二次元恋慕野郎
※笠木……かさぎ。椅子の背もたれの上端部分にある横木のこと
※あらすじと◇までの内容は同じです
僕には二次元の女の子を好む性分がある。
崩れない端正なビジュアルが好きだ。求めたいときに求められるし、妄想も自由で、拒絶されない性質が好きだ。
17歳の今、日課はSNSのタイムラインで美麗イラストを漁ることである。毎期の美少女アニメを視聴し、表紙の女の子がかわいいライトノベルをよく読み、一日のうち10時間はサムネイルで選り好みした音楽を聞く。そんな日々の繰り返しだ。
そうやって、目に入れる要素や思いを馳せる対象を二次元ばかりで埋め尽くしていたら、いつしか二次元にしか惹かれなくなっていた。
最後にドラマを観たのはいつだろう? 現実の女の子に惹かれたのはいつだろう?
とはいえ、これでも現実への未練を失っているわけではないのが困るところだった。僕はよく通うファストフード店で美味しさを分かち合っているカップルを見て羨み、高校の教室で女子たちの恋バナを盗み聞いて興味をくすぐられる。──どうしようもないことに、現実の恋愛には憧れがあったのだ。
憧れへの自覚は、たびたび僕を虚しくさせてくる。
──この性分は自分を孤独にするのだろうか?
そう悲観して涙することさえあった、ある日のこと。
僕の前に、二次元の性質と三次元の実体を持つ奇跡のような少女が現れた。
彼女は、ミュージックビデオという電子世界からやってきて──
──自らを、空間の嘘と名乗った。
◇
〜♪
『穢想笑い』。
アニメ的な疾走感のあるメロディーと、各サビのラストに一つまみ、感情を吐露するようなフレーズがあり──それが透明感と力強さを併せ持つ至高の歌声で演じられる、キャッチーな曲だ。
今日一日で、この約4分30秒を何度ループしただろう。
真夜中の自室。提出課題の数式を解いている最中にもかかわらず、僕は机に置いてあるスマホを手に取る。
ちょうど"少女"のバストアップのシーンを捉えたので、MVの動画を一時停止した。机上に設えられた唯一の明かりである電灯は、あたかも彼女のスポットライトだ。
「なんでそんなに麗しいの……?」
この曲を聞いているのも、例によってサムネイルのイラストに惹かれたのが馴れ初めだった。
その姿容を目でなぞる。……淡い白色のお団子ハーフアップに、ブルーフローライトの鉱石もかくやといった蒼い双眸──僕を惹きつけたこれらの大要因は、出会った頃からずっと、見劣りしていない。鼻筋も整っていて、口元までも蠱惑的だ。
全体として静謐な印象を受ける顔立ちが、カーディガンとスカートという衣装でより際立っている。
「亜衣、君には吸引力がある……」
……おっと、長く陶酔していたら、いつの間にか亜衣が至近距離に迫ってきているではないか。
「危ない、危ない。キスするとこだったぜ?」
スマホをタップし再生する。亜衣は目まぐるしく移ろうシーンの中、夜景を望めるビル群の一角に立ったり、花園の中で膝を抱えてアンニュイな表情をしたりする。
鑑賞していたいのはやまやまだ。その欲望を抑えてスマホを裏返したのは、このままだと課題に手がつきそうにないと割り切ったからである。
数学が得意であれば並行できただろうか。カタツムリクラスの鈍足でシャーペンを動かし、しばらく粘った末──それでも行き詰まったから、僕は別ベクトルで脳をはたらかせた。
『──ここは、このあいだの中間考査の補習で教わったところ。ほら、このサインが……』
架空のカノジョとして亜衣を召喚した。椅子の傍らで屈んで参考書を指差し、優しい声音で教えてくれる──この程度の妄想はお手の物だ。これぞ勉強を捗らせる秘技である。
欲を出して、彼女の手を握ろうとした。それが仇になるとも想像せずに。
「……」
手が掠めたのは、夏の夜の湿っぽさ。「虚像という前提を忘れるな」と戒めんばかりの空気だ。
一気に眦のあたりが熱くなってくる。
「病みそう……」
あまりの虚しさに、音が止んだ。
? 音が止んだ?
