5-4タゴさんに会いたい
宮島までは船で行く必要がある。
そのため電車で宮島近くの駅に向かい、そこからフェリーに乗るのが一般的だ。
だけど、実は最近もう一つの方法が生まれた。それが広島の中心地から出ている高速船だ。平和記念公園から宮島まで直通で行くことができる。
乗り込んでみると外国からの観光客がほとんどだった。例のSNS事件は国内で拡散されているからか、私に気づく人はほとんどいない。
これは狙い通りだった。想定外だったのは、船酔いである。
「……」
ぐったりとシートにもたれかかり、言葉を発する気力もない。
周りの人たちは元気にスマホやパンフレットを見ており、私だけがこの有様だ。
知らなかった……私って酔いやすいんだ。
「Are you alright?」
大柄の男性に話しかけられ、どきりとする。
重い頭をなんとか持ち上げると、目の前にずいと差し出される手が。
「……飴?」
ポップな包み紙をむくと、大玉の飴が一粒出てきた。
話しかけてきた男性は、満足したのか私の様子を見ることもなく席に戻っていこうとする。
「あ……! あの、Thank you!」
男性はひげを蓄えた口をニッと引き延ばして笑った後、家族のもとへと帰っていった。
もらった飴を口に放り込む。何かのハーブだろうか、ニッキ飴のような甘みと辛みがあり人生で初めて食べる味がする。
残りの時間はひたすらその飴をなめ続け、どうにかたどり着くことができた。
降りるときにもう一度お礼を言おうとしたが、もういなかった。
何味だかわからない飴の包み紙を大切に鞄にしまう。
船はいつも降りるフェリー乗り場からは少し離れた場所に到着した。分厚い雲が日光を遮っており、夏の気候にはありがたい。
「何をしにここへ?」
「……イッチさん」
降りて早々、イッチさんが私を待ち構えていた。
声色は優しいけれど私の真意を探るような目つきをしていた。
さすがに島に入るとバレてしまうみたい。でも向こうから姿を見せてくれたのなら好都合だ。
のどが引きつる感じがする。結衣ちゃんママに教わったように、一度深呼吸してみる。
「休んでいいと教えてあげたでしょうに。それとも、忘れ物ですか?」
「ある意味、そうかもしれませんね」
「なら特別に私が取ってきてあげますよ。不躾な視線にさらされるのは、すみれも嫌でしょう?」
「……イッチさんは分かってるんじゃないですか?」
イッチさんは、指で空中にくるりと円を描いた。
一瞬、酸素が途切れたように息ができなくなってせき込む。
「諦めが悪いですねぇ」
「ッ……、ゴホッ、一体何を」
「この辺りに結界を張りました。何者も干渉できません……お姉さまたちだってね。これで気兼ねなく話ができるというものです」
見れば、観光客が私たちからある一定の距離を避けるように歩いている。本人たちも気づいていないようだ。
「さて、と。見たところ『穢れ』がいなくなっているようですが?」
私は懐から小さな巾着を取り出した。中には清めた塩が入っているらしい……結衣ちゃんママ談。
正直私にはピンとこないのだが、イッチさんが眉間にしわを寄せたところをみると効果があるらしい。
「誰かに入れ知恵されましたか」
「イッチさん、何でこんなことを?」
「こんなこと? 私は何もしていませんよ。スセリヒメの仕業とお伝えしましたよね」
「タギツ様が教えてくれました。イッチさんがわざと私をタゴさんから遠ざけようとしているって」
「……ふふ」
イッチさんがふわりと笑う。この目だ。慈愛に満ちた、春の日差しのような目。
およそ悪気がなく、心から相手を思いやっている。心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
「すごいですねぇ、すみれ。湍津お姉さまも味方につけてしまいましたね」
「そんなんじゃ」
「だから遠ざけるべきなのです。あなたは私たちに影響を与えすぎる」
