることなのだとしたら、亡者が物語を書いてそれを誰かに読まれたらどうなる?
その亡者は体を失くした後も魂は循環していると言えるのではないか?」
持ってきた洗面器に井戸の水を注ぐ。
「面白い問いですね。しかし、人間の文字を認識出来る生き物は、亡者しかいません。
亡者達は日々、地獄に送り込まれてくる、思考する葦として肉食動物の糧になり、土に還るのです」
「L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature ; mais c’est un roseau pensant.
人間は一本の葦にすぎない。
自然の中でもっとも弱い存在である。しかしそれは『考える葦』である――パスカルなら、哲学の授業で読まされたぜ。夏目漱石より好きだ」
「子音の発音が美しい。フランス語はどちらで?」
「英語が嫌いで履修しただけだ。上級はサボって、単位は落とした」
「フランス文学は偉大ですよ」
「ペストは読んだ。面白かった。読み手の感情を安易に操作しないのが良い」
「異邦人もお薦めですよ」
「それぐらいは、知ってる。俺が、ラノベばかり読んでると思うなよ?」
俺は顔を洗いながら、輪廻に嫌みを言った。