「あれ……停止した……」
視野からMVを遮断したし、僕が止めるということはありえなかった。きっと忌まわしきラグの仕業だと、スマホを表に返してページを更新する。
動画の背景は黒くなった。
『この動画は再生できません』
「え、なんだよ……」
すかさずスクリーンショットを撮った。そのままメッセージアプリを開き、友人にメッセージを添えて送信する。
『やばい。曲のループが阻まれた。サーバーが逝った可能性あるわ』
既読は僅か数秒でついた。返信は、奇妙なものだった。
『なにその曲。「誰何」のチャンネルとして表示されてんのがサーバーエラーってこと?』
「……は?」
『穢想笑い』は歴然とした『誰何』という音楽プロジェクトの曲だし、お互いの琴線に触れた選りすぐりの曲としてプレイリストにも登録しているから、『なにその曲』は意味がわからない。
『この間増淵がカラオケで90点出した穢想笑い。あとで画像も送ってくれたろ』と打ち、リプライをするべく増淵側の履歴を遡る。
だが──いくら探しても、画像が見当たらない。
「送信消したなんて出てないよな……どういうことなんだこれは……」
リプライは諦めて、ひとまず絵文字だけを送ることにした。驚愕で目が離れている絵文字だ。
真相を確かめようと動画投稿サイトに遷移し『誰何』の公式チャンネルを開いた。
(は……?)
亜衣の担当ボーカル曲のMVだけが、すべて非公開となり、消失していた──。
なぜ亜衣だけが?
──不具合? プラットフォーム側の規制? 契約解除? 脱退? 不祥事? 不慮の事故?
どうして──
「──なんだか君、淀んでいるね」
「!?」耳元での囁きに肩を震わせる。背中に、接してくるものを感じた。
スマホから目を離して後方を振り向いた。──僕は、笑われるくらい目をかっ開いただろう。
それもそのはず。今し方すべての公開楽曲を非公開にされたボーカリスト・亜衣とまるきり同じ見た目をした存在が、腕を組んで、それを背もたれの横木に乗っけてきているのだから。
(……なんだこの、妙にリアリティのある二次元体は──)
「……実物? いや二次元創作に実物とかいう概念はないからな」
防衛本能みたいな、慰めの虚像。きっと、そんなところだろう。「妄想が生み出す虚像もここまで来たかよ。嘆かわしい」と目を擦る。
「虚像ではないよ」
微笑を湛えた、亜衣紛いの虚像。
よく見るとその顔に違和感があった。あまりに整いすぎている──いや、それは亜衣をなぞらえていれば必然なのだが、ホログラムのようなノイズが細部にかかっており、「美」以外を許すまじとしているのである。顔に限らず、体のあちこちで、虹色が煌めいたり消えたり。
「あの……実在の人間は、そんな二次元の質感してませんし、小ジワのメイクとかSNSに載せる加工写真のノリでガビガビしないと思うんです」
僕はおもむろに椅子を立ち、色んな角度で虚像を観察してみる。彼女は「見るな」と念じても目で追ってきた。そして横木に上半身を預けた、ファッション誌の表紙のような構図のまま「小ジワメイクに加工って……考えうる限りサイアクの言葉選びだよ」と文句を言ってくる。
僕は謝った。彼女の体中で煌めいている現象を言い直す。「じゃあ、絵にならない画角を匿う謎の光とか」
「マシ。でも……もっと、端的に。『空間の嘘』って言うの」
空間の嘘。その言葉を反芻する。普段自分が思い浮かべるような単語ではなく、妄想との矛盾を思わせた。
虚像はそのまま「ベッド失礼するね」と、笠木から離れた。ベッドに腰を下ろした彼女は、皺のできた布団を摘む。
「実在、するでしょ?」
僕は瞠目した。
「……あなたが動いたとき、甘い匂いがしました。どうして……」
美声も、美顔も、服装までも。すべてが直接まで愛でていた『亜衣』を模した、何か。僕の背中に触れ、ベッドに腰掛ければベッドが軋み、自律した意志で言葉を交わしている──両立し得ない次元の狭間にいる彼女とは、一体……?