イッチさんが何かを指さす。その方向を見ると、観光客にくっ付いて黒いもやが入り込んできていた。
イッチさんが私に分からない言葉をつぶやくと、たちまち黒いもやは蒸発して消える。
「田心お姉さまが弱っていなければ、本来あんなのが入り込む隙なんてありません。お姉さまがすみれを助けるためにどれほど道理をねじ曲げていたか知らないでしょう? ……信仰のない土地への介入なんて、無茶もいいとこです」
「響さんと桜さんの……」
「ええ。私が力を貸さなければ一人でもやる気でしたよ、あの人は」
どうして。
どうして、タゴさんはそんなに……。
考えが顔に出ていたのか、イッチさんは鼻を鳴らした。
「言ったでしょう。すみれは姉上の推しなんですから。知らないでしょうけど、この島で働き始めた初日から目ェつけられていますよ」
「えっ!?」
「人間の姿で商店街をぶらぶらしに行ったかと思えば、もみじ饅頭を持って帰ってきて大層ご満悦なんですもん。気になって話を聞き出してみたら『久々に面白い子を見つけた』だそうで」
そんなの記憶にない。
仕事初日は戸惑ってばかりで、稲田さんや美香さんの話をメモしながらもごちゃごちゃの頭で働いていた。
お客さんにうまく説明できなくて怪訝な顔をされたり、英語で道を聞かれても正確に答えられなかったりで……私がいる間に売れたのも一人だけだったし……。
「……あ」
確かに一人お客さんに売ったのは覚えている。女の人だった……ぼんやりとしか覚えてないけれど、まさかあれがタゴさんなの!?
「自信がなさそうで気になったんですって。あの子の道を整えられたらいいのに、神社に来てくれたらいいのにーって、そればかり。気になるから私も見に行ってみたら、お姉さまの言う意味が分かりましたよ」
「どういうことですか……?」
「すみれの道は、まっすぐなのに荒れていました。さびれた神社の参道みたいなものです。本来はとても立派で美しいのに、手入れがなく石畳も荒れ放題、草も生え放題。このまま放置すると危なそうな道……私たちがもっとも手入れし甲斐のある道といえましょう。お姉さまは、すみれの心に何か根深い問題があると見ていたようです」
「じゃあ、タゴさんが私をいろんな場所に連れてったのは……」
「すみれの道をきれいにするために決まってます……実際それはうまく行ったようですね?」
ピースがカチカチとはまりゆく。
タゴさんは、ずっと私のことを見守ってくれていたんだ。
ぽん、と頭をなでる手つきはいつだって優しかった。
「お姉さまのソレが推し活の範囲なら私だって全然止める気はなかったんですよ。むしろ、お姉さまとすみれの仲良しこよしを見るのは大変健康にいい……んん、ほほえましくもありましたし。ただ、事情が変わりました。私は人間を愛していますし、その中でもあなたは特別可愛い……でも、ペットはペットなのです」
「イッチさん……」
「私に思惑があったのは認めましょう。だけど、人間だって家族を守りたいと思うものではないですか? それは悪いことでしょうか」
私はすぐに言葉を返せなかった。だけど。
巾着を両手で握りしめる。
「お願いです、イッチさん。私をタゴさんに会わせてください」
「今のを聞いて、私が快く会わせるとでも?」
「思いません」
「なら……」
「でも! 私はタゴさんに会わなきゃ……あ、会いたい、です」
「……それはわがままではありませんか?」
「そうですよ!」
イッチさんは目を丸くした。
「わがままです! 分かってますよ。わ、私だって人間なんですから、わがままも言います!」
黒いもやに憑りつかれていたとき、本当に私の心が望むものを考えた。
誰のためにならないとか、空気を読まなくちゃとか、そういうので殺していた自分の気持ちをていねいに分解して、底に残った偽りのない気持ち。
「私は、タゴさんに会いたい!」




