5-3嵐みたいな
「……あ?」
「……お、お、おはよう!」
玄関を出てきた結衣ちゃんは、私の姿を認めた途端に苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……今日は、母は休みですけどね」
「え、お母さん?」
「お祓いに来たんでしょ? えぐい引き寄せ方してるじゃん」
ああ、そういや黒いもやに集られているんだった……自分に見えないと、実感がなくなってしまう。
「違うの。私は結衣ちゃんに用があって……」
「私はない」
「結衣ちゃん!」
ゴミ出しに行こうとする結衣ちゃんの道をふさぐ。結衣ちゃんは片眉を吊り上げた。
「……邪魔、どいて」
「ご、ごめん。どくけど、話がしたい、です」
「勝手に話せば。聞かないけど」
「あっ」
ひょいとかわして横をすり抜けられる。私は追いすがって話しかけた。
「あの日のことをどうしても謝りたかったの」
結衣ちゃんからの返事はない。それでも言葉を続ける。雨を吸ってぬかるんだ砂利道が音を立てる。
「あの日、結衣ちゃんや田口くんの前から逃げ出したこと、後悔してる。ごめんなさい」
ジャリジャリ。
「……今更謝ったって、許してもらえないと思う。自己満足って……思うかもしれないけど、いや実際そうかもしれないけど。でも、結衣ちゃんに何かを求めるつもりは本当にない。ごめんなさいって伝えたかったんです」
ジャリジャリ。
「たぶん結衣ちゃんも知ってると思うけど、今なんか変なことになってて……でも、そうなって結衣ちゃんのすごさに改めて気づいた。人に好奇心で見られるのって、すごくしんどいんだね。それなのに結衣ちゃんは学校に通い続けてる。それがどれだけ勇気のいることか、今、本当に分かるんだ。もしもあのとき私が結衣ちゃんの言葉を肯定できていたら、こんな思いは……」
ジャリ……。
結衣ちゃんの足が止まった。
「肯定していたところで何も変わらなかったよ。一人でハブられるか、二人でハブられるかの違い」
「え……」
「あたしらの家業が異端なのはよく知ってんだ。ってか、この学校だけじゃないし。何回も転校して、こうなった学校もあれば、ならなかった学校もあった。こんなんガチャなんだよ」
ゴミ捨て場にゴミ袋を置いた結衣ちゃんは、私の方に向き直った。
「それより、あたしが悲しかったのはすみれがあたしを信じてくれなかったこと」
「結衣ちゃ、」
「他の人なんてどーーーでもいいの。初めて本当に友達になれたと思った子が、あたしを置いてったのがムカついたの!」
びっくりして声が出なかった。
そんな私を見て、結衣ちゃんは不満げに口をとがらせる。
「ほら、しゃべったよ。なんか言えば?」
「や、だって……まさかそんな風に言われるとは思ってなかったから……ごめん」
「分かってなかったんだ。まーね、すみれだしね……いーよ、もう。あのさー、あたし半年後ぐらいにまた転校すんの」
「そうなの!?」
「だから、このままの距離ならもう触れないほうがいいのかなって思ってた。こんな……フ、変な根性見せてくるとは……フフ」
「だ、だって! 結衣ちゃんとまた喋りたかったから……」
「へー。あたしには何か求めるつもりはないとか言っておきながら、仲直りの要求ですか」
「う……」
言葉に詰まる。仕方ないじゃないか、本音のところは……。
結衣ちゃんはニヤリと笑った。
「そういうの嫌いじゃない。ってか、あたしだってねぇ……家族以外でコレの話ができるのが楽しくなかったわけないんだよね」
「あ」
結衣ちゃんは、私の肩に手を置こうとした。が、電気が走るような音がして勢いよく弾かれる。
「だ、大丈夫!?」
「うっわ、えぐ……よくもまあこんなに引っかけたね」
「どうなってるの……?」
恐る恐る尋ねると、結衣ちゃんは「んー」と考えるようなそぶりを見せる。
「一個一個は小さいんだけどね……量が多すぎて、無理やり小さい壺に閉じ込められてドワッと出てきてる感じ?」
「んん……?」
「イメージで言うと、カマキリの卵が孵化するときみたいな」
「カマキリの卵」
昔、理科の教科書で見た図が頭をよぎる。背筋がゾワッとした。
「あとはアリが餌に群がってるのとか、ハチの巣から幼虫がのぞいてるのとか……」
「アーアー! もういい、いいからっ」
結衣ちゃんはケタケタ笑っている。そうだった、この子結構いい性格してるんだった……。
「だから、うちのお母さんに祓ってもらいな」
「……あれ、今日は休みって」
「お客さまはね。友達なら話は別でしょ」
結衣ちゃんは、くるりと向きを変えた。
