3-1縁結びに貢献せよ
……嘘つき。
(違う、違うよ)
……じゃあ何で言わなかったの? 本当のこと。
(それは……)
最初から言う気、なかったんじゃん。
(違う! 本当だよ、信じて! ねえ待って)
……もう話しかけないで!
「待って、結衣ちゃ……」
ガタン!
一際大きな振動が、私の頭を一瞬で覚醒させた。
向かいに座る人が本を片手にこちらへ目線を向けている。
……やば、何かしゃべってたかも。顔が熱くなって、私は窓に視線をそらした。
トンネルを抜けると線路沿いに海が広がっている。
空と海、二色の青が引いた境界から深緑の山々がのぞく。手前には牡蠣のいかだがプカプカと浮かんでいる。
すっかり見慣れたこの景色も、観光客にとってはテンションが上がるものらしい。物珍しそうに写真を撮っている人もいた。
……それにしても、今日は多いなあ。
ちらりと観光客の方を見る。
大小さまざまな「黒いもや」が人々の間を埋め尽くしていた。
アレが何者なのかは結局よく分かっていない。影だけであったりはっきりとした塊であったりと見た目は千差万別だが、およそこの世のものではない。
私はゆっくりと視線を景色に戻した。気づかれると厄介なのだ。彼らは、自分が見える者を常に求めているから。
島に着くまでの辛抱だ。彼らは神聖な場所には近づけないようで、宮島の中までは着いてこない。それがあるからバイト先に選んだわけで。
……今ではもう慣れたけど、小さい頃は散々だった。アレが他の人には見えないと知って泣いたし、体当たりで対処法を学んではそのたびに泣いた。
きっと私一人だったら耐えられなかっただろうな。
夢に出てきた背中を思い出して胸が痛んだ。
「Excuse me」
「え?」
電車を降りたところで、外国人に話しかけられた。
スマホで何かの動画を映している……あっ、イッチさんの動画。これが私かどうか聞いている?
「あー……い、いえす。そう、そうです。アハ……」
「Oh!」
笑顔になったと思ったら、猛烈な勢いで話し出した。だめだ、早いと全然聞き取れない。
「あー」やら「うー」やら、何とも言えない声を発しながら、とにかく笑顔で対応する。最後に熱烈な握手を頂き、彼らはスーツケースとともにフェリーに乗り込んでいった。
……そのフェリーに私も乗るつもりだったんだけどなあ。
気まずさと時間が天秤にかけられて、気まずさの方に傾いた。
……まあ大体の時間しか指定されていないのだし、心の広いタゴさんなら許してくれるはず……。
「遅い!!」
フェリーの降り口で、仁王立ちのタゴさんが待ち構えていた。許されなかった。
「何? 言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「いや、まあ……スミマセン……」
「……ふん」
「今日はどうされるんですか」
「今日は……」
タゴさんは、珍しく歯切れの悪い様子で言葉を濁す。なぜ私をちらちらと見てくるのだろう。
「先に謝っておくわ」
「それだけで、もう怖い予感がするんですが……」
「うちの次女が、アンタに会いたいって言ってね」
次女?
そういえば、タゴさんとイッチさんの間にもう一人神様がいらっしゃるんだっけ。名前は確か……。
「湍津姫命だよ」
「うわっ」
急に背後から人の声がして振り返る。
洗練されたデザインのパンツスーツをオーダーメイドのように着こなした女性が立っていた。背が高く、女性ながらもどこか中性的な雰囲気を帯びている。まるで「少女漫画の王子様」だ。
「どうぞよろしく」
「あ、ど、どうも……」
ご丁寧に名刺が渡される。イッチさんの変顔入り名刺とは違い、こちらは明朝体で統一された文字だけのシンプルな内容だった。
「あれ? そういえばイッチさんは……」
「妹は留守番だ。好き勝手に出歩いてくれたおかげでかなり仕事が溜まっていたからね」
「はん。勝手についてくるあの子が悪いわよ」
「代わりに姉上が残ってくださってもよかったのだが?」
涼しげな眼でにらまれたタゴさんは明後日の方向を向いた。
「驚かせてすまない。今日は私が君に会いたいとわがままを言ってね。来てくれてありがとう」
「い、いえ……!」
なんだろう、このドキドキ感は……!?
