3-4あの日のもや
どこから話せばいいか……うまく話せなかったらすみません。
私には仲良しの友達がいたんです。白羽結衣、という同い年の子が。
昔から私は変なものが見えてて……あ、そうです。お二人の姿が見えるのも多分それです。霊感、的なものですかね? 自分でもよく分かんないんですが……。
それで、他の人と違うって気づいたのは保育園のときでした。
部屋の隅に固まっている黒い物体に近づいた子に「危ないよ!」って声を掛けたんです。当時は他の子にも見えてるって思ってたから。
「何が?」って言いながら振り向いたその子の顔中に、その、黒いのがびっしりと一瞬で張り付いて。
しかも、こっちまで手を伸ばしてきて。私、怖くて、もう。無我夢中で逃げました。
でも、他の子たちはその子に平気で近づくんです。
友達に「あの子のこと怖くないの?」って聞いたら、「え、何で?」って。先生に言っても「仲間はずれはよくないよ」って……それで何かおかしいなって気づきました。
皆、まるで私が変なことを言ってるみたいに扱うんです。その友達も、私のことを気味悪がって一緒に遊んでくれなくなりました。
私の親ですか? ああ……子どもの戯言だと思って適当に調子を合わせてたみたいです。そう、だから気づくのが遅くなっちゃった。まさか両親には見えなかったなんて思ってもみなかったんです。
「黒いの」に張りつかれた子は、何日かして体調を崩してました。アレに憑かれると病気になったり不運が重なったりするみたいです。何回か同じようなことが起こって分かりました。
同時に、怖くなって。
私……私以外、誰にも見えないから。私がおかしいのかなって……。
――それからはずっと隠してたんですが、中学のときに彼女……結衣ちゃんが転校してきました。
* * *
「浜桐さんってアレ見えてるの?」
彼女と話したのは、隣のクラスにやってきて2日目。
図書室で、震えながら雑巾にしがみついている私に声を掛けてきたのだ。
彼女が指さした先は部屋の隅。小さな黒いもやが渦巻いている。
「アレ……って、なに?」
もしかして? いや、まさかね。私以外に見えた人なんて今までいなかったし。
私はその頃にはもう他の人には話さなくなっていた。変な子だと思われたくなかったのだ。
でも、今日は図書委員総出の掃除の日だった。端っこの机の近くにアレがいて、最後の机だけ拭けずに困っていたのだ。
「これだよ。ほら」
「うわっ」
彼女は黒いもやを手で直接つかんでこちらに持ってきた。信じられない!
とっさに腕でガードしながら後ずさりする私に、「怖がりだねー」と笑いかけてきた。
「大丈夫だよ。こんくらいのサイズじゃ悪さしないもん」
「え、え……?」
「机拭かなくていいの」
「拭く、けど」
戸惑いながら机を拭く。彼女はそのまま手洗い場へ行って蛇口をひねった。石鹸でごしごしと手を洗うと、普通の汚れみたいに分解されて排水口に流れていく。アレって水で落とせるんだ……?
我慢できなくて、私は戻ってきた白羽さんの腕をつかんだ。
「ね、アレって何? 何で洗えるの? 白羽さんは何で知ってるの!?」
「待って待って! 手、手!」
手? 白羽さんの視線を追うと、私の右手は雑巾を握ったまま白羽さんをギュッとつかんでいた。
「わー! ごめんっ」
慌てて手を離すと、白羽さんは軽く腕を払って噴き出した。
「ひ、必死すぎ……っ」
「だって……!」
言いたいことが山ほどある。聞きたいことも。でも何から話せば良いのか。
無人島で人を見つけた気分ってこんな感じに違いない。
「見える人珍しー。家以外で初めて会った」
「家? 白羽さんの家の人はみんな見えるの?」
「うん。だってウチ、代々霊能者の仕事やってるから」
ふっと頭に浮かんだのは、動画サイトのうさん臭い広告だった。「霊視であなたの未来を占います!~5分無料~」とか、そんなの。
でも、今見た光景に偽りがないことは私が一番よく知っている。素直に「そうなんだ、すごいね」と言葉が出た。
「なんか聞きたいことがありそうだけど、ごめん。今日習い事なんだ」
「……そっかあ」
「だから、明日の放課後でもいい? 帰りながら話そうよ」
うつむいた顔を勢いよく上げると、白羽さんに「犬みたい」と笑われた。
翌日、白羽さんはきちんと約束を果たしてくれた。住んでいる所が近くだと判明して、同じバスに乗って話を続ける。
「……じゃあ私にはあの黒いのは倒せないんだ?」
「倒すじゃなくて、『祓う』ね。うん、一般の人には無理。訓練が必要なんだよ」
「自力でなんとかできると思ったのに……」
「はは、残念そう。見える人んとこに集まりやすいからねー。昨日の程度だったら水で清めたり塩をまいたりすれば落とせるよ」
「ああ、だから手を洗って?」
「そうそう」
白羽さんとの会話は宝の山だった。インターネットでいくら調べても分からなかった答えが、この子からはまるで日常会話のようにポンポンと飛び出てくる。
聞きたいことが多すぎて、彼女の習い事がない日にはいつも一緒に帰るようになった。
白羽さんは私の質問攻めにも根気強く付き合ってくれた。何より、今まで自分だけだと思っていたことを分かってくれることの嬉しさといったら。
