第九話
王城内にあるアーガスト侯爵に与えられた執務室。
「…………」
徹底的な人払いや盗聴対策を施された室内で、アーガスト侯爵は椅子に腰掛けて、机の上のチェス盤を見詰めていた。
「アーガスト侯爵……お呼びとお聞きしたのですが……?」
朝一番の会議室での一幕が始まる前に呼び寄せられていたアシュレイが、戸惑ったような声音で声を掛ける。
アーガスト侯爵の目の前に立ち続けて、どれ程の時間が経っただろうか?
「…………」
二人で執務室に入って以降、黙して語らないアーガスト侯爵の様子にアシュレイは内心で眉を寄せていた。
「………………アシュレイ」
「はい」
チェス盤から視線を上げることなく、アーガスト侯爵がアシュレイを呼ぶ。
「…………」
アシュレイの名を呼んだものの、再び口を閉じたアーガスト侯爵が瞼を閉じる。
「…………面白いと、思わぬか」
再びアーガスト侯爵が瞼を開けた時、その瞳には冷たい野望の炎と愉悦に歪んでいた。
「……アーガスト侯爵……?」
「全く持って……面白い!
ああっそうだ!
アヤツは!あの御方の身体には!
彼女の血が!魂が息づいておる!」
ポツリと零れ落ちた言葉を皮切りに、アーガスト侯爵の声に熱が宿り、溢れ出す。
「ふっ、ふふ……ふははははっっ!!
皮肉な話だと思わぬかっ!
武に一辺倒だった忌まわしいマクシミリアン!
元帥とは名ばかりの猪武者めっ!」
王妃エリザベートの父親であり、元帥の地位にいるアーガスト侯爵が殺しても殺し足りない憎い男!
あの男、マクシミリアンの所為でアーガスト侯爵は妻になるはずだった唯一無二の女を王家に奪われることとなったのだ。
「王家に奪われた儂の婚約者!
彼女の血が受け継がれた王家の血筋に、あの男の忌まわしい娘が嫁ぐとなった時の屈辱……!
だが!あの愚か者の武の血筋を!
愛する彼女の知恵が凌駕したのだ!」
瞳孔が開ききった興奮した様子のアーガスト侯爵は、両手で顔を覆って激しい笑い声を上げる。
激しい嘲笑。天を仰ぐ愉悦。
普段の這い寄る蛇の如き狡猾で、古狸を思わせる笑みが消え去っているアーガスト侯爵の様子。
「っ……」
あまりの変わりように、アシュレイは圧倒され、思わず半歩後ろに下がってしまう。
「………………アシュレイ」
だが、激しい嘲笑が嘘のように、ピタリと笑いを収めたアーガスト侯爵。
「……はい」
アーガスト侯爵の底知れぬ眼光がアシュレイを捉える。
動と静、そのあまりの変わりようにアシュレイは喉が鳴り、鳥肌が立つ。
「盤面が変わった。
塵程の価値もなかった王弟の末子が死んでいようが、拐かされていようが、どうでも良い。
だが、この一件を通して……あの御方が、その価値を見せ付けてくれるならば…………儂の勝利は盤石なものとなるだろう。」
ああ……面白い!
長生きはするものだ!
そのお陰で、彼女の血を引く者が高みへ駆け上がるさまを見届けることが出来るやも知れぬ!
「アシュレイ。
セレスティナ王女殿下の側に侍れ。
逐一、その動向を監視し……必要ならば、盾となれ。
……儂の読みが正しければ……此度の一件を踏み台とし、大きく飛躍される。」
あの騎士団長の言葉が、アーガスト侯爵の脳裏に蘇る。
……確かに、その通りだった。
アーガスト侯爵は、駒の価値を測り間違えていた。
「(…………駒の価値を理解したぞ、若造よ。
それ故に、我が野望、我が知性が、此処まで滾り、燃え上がったのだ!
