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2-2忘れるもの

 数分後。


「さあ始まりました、Vtuber『市杵シマ』による宮島大解剖スペシャル。本日より、日常のおすすめスポットを紹介していきたいと思います」

「……」 

「記念すべき1つ目はこちらのお店です! おはようございます」

「っお、はよう、ございます」


 口角に力が入る。声はやや上擦っていた。


「すみれ、落ち着いてくださいな。後でどうとでも編集できますから」

「むむ、無理ですよ! というか、一緒に映るんじゃないんですか!?」

「私の姿は後から3Dモデルを合成するんですよ。今日はカメラ兼インタビュアーです」


 可愛くウインクをされても困る。

 カメラを構えるイッチさんの横で、呆れた顔のタゴさんが腕を組んでいた。助けてください。


「……はい。それでは早速お店で人気のお土産を教えて頂きましょう。何でもイベントで1日300個売り上げたこともあるとか」

「あ、はい。『せんじがら』が美味しいと評判で」


 「せんじがら」というのは広島の名物おつまみである。豚のホルモンを揚げて干したもので、お酒が進むと評判だ。よく県外や海外から来たお客さんが物珍しさから買っていく。

 この店では食べ比べセットとしていろいろな味付けのせんじがらをパックにしていて、これがよく売れるのだ。

 説明をしていると、ちょうどせんじがらを手に取って見ている方がいた。


「お客さんにもお話をうかがってみましょうか。おはようございます」

「……ん? おはようさん」


 イッチさんが声を掛けた人には覚えがあった。

 確か、ご近所に住む江川さんだ。稲田さんの幼馴染だそうで、江川さんが来られたときは稲田さんが進んで対応に出ている。

 毎日来られるので、バイトを始めて少しの私でも何度か顔をお見かけしたことがある。

 江川さんは、イッチさんの質問に相槌を打ちながら返事をしていた。


「どうしてこちらの商品を買おうと?」

「これねぇ、主人の大好物なんよ。これと酒がないと1日が終わらんけん買うてきて~って、いっつも。酒もほどほどにしんさいよって言うとるんじゃけどね。聞く耳もたん」

「とてもお好きなんですね」

「ほうよぉ。体がせんじがらでできとるんよ、あの人」


 幸せそうに笑う江川さんに、こちらも心が温まる。

 ――だから一瞬、気づくのが遅れたのだ。


「えっ……」


 江川さんは、手に取った商品を自然な動作で自分のバッグに入れた。

 歯ブラシを持てば歯に当てるように、靴を置けば足を差し入れるように。一片の迷いもない動作は何とも「当たり前」の動きだった。

 でもレジは通していないはずだ。だって、さっき来られて商品を見ていたんだもの。間違いない。

 そのまま店を離れようとする江川さんに、一つ遅れて声を掛けた。


「あ、あの」


 江川さんは、自分が呼ばれたことに気づいていないのかそのまま帰ろうとする。

 私は江川さんの行き先を通せんぼするように前方に回り込んだ。


「あのっ! 江川さん」

「ん? びっくりさせんといて。なぁに」

「あの、いま、鞄に……え、と」


 どうしよう。うまく言葉にならない。

 私の異変を感じたのか、イッチさんはカメラを止めていた。タゴさんが奥にいた美香さんを連れて来てくれた。


「江川のおばさま!」

「あれま、陽子ちゃん。元気しとった? しばらく見んうちに大きゅうなったねえ……」


 美香さんは驚いた顔をして、私の方を見た。


「美香さん! あの、お客さんがせんじがらを……」

「ああ……うん。ね、おばさま。まだお金を払ってないですよ」

「……ほうじゃったかいね?」


 江川さんは、自分の鞄の中にある商品を「今、初めて知りました」という顔で見つめている。

 取り出した長財布の中からは大量のレシートと小銭がのぞいていた。小銭のポケットをしばらく漁っていたが、やがて千円札を取り出し美香さんに手渡す。


「これでお願い」

「はい。ちょっと待ってて……はい。お釣りです」

「ありがとう、陽子ちゃん」


 受け取った小銭をそのまま入れた財布は、パンパンに膨れ上がっている。

 鞄に財布をねじ込み、江川さんは元来た道を帰っていった。


「……江川さん、美香さんのことずっと『陽子』って」

「お母さんの名前よ……」


 美香さんは眉を曇らせた。タゴさんとイッチさんに、形だけの笑顔を向けた。


「お客さんたち、すみれちゃんのお友達なんだよね? ごめんけど、ちょっと店のことですみれちゃんと話したいから借りてっていいかな?」


 タゴさんは何かを考えているようだった。代わりにイッチさんが笑顔で返事をする。


「ええ、構いませんわ。私たちは帰ります。ごきげんよう、すみれ」

「はい、また……」


 美香さんに奥の部屋に連れていかれた私は、A4サイズのノートを見せられた。さっきまで美香さんが格闘していた帳簿である。


「あのね。毎日必ずせんじがらの売り上げが仕入個数とズレてるの」

「それは……」

「最初はたまたま万引きに遭ったかなって思ってたの。でも、それが毎日となると……」


 ある仮説が湧き上がる。

 先ほどの江川さんの動作に覚えた不信感。

 きっと美香さんも同じだ。だから口に出せないのだろう。


「……明日まで様子を見よっか」

「はい……」

「あとね、うちの母はもう亡くなってるんだ」

「えっ、それは」


 江川さんの言い間違い? それとも見間違えた?

