4-4くぎを刺す
……チーズインハンバーグはおいしかった。
誰よりも早く食べ終わってしまい手持ち無沙汰になる。
空気はすっかり和らいでいた。私は時間を確認するためにカバンの中でスマホを見ようとして「あっ」と声を上げた。
「どうかした?」
「あ、いや、何でも!」
そこには直前まで開いていたイッチさんのメモがあった。
そうだ、私USBメモリを響さんのタブレットに差しっぱなしだ!
「あー……あのー。私、響さんちに忘れ物したかもしれません」
「そうなの? じゃあ俺が取ってくるよ。何忘れたの?」
……言えない。本人を前に「あなたのタブレットに無断でつけたUSBメモリを回収してきて」とは。
それに、あれは私が運ばないと効力を失うのだ。
「えー……スマホ! スマホです」
カバンの中のスマホをこれでもかと押し込んだ。
「あの、スマホを人に触られるのちょっとダメっていうか、どうしても自分で探したくて……少しだけ家に上がらせていただけないでしょうか?」
「そっか、全然いいよ! 食べ終わったら戻ろう」
ホッとした。疑われなくてよかった……!
桜さんはこの後用事があるそうで、ファミレスを出たところで別れた。
私の食事代は二人が半分ずつ出してくれた。最初は断ったのだけど、「お礼の気持ちだから気兼ねなく受け取って」と押し切られた。
……やっぱり二人は私よりもずっと先輩だ。
響さんはすっかり私への警戒心を失ったようで、たわいもない会話で道中を楽しませてくれた。
もしかしたら私に同情してくれているのかもしれない。だけど、全然嫌味や遠慮を感じなかった。きっとこれが響さんの本来の持ち味なんだろう。こういう人には黒いもやは寄ってこなかったりする。
あっという間に響さんの家に戻ってくる。
玄関を開けると、奥で青い光が淡く輝いているのが見えた。ちゃんとデータが取れたみたい!
「俺も探すよ。あっ、触ったりしないから! 安心して」
響さんが後ろを向いた隙に、急いでタブレットからUSBメモリを引っこ抜く。
よし! これでミッション完了……。
「すみれちゃん? そのUSBは……」
やば、見られた!?
「違くて、や、その、これは……違くないですが、ワケがあって!」
私が必死に言い訳を練ろうとしていたとき、空気がガラッと変わった。
目の前で、響さんの表情が歪んだのだ。
「歪んだ」としか言いようがない。笑顔なのに、口の端は歪なほど持ち上げられ、目は睨みつけるように鋭い。
響さんの顔のはずなのに、見たことのない人のよう。
「見ぃつけた」
響さんの口から声が発せられた後、部屋の重力が倍になったようなプレッシャーを感じる。
「あなたが、例のお気に入り。ふぅん……なるほどなるほど」
彼は近寄ってくると私の顎をつかんで引っ張った。
痛みよりも先に苦しさに襲われる。息が詰まってせき込む私をつかんだまま、品定めをするような目つきで眺めていた。
「……ッ、ゲホッ……」
「田心姫の好きそうな色ではあるわねぇ。確かに使えそう」
「……あ、なた、誰ですか」
「ん?」
これは明らかに響さんではない。
それに、タゴさんに初めて出会ったときのような感覚がある。つまり、「そういうこと」だ。
「あら……あらあらぁ。アナタ『分かる』人間なのね」
「響さんをどうしたんですか」
「この体のこと? どうもしないわよぉ。ちょっと乗り移らせてもらっただけ……おっと」
突然手を離され、よろめいた。
すかさず部屋の隅まで距離を取る。響さんの手はぶるぶると震えていた。
「掛かりが甘い……さすがに間接的な憑依は無理ね。いいわ、目的は果たしたし」
そう告げるやいなや、響さんの体は背骨を失ったみたいに崩れ落ちた。ドタンッと、大きな音が響く。
「響さん!」
「ん……んー?」
「大丈夫ですか、響さん!」
恐る恐る肩をたたくと、響さんは大きなあくびをして体を起こした。
「……? 俺、寝てた? ウソッ」
「ど、どこか痛いところとかは」
「いや、ないけど……え? 何、俺気を失ってたの」
「……はい」