白羽さんを「結衣ちゃん」と呼ぶようになるのに時間はかからなかった。
だけど……忘れもしない中学3年生のあの日。
「何、してるの……?」
移動教室から戻ってきたところにできた人だかり。
円状に空いた空間の中に、結衣ちゃんはいた。
制服のスカートは水浸しになって、ぐっしょりとしていた。向かい合う生徒が持っている空のバケツからはポタポタと水が滴っている。それだけで何があったのか察せられた。
先に来ていたクラスメイトたちが、私の独り言に気づいてこっそりと耳打ちする。
「なんかぁ、白羽さんのお母さんと田口くんのお父さんがトラブってて、田口くんがインチキだって怒ってるみたい。除霊がどうとか悪霊がどうとか……白羽さんのお母さん、占い師らしいよ」
「え……っ」
「やばいよね、先生呼んだ方がいいよね……?」
「田口くん」というのが結衣ちゃんと向かい合っている人だろうか。顔を確認しようとし、一瞬で全身にブワッと鳥肌が走った。
……黒いのが。
黒いのが、首から上をすべて覆いつくしている。顔の輪郭さえも見えず、どこに目や口があるのかもわからない。スズメバチの巣のような、凸凹した表面の球体が顔全体をすっぽりと覆っていた。
とても真正面から見られたものじゃない。吐き気がこみあげて、手で口を覆った。
「うるせー! インチキのくせにっ、インチキのくせに! 何が霊能だ。お前の親の言うとおりにしたって結局無駄だったじゃねえか。俺んちから金をむしり取りたかっただけだろ? 認めろよ」
「違うって言ってるでしょ! 田口くんのお父さんはもう治らないの! お母さんが今やってる処置は、田口くんとか他の家族まで巻き込まないように被害を抑えるためで……」
「ほら、治らないんだろ! やっぱ無能! お前の親は嘘つき霊媒師だ! 俺の父さんをだましやがって」
「そうじゃなくて……あ」
すみれ!
結衣ちゃんが、私の名前を呼んだ。
瞬間、結衣ちゃんの視線に沿って人だかりが割れていく。モーセの十戒のように。
その先の、かの黒いもやと目が合ったとき、私は胃から急激に何かがせりあがってくるのを感じた。
「すみれも見えるでしょ! 言ってやってよ。あたしのお母さんはインチキじゃない」
すぐ隣から「え……浜桐さんもソッチの人?」 と戸惑いの声が聞こえる。
足元がぐらぐらする。
頭の中だけが妙に冷えて、白い景色が見える。
遠い昔、「もうすみれちゃんとは遊ばない。気持ち悪い」と言って手を振り払った保育園の友達のゴミを見るような目が、なぜか今思い浮かんだ。
結衣ちゃんの声が聞こえる。
目のないはずの黒いもやが、私を見て嬉しそうに笑って。
「……すみれ?」
ああ、駄目、だ。もう。
無理やり唾を飲み込んだ。胃の動く感触がリアルだった。
「知、らない。私には、分からない……ごめ……っ」
後ろから何かを言われた気がするけど、限界だった。
私は一目散にトイレに向かった。この気持ちの悪さと動悸を一刻も早くどうにかしたかった。
わざわざ1階まで走って、トイレの個室に駆け込む。
予鈴の音が鳴った。廊下は一気に静かになって、空気を読まないカラスの声だけが響き渡る。
涙が出た。きっとえづいたのが苦しいからだ。
結衣ちゃんは大丈夫だろうか。そう思えたのは、まるまる一つ授業をサボった後だった。
***
私が話している間、タゴさんもタギツ様も黙って聞いてくれた。
私のカフェラテはすっかり冷めていた。飲むと喉が潤っていくのが分かる。
「先生が仲介に入って、その場は収まったらしいです。でも、田口くんのおうちは……その後いろいろ起こったらしくて、学校には来なくなりました。それで、結衣ちゃんには変な噂がつくようになって……誰も近づかなくなったんです。私は、結衣ちゃんに避けられるようになりました」
カップを握る指に力が入った。
「あのとき、本当のことを言えなかったのがどれだけ結衣ちゃんを傷つけたか。でも……」
「アンタは、どうしたいの?」
「……仲直りしたいです。謝って、許してくれるなら」
「許すかどうかは向こうの判断だわ」
ケーキをつついていたタゴさんがフォークを置いた。
「前に言ったわよね。できるのは、どれを選ぶか決めるだけだって。いい? 他人なんてのは天気と同じ。晴れてくれとか雨が降ってくれとか、人間がどれだけ願っても思い通りにはならない。だから、仲直りがしたいなら、まずはアンタができることを考えなくちゃ」
「私ができること……」
結衣ちゃんは、こんな私を助けてくれた。
この間だって、見ないふりができたはずなのにわざわざ声で導いてくれた。
「私は、謝りたいです……っ」
こみあげてくる感情が抑えられず、目頭が熱くなった。
「ごめんって、あのときのことを話したい……それで……も、もし許してくれなくても……うう、ちゃんと謝りたい……」
何事かと見てくる他の客をタギツ様があしらっていた。
テーブルにうつむいた私の頭を、優しくなでる手があった。
ああ、この手にずっと助けられている。熱で溶ける氷のように、私の頬にはずっと雫がこぼれていた。




