2-1Vtuber「市杵シマ」を手伝って
「えーこの問題はチェバの定理を使って解きます。3つの直線が交わっていますね、ここを……」
エアコンの効いた快適な室内と、講師の平坦な声が眠りを誘う。
3講目ともなると、その魔力に屈する生徒は多い。私の前にも、いくつかの頭が船を漕いでいるのが見える。
私はといえば必死にノートを取っていた。稲田さんの代打と神様の付き添いのおかげでバイトが実質2倍ぐらいになったので、ここでしっかり追いついておかないと新学期にえらい目に遭う。
そういや昨日もタゴさんはプリプリしていたな……。
「今日は塾の夏期講習がある」と言ったら引き下がったけれど、しぶしぶ……といった様子が全面に出ていた。私には神様みたいな力はないけど、タゴさんの場合は同じくらい気持ちが読めそうな気がする。
「……ということですね。ここが難しいのでよく復習してきましょう」
しまった。思考の海に浸かっていた。集中、集中!
……と気持ちを切り替えてわずか5分後、私も仲良く船漕ぎ仲間となるのだった。
次に意識を取り戻したのは、聞きなれた安っぽいチャイムの音が耳に入ったときだ。
「浜桐さん」
学校のクラスメイトが数人で話しかけてきた。手にリストを持っている。
「今度、塾メンで文化祭用の買い物行かん?って話になってるんだけど、どうする?」
「ああ……ごめん。私、多分バイトかな」
もう日付は決まっているらしい。リストにはここに通っているクラスメイトの名前が縦一列に並んでおり、横に○×のマークを入れるところがある。
……一人を除いては。
「あー……バイト。たしか宮島だっけ? 大変だね」
「あの……白羽さんは……」
私の言葉にクラスメイトたちは軽く視線を配り合う。「ああ」「うん」と歯切れの悪い掛け合いが続き、観念したように真ん中の子が小さな声で話し出した。
「ま、ほら。多分誘っても向こうも困るだろうし……分かるじゃん?」
ダンッ!
前方から強く机をたたく音が聞こえた。
白羽さんがこちらをにらみつけている。まとめた荷物を背負い、乱暴に椅子を入れて部屋を出ていく。
「何あれ。こわ」
「やばぁ」
「……」
心臓が大きな音を立てる。だけど、私はその場の窒息しそうな空気から逃れることにいっぱいいっぱいだった。
私の口は適当な言葉を発し始め、クラスメイトたちと軽い談笑さえして円満に別れる。
「じゃーね」
「うん、またね……」
むしろいつもより饒舌な自分の口が、空気に触れてひんやりとしているのが分かった。
***
翌日バイトに行くと、いつも稲田さんが座っている場所に孫の美香さんがいた。頭を抱えてうなっている。
「お疲れ様です。あれ、今日って美香さんも来られる日でしたっけ?」
「それがね、おばあちゃんが入院になっちゃって」
「入院!?」
どこか悪くしたのだろうか。一昨日までは元気そうだったのに。
美香さんはハッとした様子ですぐに首を振った。
「あー違う違う。定期検査で出てきたポリープを取るだけ! 数日で帰ってくるよ」
「良かった……」
「おばあちゃん、入院の日を忘れてたみたい。昨日の夜に突然『明日から店お願いできる!?』って電話がかかってきてさ」
なんでも、電話越しにざっくりと店の運営について説明されてそれっきりだとか。
稲田さんには後から確認するから分からないところはそのままでいいと言われたそうだが、美香さんの感性がそれを許さなかったようだ。
「帳簿とか意味分からんて。何でここ、仕入個数と合ってないの? 毎月出てる雑損って何なの……?」
美香さんの唸り声は続く。
私はいつも通りに動いていいと言われたので、とりあえずエプロンを付けて店内に出た。
軽く掃除をして、陳列された商品の位置を確認していると、店の入り口に人影が射す。「いらっしゃいませ」と言おうと顔を上げて驚いた。
「イッチさん?」
「おはようございます、すみれ」
グリップ付きの白い小さなカメラを持ち、動きやすそうなパンツスタイルをしている。
スニーカーなのに、並ぶと見上げるぐらいの背丈があった。
「お姉さまもいますよ」
「あ、馬鹿!」
イッチさんが横に一歩ずれると、タゴさんの姿もあった。
私がタゴさんを確認すると、観念したように小さな声で「どうも……」とつぶやく。
「お二人とも出てきて大丈夫なんです?」
「……神社は次女に任せてきたの。マァなんとかするでしょ。あの子、賢いから」
……今から朝一の観光客がどっと押し寄せる時間だが……。
顔も見たこともないけれど、何となく苦労してそうだな、と思う。手を合わせておく。合掌。
「それで、今日はどうされたんですか?」
「私はこの子の付き添い。用があるのはこっちよ」
「そう。実はすみれにお願いがありましてぇ……」
イッチさんはカメラをこちらに傾けて、シャッターを切るような動作をする。
「店の取材させてもらえませんか? 以前お話ししたチャンネルで、Vlog風の観光スポット紹介をしたいのです」
「え!? えぇ……っと、聞いてみます。美香さん!」
「はいはい……? うわ、モデルさん?」
奥から出てきた美香さんがイッチさんを見て、思わずといった感じで言葉をこぼした。
……話していると忘れるけど、そういえばイッチさんって絶世の美女なんだよね。
タゴさんも美人なんだけど、イッチさんのソレはもはや芸術品の領域である。顔立ちだけの話ではなく、スタイルや姿勢、髪のツヤ、指先の形までも「きれいだな」と思わされるのだ。
後から調べたところによれば、市杵島姫命とは神仏習合によって弁財天と同一視される存在なのだそうだ。
「あの、この方がお店の動画を撮っていいかと……」
「突然の訪問ですみません。私、宮島の観光に力を入れておりまして、今回ぜひこちらのお店を取材させて頂きたいのです」
「そ、そうなんですね」
美香さんは気後れしたように名刺を受け取っている。
横から名刺をのぞき込むと、Vtuber「市杵シマ」という文字と、イッチさんそっくりの3Dキャラクターがでかでかと印刷されていた。なおキャラクターは変顔している。なぜ。
「お店の中はご自由に撮ってくださって構いませんよ。でも、私たちの姿を撮影されるのはちょっと……」
「ありがとうございます。お姉さんの姿は入れないようにしますから……さて、すみれ」
「……んん??」
イッチさんは私の腕にきゅっとくっ付いてきた。お花の香りがする。
「すみれは映してもいいですよね? ね? この間私も協力しましたもんね?」
「協力……?」
「神社の留守番をしてあげました」
それは、どちらかというとタゴさんへの協力では……。
「……断ってもいいのよ、すみれ」
「お姉さまは黙ってて? ね、ね、いいでしょう? 店員さんからのおすすめ紹介~ってしたほうが絶対いい動画になるんです。お願いします」
「うーん」
「お店の宣伝にもなり、信子も大助かり。向こう5億年は感謝しますわ」
5億年後は地表と同化しているので勘弁してほしい。でも……。
「すみれ……」
雨に打たれた子犬のような顔で見上げてくる。
タゴさん譲りの圧が、違う形で表出している……。
「す〜み〜れぇ~」
「……」