若造……お前が読んだ儂の勝ち筋とは、多少誤差はあるやも知れぬぞ。
……一世一代の国盗りだ。
これが、最後の機会となるだろう……!)」
アーガスト侯爵は、机の上に並べたチェス盤より、女王の駒を手に取る。
恍惚の笑みを浮かべ、愛しげに女王の駒を見詰めるアーガスト侯爵に、アシュレイは顔を強張らせる。
「アシュレイ、王女殿下の婚約者では足りぬ部分を補え。
…………あの男は、敵が多過ぎる。
いや、王女殿下に向く悪意を全て……あの男に背負わせろ。」
氷だ、冷徹怜悧だ、何だと恐れられるのだから、四方八方から暗殺されそうになっても、死にはしないだろう。
……若造、その程度のことで、死ぬ男では無いだろう?
「アーガスト侯爵、お言葉ですが……私は、正式に側室に選ばれるとは……」
「選ばれる必要はない。
手土産を持たせた上で、儂が押し込むから問題はない。
……最終的な均衡を考慮して、そうなるように仕向けるからな。」
一手二手では足りぬ。
もっとその先を見据え、老獪な目を光らせるアーガスト侯爵。
「必ずや……我が野望を叶えてみせようぞ!」
老人とは思えぬ野望に燃えた爛々とした目。
勝利までの道筋を手繰り寄せる執念に満ちた笑み。
「すべては、女王次第……楽しみにしておるぞ、セレスティナ王女殿下よ……!」
弄んでいた女王の駒を、アーガスト侯爵はチェス盤に打つ。
「終止符を打たねばならぬな。」
壮絶な笑みを称えたアーガスト侯爵に、アシュレイの背筋に冷たい物が走るのだった。
※※※※※※※※※※
王女の執務室。
「っ……?!」
アーガスト侯爵が壮絶な笑みを浮かべた頃。
己の執務室でアレクシェルと言葉を交わしていたセレスティナの背中に悪寒が走った。
「セレスティナ様……?」
「……何でもありませんわ」
ビクリと肩を揺らしたセレスティナに首を傾げるアレクシェルに、誤魔化すように微笑み返す。
「(……今の悪寒は何かしら……?
何故か、私の知らない所で激重な感情を向けられた気がしたのですが……気の所為かしら……?)」
表面上は普段通りを装いつつ、セレスティナは内心で遠い目をしてしまう。
「(女王の座など欲しくないと言いつつも……どんどんと近付いている足音が聞こえるというか……。
逃げ道を塞がれているというか……。
……自分の、この性格が嫌になりますわ……昔から、背負わなくても良い案件を引き受けることになるんですもの……!)」
学生時代の生徒会長なども、そうだった……!
成りたくないのに、周囲の期待と推薦に後押しされて逃げ道を塞がれるのだ。
頼られたら引き受けてしまう。
損な性格なのだと自覚していても、生まれ変わっても変わらなかった性格は筋金入りなのだろう。
「セレスティナ様ぁ、悪寒でも走りましたか?
もしかしたら、体調を崩す前兆かもしれません。
今日は、執務を切り上げてお休みになった方が……」
「心配をしてくれてありがとう、ミオン。
でも、私は大丈夫ですわ。
……執務もですが、サーデス神殿の一件も気になりますので……」
「はわわわ、わぁぁぁん!
セレスティナ様の麗しい微笑みがミオンちゃんに降り注いでますぅぅぅ!
でもでもぉ!セレスティナ様、ご無理は禁物ですよぉ……!」
ありがとう、と笑顔を向けるセレスティナに、ミオンが大袈裟なほどに喜びを表現する。
「ミオン」
「はーい!
セレスティナ様のお察しの通り、ミオンちゃんはお仕事出来る子でーす!
……お望みになると思って、第一騎士団よりサーデス神殿の一件に関する資料を貰って読み込んで、写しも準備完了ですぅ!」
ミオンの有能さを信じて疑わないセレスティナの目配せに、ミオンは自信に満ちた賢い笑みで応えるのだった。