顔が見えない。でも後ろから見える耳のふちが赤い。
むずむずとした感情がみぞおちからこみあげてきて、私は衝動のままに結衣ちゃんの頭をなでた……が、結衣ちゃんには全力で逃げられた。タゴさんみたいにはいかないな。
そのまま結衣ちゃんの家に上がらせてもらうこととなり、私は気後れしつつも靴を脱いだ。
「んまあ~~! あなたが、すみれちゃんねっ」
「……お母さん、やめたげて」
「やぁよう、初めて結衣ちゃんが連れてきたお友達でしょ? それに、お母さんじゃなくて、マ・マ!」
出会いがしら早々に抱き着かれると、誰が予想しただろうか。
扉を開けた瞬間、私は隆々とした筋肉に包まれていた。結衣ちゃんが深いため息をついている。
やっと解放され、酸素を勢いよく吸い込んだ。
私を胸筋で圧迫していた人物を見やる。逆三角形の見事なボディでポージングしてみせてくれた。
「こんにちはぁ、すみれちゃん! 結衣ちゃんのママ。ボディビルダーやってます」
「……兼、霊媒師」
「んもうっ! そっちは副業っ」
「……ごめんね。霊媒師って健康な体が命なんだけどさ、筋トレにのめり込んでそっちも極めちゃったの」
「い、いいと思う……」
面前の光景の圧がすごい。これなら確かに黒いもやも寄り付かなそう……。
「今度フィジークの大会があるからよかったら見に来てねぇ~! もっとも、今は結衣ちゃんの言う通り霊媒師と名乗ったほうがよさそうねぇ?」
結衣ちゃんママが私の肩から腕に掛けて手のひらでなぞる。
すると体からズルリと何かが引っ張り出されるような感覚があり、気持ち悪さで思わずえずきそうになった。
「心と結びついちゃってる……このままじゃ負担が大きいわね。ちょっと待っててね?」
少しして戻ってきた結衣ちゃんママは、カップ一杯のお湯と小さなおにぎりをお盆に乗せて持ってきてくれた。
「食べてみて。しょっぱかったらごめんね」
「ありがとうございます」
言われたとおりに一口。確かに思いのほか塩が強かったが、それ以外に具は入っていないので味付けになってありがたい。
お湯のほうにも少し塩が入っているのか、舌先に少しだけからさを感じた。喉から胃にかけて温かくなって、ほう、と息をつく。
様子を見守ってくれていた結衣ちゃんママは、私が食べ終わるのを待ってお盆を回収する。その間に、結衣ちゃんが部屋の窓を開けていた。
「それじゃ、はじめましょうか」
除霊というからには、てっきり儀式めいた大がかりなものを想像していた。
けれど、実際には難しいことはなかった。
イメージとしてはお寺での座禅が近いだろうか。座ったまま目を閉じ、深呼吸する。
結衣ちゃんママの言葉に従って、吸って、吐いて、吸って、吐いて……そうしていると、だんだんと周りのようすに気持ちが向いてくる。風が肌をなで、鳥の声が耳をくすぐるのを、体で感じるようになった。
「すみれちゃん。声に出さなくてもいいから考えてみてね」
吸って、吐く。吸って、吐く。
「今あなたの心を悩ませているものは、なぁに」
……私の「異端」が皆にバレてしまったこと、かな。それから……タゴさんや皆さんに迷惑をかけてしまったこと。
「その悩みはどこから来ているの?」
どこから? どこだろう……きっかけはイッチさんの策略だけど……。
……いや、果たしてそうだろうか?
確かにきっかけはSNSでの動画の拡散だ。だけど、私が自分の力を変なものだと思って隠そうとしていなければ、こうはなっていない。
結衣ちゃんのように堂々と学校に通ったっていいんだ。お父さんとお母さんに全部報告したってよかった。
そうできないのは……それを阻んでいるのは、他の誰でもない。
「――私?」
また、体の中から何かが這い出ていく感覚。だけど今度は気持ち悪さがなく、むしろ少し体を動かした後みたいにすっきりした感じがする。
「OK、分離しやすくて助かったわ。もう目を開けても大丈夫よぉ」
「はい、ありが……ヒッ!?」
まず視界に飛び込んできたのは、結衣ちゃんママの笑顔……と、その手に握られる巨大な黒いもやの塊であった。
よく見るとおびただしい量のもやが集合して絡まっているのが分かる。大小さまざまな形のもやが集まって、モザイク絵のように一つの塊を成しているのだ。
塊の表面はわさわさと動いている。結衣ちゃんがカマキリの卵と言っていた理由がよく分かった……。
「そ、そ、それ……素手でつかんで大丈夫ですか……?」
「んふふ。心配してくれてありがと! でも大丈夫よ……ハイヤッ!」
結衣ちゃんママは両手のひらを体の端と端に目一杯広げ、
「合掌!!」
バァン!