「あの……」
「どうしたの?」
「これが夢かもしれないので、一旦自分にビンタをかますか、それかあなたに触ってみてもいいですか?」
「初対面のいたいけな少女の体に『触ってもいいか』なんて……挑戦的だね、君」
「いいわけありませんよね。なあに馬鹿言ってんだ俺は」
僕は思いっきり自分の頬を平手打ちする。
……痛いだけだった。
目の前の少女が消えるといったことにも、夢が醒めるといったことにもならず、ただの自傷行為で終わる。
「それだけ困惑するのも、わかるよ。だって君は『亜衣』を目の前にしているんだもん」
「それが今の状況だと悪い冗談にもなるから、疑っているんです……」
僕は、突拍子がないと理解しつつも、一つの希望的観測に縋った──『亜衣』を欲したから、応えてくれたのでは? と。
「亜依さんだというなら……歌ってみてくれませんか……?」
虚像は「欲しがりさんだね」と言いつつも承諾した。
「なんの曲がいい?」
「服装がそれなので……やっぱり、『穢想笑い』でお願いします」
妄想による虚像か、誰かの変装か、夢か、はたまた危ない薬の作用か──ここでボロが出るだろうと踏んでいた。
けれど。信じがたいことに、相手の喉から、耳に馴染んだ『穢想笑い』の聴感が、アカペラという歌の裸で届けられた。
絶望の縁だった認識が反転していく。思わず、感涙する。
二次元の少女が現れるなど、流星群にも願ったことはない。神社にも。だって、そもそも同じ世界の存在ですらないのだから。
でも……奇跡があってしまったのかもしれない。
「〜♪ ……信じたみたいだね」
「ぐ、うぅっ……。泣いてしまってごめんなさい……。──でも、わからないです。なんで亜衣さんが、僕なんかのもとに……」
「それはね……」
亜衣が答えようとしたとき。下の階から階段を登ってくる気配を察知した。
「あっ──隠れてっ」
「隠れることなんてないよ」
隠れようとしてほしかった。僕がこの異常事態に慌てふためいているだけかもしれないが……"真夜中にリアルな二次元の人形と一緒にいる"という解釈をされた場合の僕の身にもなってほしい。
策を練る間は与えられなかった。ベッドの左手にあるドアがノックされ──掛け声もなく母親が入ってきた。
「──紅紫? まだ勉強しているの?」
僕は咄嗟にベッドの毛布を掴んで、亜衣に被せた。
「は、はい母さん!!」
「何してるの? そんなに慌てて」
「いやこの毛布の中に怪しいものなんて隠したりしてないから大丈夫だよっ」
「毛布? ──綺麗に、平らに敷いてあるだけじゃない。もうそろそろ8月なんだから、仕舞うことは考えておきなさいよ」
僕は瞠目した。
毛布は亜衣の輪郭に沿って盛り上がっているはずだ。あろうことか彼女は毛布を手でどけて、半目で「……ちょっと」と不服を露わにした。
しかし、母親は歯牙にもかけていなかった。
(???)
おかしい。僕にカノジョができたなら紹介してくれとしつこいくらい迫ってきて、ラブドールなんか絶対買うなよとも釘を差すような母親が亜衣を前にノーリアクションだなんて。
「……母さん、声、聞こえてるよね? 見えてるよね? この子」
母親は「あぁ」と合点がいったように相槌をうった。
「定期考査前の詰め込みでおかしくなってしまったのね。……心配して損」
そうではなく。
「……おかしいのはどっちなんだ?」
「100パーセント、あなたのほうよ。それが自覚できないのなら寝なさい。根を詰めるだけあとの自分に響くわよ」
終始状況を指摘されることはなく──母親は、おやすみを告げて退室していってしまった。めでたし……なのだろうか。呆然の僕を、亜衣はおもしろがった。
「ほら。私は隠さないでいいと言ったのに」
「『空間の嘘』なんですか、これも? ……歌を消されたから怨念を晴らしにきた歌の権化とか、幽霊とかじゃないんですか」
「幽霊。それはある意味的を射ているかも」
亜衣はベッドを立った。その足で、唯一の頼りだった机上の明かりを消す。
部屋は真っ暗だ。それでも、亜衣が断続的に光るから、改めて僕のベッドに戻っていくのも追えた。
絵にならない画角を晦ますためというその光さえ、僕には二次元の観点で美の一つように映った。
「え、あの……あたかもここで寝るみたいな立ち回りしてますけど……」
「そうだよ。今日私はここで寝るの。君は床で寝てね」
「いやいや。ずるいです。幽霊ならどこでもいけるじゃないですか」
亜衣は僕が見下ろす中で布団を被った。「男の子の布団って、なんだか男の子の匂いがするんだね」と至極当たり前の感想を述べている。
「もう寝よう? 君のお母さんも、言っていたように」
「そ、添い寝とか」
「嫌」
「はい」と僕は、何ができるというわけでもないから床に寝転がる。
腕を枕にして、ベッドのほうを向いた。床とベッドでは段差があるから亜衣の姿はよく見えない。いるというのは、確からしい。
(幽霊ってことは……『亜衣』の曲が消えたのは確かなんだな)
……二次元の性質が好きだ。
求めたいときに求められて、妄想できて、拒絶されなくて……。
亜衣もそうであったはずだ。
だが、これからどうなるのだろう?
ラブコメなら、二次元の少女と同居生活が始るのかもしれない……そういう淡い期待はありつつも、現実が絡んでいるせいで手放しには喜べなかった。
怒涛の睡魔が押し寄せてきた。僕は欠伸をし、目を閉ざす。これ以上の深掘りは眠りの妨げになりそうだったからやめた。
「──みんな、求める像の押し付けばかり」
モトメルゾウノオシツケバカリ?
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