自然な動作で手を取られ、まるで魔法にかかったみたいに動けなくなってしまった。
「な、なんとお呼びすれば」
「好きなように。そうだね……『姫』も『命』も言葉が重いだろうから、湍津でどうかな?」
「タギツ様……」
「あー……アンタ、それにハマるタイプかあ。アンタの今後の趣味が見えたわ。ちゃんとお金は貯めときなよ」
タゴさんがタギツ様の手を外してくれて、ようやく息ができるようになった。
「で、なんですみれと会おうと思ったわけ?」
「タゴさんもご存じなかったんですか?」
「会ったら教える、の一点張りなんだもん。マァここしばらくこの子に留守番を押し付けていた負い目があるし……」
「ふふ」
タギツ様は、鋭い眼光をふと和らげてほほ笑んだ。品のある笑顔に、目が釘付けになる。
「今日は君にお仕事の話をしにきたんだよ。どこか静かな場所で、私たちとお話ししよう?」
「ひゃい……」
「……まーじで、お金は貯めときなよ」
タゴさんが何か言ってた。
***
腰を下ろしたのは、古民家を改装したカフェだった。
観光スポットから少し歩いたところにあり、店内は思ったよりも静かだった。
「今日は私がご馳走しよう。好きなものを頼んでおくれ」
向かいに座ったタギツ様は、お冷を飲む姿さえサマになっていた……どうしよう。イッチさんがカメラを連写したくなる気持ちがちょっと分かったかもしれない。
ジト目のタゴさんが、タギツ様を横から眺めていた。
「そうやってアンタ、NPOのやつらも懐柔してんのね……」
「彼女たちはただ親切なだけだよ」
「NPO?」
「対外的な交渉ごとは、いつもこの子に任せてんの」
「神様がそんなことをして大丈夫なんですか?」
「ハハッ、もちろん偽名でね。何かと表から動いた方が簡単なことも多いのさ」
新聞にも何度か載ったことがあるんだそう……うちに帰ったら新聞を取っていたか確認しなくちゃ。
「早速本題に入ろうか。NPOのほうで先日から進めている企画があるんだ」
注文を済ませ、タギツ様は水のグラスを置いた。
「その名も、宮島恋活パーティー」
うわ、タゴさんの顔がとんでもないことに。
「馬鹿なの?」
うわ、声にも出した。
「馬鹿とは失礼だな。真剣な出会いの場を提供するんだそうだよ?」
「こないだやって失敗したばっかじゃない。ゼーッタイまたろくでもないのが紛れ込むわよ」
「前回があったんですか?」
タギツ様は肩をすくめた。
「半年前、小規模なやつがね。でも姉上、そのときだってたくさんのご縁が結ばれただろう? それに、今回の事業は市や県からのご注文でね。正直、私の力で止められるような流れじゃなかったんだ。勝手にされるよりは直接介入した方がまだマシだろう」
「大体、最近はほら……アプリとかで出会うもんなんでしょ」
「まあそうだね。ただアプリ疲れという人も多いそうだ。今回はそういった層を狙うと言っていた……姉上、詳しいのかい?」
「はあぁぁあ?」
タゴさんは首を斜めにしてタギツ様を威圧するように見上げた。完全にヤンキーの絡み方だ。
「詳しくない! 私はただ、そういう俗にまみれた場所をウチで開くのはどうかと思ってるだけですぅ~。はん。たった1時間の会話で互いの何がわかったでもないのに、何なら名前も覚えきっていないような奴らが、ぎこちなくもみじ饅頭作ってんのを見守れって?」
「……詳しいじゃないか」
そう言って笑うタギツ様の声にはからかいの気配があった。
「姉上はこういう面では手厳しいな。結婚しているわりに乙女の姿勢を崩さない」
「え!?」
「ん? どうしたんだい」
「なんか今ものすごくさらりと……え? タゴさんって結婚してたんですか?」
「あー形式上ね……」
タゴさんは先ほどまでの般若のような顔から、また違った「いやそうな顔」をした。
小さな羽虫が顔にまとわりついてきたかのようなしかめ方だ。
「人間でいうところのビジネスパートナーよ。あちこちで婚姻を結んで勢力を広げてるとんでもない男だし、何なら熱烈な奥さんもいるしね」
つまり政略結婚みたいな話なのか。
「それ自体は私だって納得のうえよ? こういう身分で生まれたからにはね……腹が立つのはね、あいつは各地でイチャコライチャコラするのが許されてるのに、私にはなーんの声も掛からないことよ! なんでアイツだけ自由なわけ? ずるい!」
「ずるい……」
「姉上の理想は高いからなあ」
……何となく、タゴさんが宮島でカップルを見かけるたびに捻くれた感想を投げつけている理由が分かった気がする。