 いや、それにしては一切疑いのないようすだった。

 江川さんには、本当に美香さんが「陽子さん」に見えているのではないか。それも、若いころの陽子さんに。


「……いつも江川さんが来たときはおばあちゃんが対応してたの、そーいう事なのかも」

「でも、それなら稲田さんはなんで止めないんでしょう? 江川さんの旦那さんだって、気づいてないはずは」

「それは私には分からないよ……や、ごめんね。すみれちゃんにこんなこと言って」

「そんな」


 美香さんは、タゴさんやイッチさんに向けたような笑みを私にも向けた。

 それが、1歩外側に追いやられたような気持ちにさせる。私は所詮バイトなのだ。それも、始めたばかりのぺーぺーである。

 心にどろりとしたものが溜まっていてうまく形にならず、吐き出せない。

 カレンダーを見る。病院から稲田さんが帰ってくるのはまだ先だった。


* * *


 夏の勢いをあおるように、早朝から強い日差しが降り注いでいる。

 神社の屋根が日よけとなって、束の間の涼を与えてくれた。


「朝から参拝とは、よい心がけですねえ」


 本殿で出迎えてくれたのはイッチさんだった。


「おはようございます……」

「何か言いたいことがあるようですね? 懺悔は寺の領分ですが、聞くだけならできましょう。好きなようにお話しなさい」

「言いたいこと、というか……」


 結局、おとといの出来事を消化することはできなかった。それどころか疑惑は時間をかけてより深まった。

 昨日も、同じことが起きたのだ。

 全く同じ時間に江川さんが現れ、美香さんと私が奥から目を光らせている中、同じようにせんじがらを懐にしまった。

 それを伝えれば、昨日と全く同じ反応が返ってくる。そして、一昨日の出来事を江川さんは覚えていなかったのだ。


「もしかしたら、と思って。私と美香さんで夕方に江川さんのお宅にうかがったんです」

「ええ。見ておりました」

「……それで」


 美香さんの記憶を頼りに、坂道にある古い民家を訪れた。

 そこで、隣に住んでいた方から話を聞いてしまったのだ。


「それで知りました。江川さんの旦那さんはもう……」


 ……亡くなったのは半年も前だという。

 基本的に島を出て生活している美香さんは知らなかったらしい。


「知らないのも無理はないでしょう。葬儀も埋葬も本土のほうで済ませていましたからね。それであの子も……家に帰れば旦那の姿はないのに、一緒に暮らした生活の気配だけがある。だから混乱してしまったのでしょうね」

「江川さんは、やっぱり……」

「ええ、すみれの想像通り。あの子は人間のいうところの『アルツハイマー型』というものです」


 知っていたんだ。


「あら、すみれ。不満ですか」

「そんなことは」

「神社での隠し事は無駄ですよ。なんで教えてくれなかったのかと言われても……そうですねえ、聞かれなかったから?」


 イッチさんは、私のほほをなでるような動作をした。


「なるほど? すみれは、私があの子に思い入れがないから放置しているのだと思っていますね。まさか。私は人間を等しく愛していますよ」

「でも江川さんは……」

「すみれ。蛍は愛でるものです」


 イッチさんは人ならざる美貌で笑う。


「一つの季節を懸命に生きる姿が美しい。そして、彼らを憐れみ余計な延命治療を施すのは無粋なこと。お姉さまは道を耕すのがお好きなようですけど、私は舗装されずに朽ちるのもまた道の在り方だと思います。何より……真実を伝えたとして、何かが変わっていましたか?」


 ……分かっている。もし私が初めから事情を知っていたとしても、江川さんや美香さんの助けになることはできないと。

 現に、今イッチさんに状況を知らされてもどう動けばよいのか分からない。

 江川さんの状態がよくなるわけじゃないし、旦那さんが戻ってくることはない。

 でも何か……まだ何かができるんじゃないか。そういう思いが私の胸に燻っている。


「ふぅん……だそうですよ、お姉さま」


 本殿の奥に、タゴさんの姿が見えた。さっきまでいなかったのに。


「タゴさん……」

「んーな顔で見られてもね……」


 彼女は、同情するような顔で私を見ていた。


「前に、信子の脚は治せないって言ったわよね。あれと同じよ。私らが力を使ったところで、病気から完全に回復することはないわ。優しく見守ってあげるのも一つの手でしょうね」


 そうか。だから稲田さんは何も言わなかったんだ……。

 きっと私や美香さんに対応させなかっただけで同じことは何度も起こっていて、そのたびに何も言わずせんじがらを持ち帰らせていたのだろう。

 間違いなく、優しさのかたちだった。それでいいのだろうか。

 ……本当に?


「先日、響さんと桜さんにタゴさんがちょっかいをかけたとき……」

「人聞きが悪いわね」

「……あのとき、思ったんです。優しいって、時に毒だなって」


 もし響さんと桜さんがあのまま付き合っていたら、一瞬は丸く収まったかもしれない。

 けれど、地中には細かいマグマが溜まっていて、タゴさんの言っていたようにいつかは噴火していたかもしれない。

 もしも江川さんに真実を伝えたら?

 旦那さんの真実を思い出すのはつらいだろう。だけど、これからもずっと夢の中で旦那さんの帰りを待ち続けるのとどちらが……。

 タゴさんは目を細めた。


「……今日、信子帰ってくるんでしょ?」

「あ、はい」

「話し合って答えを出しなさい。どちらを選んでも間違いにはならないわ」


 タゴさんは小さい子どもにするように、私の頭をなでた。

 そういえば幼いころにされたっきり、誰かの頭をなでたことも誰かに頭をなでられたこともないな、とぼんやり思った。

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