そのまま勢いよく打ち合わせた。衝撃音が部屋の中に響き渡り、黒いもやが間に叩き潰される。
悲鳴を上げる間もなかったようだ。黒いもやは一瞬で圧縮され、ペラペラになってから霧散していくのが見えた。
……小さい頃、同じようにしてお父さんが蚊を潰していたなあ。
「すみれちゃん。すみれちゃん? えーどうしましょ、放心しちゃってるわ……ちょっと刺激が強かったかしらねぇ」
「違うわ、ママ。いろいろとイメージが崩れてってんのよ」
それから私が冷静になるまでどのくらいの時間がたったのだろう。
気づくと、結衣ちゃんちのダイニングテーブルで二人とお菓子を片手にボーっとお茶をすすっていた。
「……ん!?」
「こっちのチョコもおいしいわよぉ」
「ありがとうございます……じゃなくて! あれ!? 私、どうして」
「やぁーっと正気に戻ったのね、すみれ」
あきれたような顔で結衣ちゃんがお煎餅をほおばっている。
「すみれちゃんに憑いていたものは全部祓ったわ。お疲れさま」
「あ、ありがとうございました」
「いいのよぉ! 結衣ちゃんのお友達だもの。ただ、問題を解決するにはもっと根本的なところを変えないとダメね。処置はあくまで一時的なもの……元凶を取り除かないと、またあいつらが集まってきちゃうわ。何か思い当たることはあるかしら?」
頭の中に浮かんできたのは、厳島神社の入り口の景色だった。板張りの回廊、そのさきの本殿に座る3人の女神。
……この二人になら、話しても大丈夫だろうか。
ううん、二人の反応を心配する必要はない。私が、二人を信じるかどうかだけの問題だから。
「……あの」
覚悟を決め、私はこの夏休みに起こった出来事を結衣ちゃんと結衣ちゃんママに詳らかに報告した。
「……というわけで、私はイッチさんから締め出されちゃって手だてがないんです。どうしたものかと……」
「ばっか、簡単じゃんそんなの」
結衣ちゃんは、パンッと軽くテーブルをたたく。
「原因がはっきりしてるんだからそこにアプローチすればいいでしょ。『イッチさん』を説得すればいいんだって!」
「説得っていっても……そりゃ、イッチさんにこの問題を収めてもらえるなら一番だけど、タゴさんの不調の原因が私なんだから、取り合ってもらえないんじゃないかな」
「そこよねぇ。すみれちゃんは、田心姫命のことどう思ってるの?」
「……最初は、正直大変なことに巻き込まれたなぁと思っていたんです」
だって、有無を言わさず巻き込んでくるんだもの、あの神様……。
私はただ、宮島のアルバイトを始めることで少し自分の境遇を変えたかっただけ。結衣ちゃんを見捨ててしまった自分。学校に通い続けられない自分。頑張って周りと違う自分を押し殺しても、うまくできない自分……。
そんな事情などお構いなしに、タゴさんは私を引っ張って島中のいろいろな人と引き合わせた。
皆さん自分の事情にたくさん悩んでいて、そこには正解も不正解もなかった。人と人が関わった数だけもつれがあって、結びつきもあった。
まるで嵐みたいな神様。どうしてタゴさんは無理をしてまで私を連れまわしてくれたのだろう。
「確かにタゴさんたちにとって私みたいな『見える』人間は珍しいと思います。けど、タゴさんの感覚って100年も200年もそう変わらないみたいだから、少し待っていたらきっと代わりの人が現れたはずです。もっと上手にタゴさんのやりたいことに付き合える、もっと……優秀な人が」
自分で言っておいて、少し胸が痛んだ。
「そうねぇ。けど田心姫命はそうしなかったんでしょ? 何かしてほしかったんだとしたら、他でもない『すみれちゃん』にしてほしかったことがあるんじゃないかしらね?」
タゴさんが私にしてほしいことって何だろう。
思い浮かべるタゴさんはいつだって笑顔……というわけでもなかった。怒っていたり、あきれていたり、暴れていたりする。半分……いや、7割くらいそうかも。
タゴさんはいつも私に「正しいこと」を教えてくれたわけじゃない。でも人生に必要なことだと思う。
「タゴさんに会いに行かなくちゃ」
気づけば口から自然と出ていた。
「何ができるのか分からないけど、何かしてほしいのなら聞きに行かなきゃ」
だって私は神様じゃないんだし、心の声なんて分からない。
私はこの口で、声で、彼らと向き合うことしかできない。
私の言葉に、二人はニッと笑った。その顔が親子でそっくりだった。




