2-3忘れないもの
早朝のお参りののち、すぐに土産屋へと向かう。
二人は「行ってらっしゃい」と快く送り出してくれた……はずだったのだが。
トコトコトコ……
トコトコ……
私が足を止めると、後ろの足音も止まる。
勢いよく振り返ってみると人の姿はない。だけど、石鳥居の両柱に一つずつ影が見える。
「……」
……恐らくまた留守番をさせられているであろう次女さんに手を合わせる。合掌。
土産屋に着くと、もう稲田さんが帰ってきていた。いつもの椅子に座ってお茶を飲んでいる。
「稲田さん!」
「ありゃ、今日はアルバイトの日じゃないじゃろ」
「ちょっとお話ししたいことがありまして。あっ、病院は大丈夫だったんですか」
「なんてこたぁないよ。心配をかけてごめんねぇ」
「あれ、すみれちゃんだ。おはよう」
奥の部屋からエプロンを持った美香さんも出てきたところで、私は一つ大きく呼吸した。
「お二人にお話が……」
***
開店時刻まで30分を切っていた。
パン屋やカフェなどのお店は既に開いていて、早めに来た観光客の受け皿となっている。
「……なので……江川さんには本当のことを伝えたほうがいいと思うんです。どう、でしょうか」
私が何度も言葉に詰まっても、二人はじっと待ってくれた。
「すみません。バイトの私が言うことじゃないですよね……」
「そんなことないよ!」
美香さんは拳を握って力強い声を出した。
「ね、おばあちゃん」
稲田さんの真顔を見るのは初めてだった。いつも笑顔を絶やさない人の表情が消えるのは怖い。
なんて思われているんだろう。やっぱり余計なことを言っちゃったのかな。
裁判の判決を待つような気持ちで不安と闘っていると、稲田さんのため息が聞こえた。肩が震える。
「情けないねえ……若い人にここまで言わせてしもうて」
稲田さんは、美香さんに頼んで近くの棚から1冊のノートを取り出してもらっていた。
どこかで見たことがあるようなキャラクターが表紙を飾っていて、色褪せた四隅からは年季がうかがえる。
「これ、何のノート?」
「これはねえ、フミちゃんとの……ああ、江川さんのことじゃけども。フミちゃんとの交換日記よ」
「えっ! おばあちゃんの頃から交換日記ってあったの」
「あったんよ。中学校の頃じゃけど」
稲田さんがめくると、鉛筆で書かれた文字が1ページをぎっしりと埋め尽くしていた。
かと思えば、次のページにはスペースを丸々使って大胆にイラストが描いてあった。
お題が出たらそれに答えて、また次のテーマを考え、たまに日付が飛んだりすると「風邪は大丈夫ですか?」と心配そうな顔の絵が描いてあったりする。
きっと当時の流行りであろうテレビや俳優の話で2〜3往復していたり、「今日の試験は難しすぎる」「あの先生は厳しい」と文句を言っていたり。
なんだか今と変わらないな。
「……初めてフミちゃんが商品を持ってったと気づいたときに、私も言うとるんよ。あんた、おかしくなっとるよ、もう旦那さんはおらんのんよって。そしたら、すごい驚いてね」
稲田さんは交換日記を閉じて表紙をなでた。
「どうしておらんくなっちゃったの〜!って、泣いて泣いて……それが気の毒でねえ。でも、数日たったらケロッとして来ちゃったんよ。もう1回やってもおんなじ。ああ、フミちゃん、もう覚えとるのがしんどいんじゃねって、思って私は……いや」
いつも掛けている眼鏡の奥が光る。
「そう……思おうとしたんじゃね。どうせフミちゃんが覚えられんのんだったら、言うても言わんでも一緒じゃろーって思っちゃった。私が、ラクしたかったんじゃね」
「ラク、なんかじゃ……」
……私はひどい思い違いをしていたのかもしれない。