「で、そのいやしんぼなイベントですみれに何させようっての?」
「ああ。君、最近妹の動画に出てただろう?」
「イッチさんの動画ですね……」
あれには参った。どこぞの旅行系インフルエンサーに紹介されて少しだけ注目を集めたらしく、今日みたいに急に話しかけられたり写真を撮られたりするようになったのだ。
イッチさん曰く「人の噂も七十五日ですよ!」だそう。あれは完全に他人事だと思っている。
「君には案内役をお願いしたいんだ。妹の動画で君が巡った場所をいくつか、簡単な説明付きでね。場所も順番も指定するし、もちろん報酬だって払うよ。1日拘束してしまうから……そうだね、このくらいでどうだい?」
「あ! お金で釣るなんて卑怯よ」
「正当な対価だよ。逆に聞くけど、姉上はこれまで無償ですみれを働かせているのかい?」
「うっ……」
「いけないね、姉上。そういうのが昨今のパワハラやフリーライダーの問題にもつながっているんだ。古い価値観はアップデートしていかないと」
「横文字ばっか使うんじゃないわよ……」
タゴさんはあっさりと言い負かされていた。うーん、チョロい。こないだはイッチさんにも負かされていたような……。
「……でも、私にそんな大役務まるでしょうか」
「できるさ。動画での君は輝いていたよ」
注文したケーキとドリンクが運ばれてくる。
タギツ様は英国風のアンティークなカップで紅茶をすすった。耳にかけた髪がはらりと落ちる。
滑らかそうな頬だなあ……なんて考えていると、タギツ様の視線は紅茶から上へ。切れ長の瞳が私を捉えた。
「君だから頼みたいんだ……どうかな?」
「ひゃい……」
遠くでタゴさんの「あーあ」という声が聞こえた気がする。多分、気のせい。
話はそのまま詳しいスケジュールやイベント内容へとスライドしていき、随分と話し込んだ。ご馳走してもらったケーキがおいしかった。
電車を降りたころには、辺り一面がオレンジ色の夕日に輝いていた。
苔のじゅうたんのように輝く視界が、あまりにもきらきらして、綺麗で……
ゾッと背筋が凍った。
綺麗すぎるのだ。この世のものではない。
わが家に帰る道は大通りから離れており、家に近づくほどどんどん枝分かれした道を行くことになる。
人がいない場所、逢魔が時。だめだ、よくないピースがそろっている。
振り返ると来た道がなくなっていて、道には見たこともない花が咲いていた。
……まずい、かも。
「走って」
横から、馴染み深い声が聞こえた。
姿は見えない。でも私はこの声を昔から知っている。
「結衣ちゃ……」
「早く!」
声に急かされるように足を進めた。右足、左足、右足。最初は鉛を付けられたかのように重かった足が、動かすほどに感覚を取り戻していく。
早く、走る。早く、前へ。
障害物は舞台のハリボテのように薄っぺらくなっていて、私が駆け出せばどんどん道を開ける。
走る。息が切れる。
眼前に、黒々とした大きな池が現れた。対岸は見えず、横の道もいつの間にかなくなっている。
たたらを踏んで立ち止まる。どうしよう、もう先がない。
「飛び込んで!」
迷う時間はなかった。
肺いっぱいに空気を吸い込んで、地面を蹴りつける。
固まった体はあっという間に水に包み込まれ、ぼやけた視界が湖の中に馴染んでいく。
真っ暗だと思っていた景色は、よく見ると鈍いオレンジ色だった。
見慣れた帰り道が像を結ぶ。ここは……。
「息をして」
頭で理解するより先に体が反応した。
口を開くと同時に咳が出る。薄い酸素を必死で取り込むように、何度も。
荒かった呼吸が落ち着いてきて、ようやく私は自分が砂利道にしゃがみ込んでいることに気づいた。
さっきまでの景色とは違う。正真正銘、いつもの帰り道だ。
私ごとすっぽりと覆う影に気づいて、隣を見上げる。白羽結衣が、表情なく私を見下ろしていた。
「連れて行かれそうになってたから」
用は済んだとばかりに踵を返すので、慌てて声をかけた。
「あの、ありがとう結衣ちゃん!」
「……『白羽さん』って」
結衣ちゃんが振り返る。逆光で表情は見えない。ただ、その声は真冬の海のような色をしていた。
「呼ぶんじゃなかったの? 浜桐さん」
「あ……」
「あたし、まだ許してないけど」
胸が痛い。でも私は立ち上がった。
だって私が選べるのはどう行動するかだけなのだから。
それなのに、開いた口からはカラカラの息しか出ない。まるで目に見えない何かに肺を圧迫されているみたいだった。
そんな私を一瞥して、結衣ちゃんは去っていった。