「やべー、何も覚えてねぇ……ごめんね。あ、スマホは見つかった?」
私はUSBメモリを自分のポケットに隠した。
「はい。大丈夫です」
それから、響さんは首をかしげながらも私に謝りっぱなしだった。
「駅まで送る」という提案を何とか断り、お礼を告げて響さんの家を出る。
「それじゃあ、今日はありがとうね」
扉が閉まり響さんの顔が完全に見えなくなったところで、全身からどっと汗が噴き出た。
足も手も震えて呼吸が浅くなる。今頃になって、怖さに体が追いついたみたい。
スマホを見た。16時。今から行けばまだ厳島神社の参拝時間に間に合う。
行かなきゃ。震える手足を叱咤し、私は本来乗るはずだった電停とは違う電停を目指すことにした。
***
「すみれ? 来るのは明日だったのでは……?」
「イッチさん!」
厳島神社の入り口で、実体化したイッチさんに出会う。
ラフな格好で右手にいつものカメラが握られている。撮影にでも行っていたのだろうか。
見知った顔を見て急に安心したのか、へにょへにょとその場で腰の力が抜けてしまった。座り込む前に、イッチさんが支えてくれる。
「大丈夫ですか?」
「はあ……イッチさん……これっ」
私はポケットからUSBメモリを取り出した。握りしめていたせいで、すっかり人肌に温まっている。
青く発光するUSBメモリを見て、イッチさんはニヤリと笑った。
「……んふふふ! よくやりましたね、すみれ。よーしよしよし」
「うわ、ちょ、ちょ……」
イッチさんが頭をなでてくる。タゴさんとは違い、大型犬を撫でるソレである。首がぐぃんぐぃんと曲がり、視界が揺らいだ。
「後は私に任せなさい。神崎という人間に、くぎを刺してやりましょうね」
「あ、ま、待ってください!」
意気揚々と神社に戻っていこうとするイッチさんを引き留めると、目線だけで「何か?」と問うてきた。
「響さんのことなんですけど」
「ええ。これで解放されることでしょう。よかったですね」
「そうじゃなくて、あの……何かが憑依していたみたいなんです」
「憑依?」
私は、先ほどの出来事をイッチさんにすべて話した。
「あれって除霊とかお祓いとかが必要なんでしょうか……イッチさん?」
イッチさんは何かを考え込んでいる様子で、時折口を開いたり閉じたりしている。
「ああ……いえ。除霊もお祓いも要りません。恐らくもう響くんに関わってくることはないでしょうから」
「それならよいのですが……」
「すみれが見たのは、恐らく須勢理比売命でしょう。田心お姉さまの、旦那の、本妻です」
「旦那の、ほんさ……え?」
「言うなれば第一夫人でしょうか。本人は嫌がるでしょうけど」
イッチさんの言葉で、タゴさんの悪態を思い出す。
『人間でいうところのビジネスパートナーよ。あちこちで婚姻を結んで勢力を広げてるとんでもない男だし、何なら熱烈な奥さんもいるしね』
……ああ! そういえばタゴさんって政略結婚しているんだった!
「少々嫉妬深い方でして、何かとこちらにちょっかいを掛けてくるんですよねえ……隙あらばお姉さまを蹴落とそうとしてくるんです」
「け、蹴落とす?」
「旦那の愛を一身に受けたいお方なのです。ふむ……そうですか」
イッチさんの神妙な面持ちに私も身構える。
「事情は分かりました。とにかく、これは私が請け負いましょう。今日のところはお帰りなさい」
「あの、タゴさんは……?」
「お姉さまは寝ています」
タゴさんの名前を出すと、急にイッチさんの口調が無機質なものに変わった。
初めてのことに身体が反射的にこわばった。が、すぐさまイッチさんの態度は柔らかくなって美麗な笑みを浮かべる。
「お疲れさまでした。ゆっくり休みなさい、すみれ」
「は、い……」
それ以上は聞けなくて、厳島神社へ戻っていくイッチさんをしばらく見つめていた。
なんだろう、心がもやもやする。
今日すべきことは全て達成したはずなのに、何かつかみ損ねているような、そんな気がした。
……そして、その予感は思ってもみなかった方向で当たることになる。




