第二十話
「"影"……それは、その名の通りに主の影として生きる者。」
セレスティナは、テーブルに並べた押し花の一つを手に取る。
「主のために心を殺し、己を殺し……。
命令を遂行することを最優先とし、主のために全てを捧げ……命すらも、使う。」
「それが、何だというの?
そのために幼い頃から訓練し、一人前の影として主のために死ねるならば本望でしょう。」
静かに手に持った押し花を見詰めるセレスティナに、キャロラインは冷たい眼差しを向ける。
「そう……だからこそ、主のために生きて死ぬ、命すらも捧げる影が…………己の心を示すような物を持っている。
……心の拠り所を持っている……大切にしたい"何か"がある。」
「…………」
「それを、許すほど…………アーガスト侯爵家の影への管理は温くはない。」
「……否定は、致しませんわ。
ですが、それが何だというの?」
キャロラインの真っ赤な唇が笑みの形を作る。
「アーガスト侯爵家の影が、アーガスト侯爵家の血を引く私の名を冠する薔薇の押し花を持っていた。
……要するに、アーガスト侯爵家への忠誠を誓っている証明に違いありませんわ」
「そうですわね。
かの影の方は強い忠誠を誓っていた……アーガスト侯爵家への忠誠が、貴女への忠誠を上回ってしまうほどに。」
ふわりと微笑んだセレスティナは、言葉を重ねる。
「事件の犠牲者は殺された影、そして……行方不明者が一人。
その行方不明になった方を守ることが任務だった殺された影。」
一度、言葉を区切ったセレスティナの手から、押し花の栞が落ちる。
「その影にとって、アーガスト侯爵の命令よりも優先したい"何か"が有った……としたら?」
カサリ……と、小さな音を立ててテーブルの上に落ちた押し花の栞。
「ふ、ふふ……ふふふふふふ……!」
真っ直ぐに切り込んだセレスティナの言葉に、急にキャロラインが扇で口元を隠して笑い出す。
「ふふふ……本当に!
セレスティナ王女殿下は、想像力が豊かだこと!
とても、面白いお話だったわ……!」
クスクスと優雅に笑うキャロラインの笑い声が、ピタリと止まる。
「ですが、物語の読み過ぎでしてよ。
現実なんて、お伽噺や恋愛小説のように単純では無くてよ。
鍛え抜かれた影が私に懸想していた…………そんなことは、有り得ませんわ。
そんな心を残すほど、アーガスト侯爵家の影への教育は生温くなくてよ。」
もう良いですわね、とセレスティナへと背を向けたキャロライン。
「……現実は小説より奇妙なり。」
立ち去るキャロラインの背中へと、セレスティナは静かに告げる。
「……何が言いたいのかしら?」
立ち去る足を止めて、微かに振り返ったキャロラインの瞳が細くなる。
「……自分が殺されることで、"何か"を成し遂げたかった。
だから……抵抗することなく、命を捧げた。」
「…………意味が分からないわね。
アーガスト侯爵家の影が死んだとしても、私には関係なくてよ。」
セレスティナへと向けていた視線を外し、キャロラインは真っ直ぐに前を向く。
「……だって、私は誰かに何かを望んだりしないもの。
何も望まない私のために、誰かが何かをしたとしても……それは、私の責任では無いでしょう?」
扇で隠したキャロラインの赤い唇が、皮肉げに歪む。
「私は後宮に咲く真紅の薔薇。
花には花の戦い方は有るけれど……それ以外の戦い方など、私は知らないわ」
その言葉を残し、今度こそキャロラインはお茶会の場より立ち去るのだった。
お茶会をしていた薔薇園に取り残されたセレスティナ。
「真紅の薔薇と言うよりは、棘ばっかりの薔薇って感じですねぇ……。
僕は棘だらけの迫力美人よりも、殿下のように優しくて可愛らしい美人の方が好きです」
「ありがとうございます、フォルト子爵。
私には、薔薇の花のような美しさは縁遠いですわ。
そうですね……私は薔薇よりも猫になりたいです。
日向ぼっこしたり、気ままに散歩してみたり……猫って、素敵だと思いませんか?」
自由気ままに散歩して、干している布団の上で日向ぼっこして丸くなる猫。
猫ならば、逃げ足だって速そうだし……今の己よりも体力が付きそうだとセレスティナは微笑む。
「えっと……猫ですか……?
確かに、猫になった殿下はきっと優雅な美猫にはなると思いますけれど……」
「……フォルト子爵?」
背後に立っていたアシュレイが、セレスティナの足元へと跪く。
「……愛しい猫を失うことがないように、首輪を付けて閉じ込めてしまいたい。」
「っ……え、あの……」
まるでチャシャ猫のように笑うアシュレイの吸い込まれそうな深い瞳。
「花だろうと、猫だろうと……セレスティナ殿下のお側に侍り、御身に触れることが出来たならば…………きっと、愛しい貴女様を手離せなくなるでしょうね」
「っ……?!」
キャロラインとの油断ならないやり取りをするために、王女として切り替えていた思考。
その思考が、恋愛経験など皆無のただのセレスティナへと引き戻される。
「……フォルト、子爵……からかう、のは……」
一応自分の側室候補で、好きだって言われた相手だった、とセレスティナは心の中で頭を抱える。
好きだと告げられたことを思い出したことも相まって、セレスティナの頬が赤く染まる。
「心外ですね。
僕は大好きな女性に偽りなんて捧げませんよ。
……以前お伝えしたように、僕はセレスティナ殿下をお慕いしております」
「っ……」
セレスティナの手を取り、その甲に口付けたアシュレイ。
「(……っ……眼を、逸らせない……!)」
口付けながら、上目遣いに己を見詰めるアシュレイの瞳の奥に燻る激情を、セレスティナは垣間見て囚われる。
「セレスティナ殿下、どうか……僕にご褒美をくれませんか?
…………麗しい貴女様に、僕の名を呼んでもらう栄誉を賜りたいのです」
「っ……」
「…………どうか、お願いします」
流される……流されそうになる。
だけど……何かが嫌だ、とセレスティナの心が叫んだ。
「……名前で呼ぶことは構いません。」
「ありがとうございます、セレスティナ殿下!
ふふ……愛しい女性に名前を呼んで貰えるなんて、頑張って側室殿とのお茶会を整えた甲斐が有りました!」
立ち上がって無害に微笑むアシュレイを、静かに見詰めるセレスティナの頬の赤みは冷めていた。
「……ですが……」
「……殿下?」
「次に私へ愛の言葉を囁くときは、その瞳に熱を灯してくださいませ」
「え……」
キョトンとした表情のアシュレイを見てセレスティナは思う。
「(……何故、でしょうか……?
好きだと言ったフォルト子爵の瞳には、ジェダのような熱を感じませんでした。
比べる物ではないのでしょうが……ジェダの瞳は……私のすべてが欲しいといっているような……?
見詰められるだけで……すごく、ドキドキしてしまうもの……)」
セレスティナを見詰めるジェダイトの瞳を思い出しただけで動揺してしまうほどに……。
「……側室として、私の横にあると言うならば…………被っている狐の皮を脱ぎ捨てる覚悟で来て下さいませ」
セレスティナのアシュレイを真っ直ぐに射抜く瞳と言葉。
「っ…………ふふ、殿下には敵いませんね」
微かに目を見開いたアシュレイが、賢い獣のように笑うのだった。
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