一度も真実を伝えたことがないのではないかと。だから、伝えたら何かが変わるんじゃないかと。そんな簡単な話じゃないのに。
「でもねえ、すみれちゃんのお話を聞いとったら思い出したんよ」
一度閉じた表紙をもう一度めくる。
初めにぎっしり書かれていた文字は、よく見ると交換日記のルールだった。
「見てここ。『絶対に嘘はつかないこと』って書いてあるじゃろ。しかも赤文字」
「本当だ」
「フミちゃんが言い出したんよ。あの子は嘘をつかれるのがほんまに嫌いじゃったけんねえ。一番初めに大きく書いたけえ、もー後が入らんようになって詰め詰めじゃわ。ふふ、それだけ大事じゃったんじゃね」
稲田さんは交換日記を美香さんに手渡した。受け取った美香さんが元の棚にしまう。
存在感を失った緑の背表紙はあっという間に背景の一部へと溶け込んだ。
「よぉ覚えとるのに、なんで忘れとったんじゃろうなあ……」
私は何も言えなかった。
その後、いつもの時刻に江川さんがやってきた。
稲田さんに言われて奥の部屋に通すと、しばらくして啜り泣くような声が聞こえた。
数分のうちに声は小さくなっていって、奥の部屋から目を真っ赤にした江川さんが現れた。
美香さんが「大丈夫ですか」と声を掛けると、江川さんは弱々しい声で「ありがとう、美香ちゃん」と言った。
その全てを、私はただ棒のように立ち尽くして見ていた。茹だるような暑さで馬鹿になった心臓がずっとうるさかった。
「ありがとうねえ、すみれちゃん」
その言葉の、上手な受け取り方が分からなかった。
***
「タゴさん……あれで良かったんでしょうか」
「あのねえ、ここは相談所でもなんでもないんだけど」
厳島神社の入り口まで戻ってきたら力が抜けた。
その場にへなへなと座り込む。
「正解かどうか? ふん。そもそも正解なんてないわ」
「え?」
「言ったでしょ。どうやっても間違いじゃないって。ある一面では正解でも、裏から見れば不正解。上や下から見たらもっと違う形かもね。あんたにできるのは、どれを選ぶか決めるだけ。それを、どこから見てどう納得するか。そんだけの話よ」
「……どうやったって後悔するってことですか?」
「そうとも言える」
「ええ……」
しゃがんだ私の頭を、実態のある手がなでてきた。
「ま、頑張ったわよ」
……できるのは選択することだけ、か。
なでられるがままになっていると、私とタゴさんの姿を後ろから撮っているイッチさんの姿があった。すさまじい連写速度だ。
「……アンタは何やってんの?」
「あ、お姉さま! どうぞそのままで。解釈一致すぎて本当もう助かる。クソデカ感情もほのぼのもどちらもありとは。公式が強い。公式最強」
また何か変なことを言ってる……。
「よし撮れました……それじゃ、中断していた動画撮影を再開しましょうか」
「え?」
「え? まさか、あれで終わったと思ってるんですか。あんなの編集したら1分で終わっちゃいますよ。ちゃんと宮島をPRする気があるんですか?」
いつの間にか私はイッチさんの観光促進要員にされている……?
「ピックアップしたお店はまだまだありますからね。忙しくなりますよ」
「えと、その」
「すみれ。私は今回もお手伝いをしましたね? その分の誠意は必要だと思いますよね?」
……今回お手伝いしてもらってたっけ……?
私が思考を巡らせる暇もなく、イッチさんは私の腕を引っ張っていく。意外と力が強い。
ずるずると引きずられていく私。無言で後ろをついてくるタゴさん。あの、荷馬車の牛を見るような目はやめてください。
「さ、行きますよ~」
楽しそうなイッチさんの声は、美声だった。
後日、イッチさんが撮った観光動画が妙にご利益があると話題になりインフルエンサーたちに騒がれることになったのだが、それはまた別の話。




