48.
がばりと、私の方から腕を伸ばし、レイの身体をぎゅううと抱き締める。
「――好きよ、レイ――貴方のことが、好きなの……!」
「リーエ……っ」
抱き締め返される力と、口にしてはいけない想いを口にした反動と……素直な気持ちをやっと口にできた安心感に、堰を切ったように涙が溢れた。
好きよ、と譫言のように呟きながら泣き続ける私を、レイはひたすらに抱き締めていてくれた。
……どれくらい泣いていたのだろう。
ぐすぐすと微かに涙を引きずりながらもどうにか泣き止んだ私は、ぼんやりとした思考でレイの胸元に顔を寄せていた。
ガゼボの周囲、爽やかな風に揺れる、色とりどりの華々が眩しい。
黙ったままの私の髪を、レイが撫でてくれている。優しい手つきまでもが、私を好きだと言ってくれているようで、嬉しい反面、胸の痛みはまだ、続いていた。
「……君が素直になってくれて、本当によかったよ」
レイが心底安堵したような溜め息を吐く。
「君を迎え入れる為だけに、この数ヶ月苦労してきたんだ。倒れた君にも会いに行けず、方々走り回っていたというのに……。隣国になんて逃げられていたら、全てが水の泡だったよ」
「会いに来てくれなかった理由はわかりましたけど。迎え入れるためって、どういう意味なの?」
「言葉通りの意味さ。第一王子である僕の妃として、ジュリエッタ、君を王室に迎え入れる準備をしていたんだ」
「……レイ。貴方、大切なことを忘れているんじゃない? 私、貴方の弟に婚約破棄されてるのよ」
「そうだね」
なんでもないことのように相づちを打つ彼に、少しだけむっとする。
(私がどれだけ悩んだか、わかってるのかしら?)
「弟の元婚約者を妃にするだなんて、民にも貴族にも反対されるわ。陛下たちだって……」
「そこは問題ないよ。父上も王妃殿下も、君のことをあんなにも気に入っているんだ。君が了承さえしてくれたら、反対する人なんていない」
「そんな簡単な話じゃないでしょう? 貴族や国民達にはどう説明するつもり?」
「それも、抜かりないよ。明日の朝……いや、早ければもう、今日中には、王国中に<消えた第一王子の大恋愛物語>が広まっているはずだ」
「大恋愛……」
レイは得意そうに、ぱちんとウィンクする。
「僕と君のあれこれを、素敵な物語にして噂として流したんだ。明日の朝刊にも記事が出るはずだよ。皆噂が好きだろう? すぐに国中お祝いムードになる」
「まぁ……そんなことを……」
用意周到なことだ。そこまで根回しをしていたというなら、私に逃げられたくなかったというのも理解できる。
「貴族達への根回しも、あらかた済んでる。だからあとは――君の意思だけだよ」
レイは私から身体を離すと、改めて、私の正面に跪いた。
丁寧に揃えた指先を胸に添えて、もう片方の手が、誘うようにこちらへと差し出される。
「ユロメア公爵家令嬢にして、今代の神獣使い殿。僕――第一王子、レイナルド・アーヴェルトは、ジュリエッタ・ユロメアへ、正式に婚約を申し込む」
仰々しく述べられた口上は、彼の真剣ながら穏やかな声で、朗々と庭園に響いた。
差し込む斜陽が、レイを背後から照らし、彼のプラチナの髪を透かしてきらきらと輝いている。
(……まるで、おとぎ話の王子様のように、素敵な王子様)
これから王太子になり、この王国を支えていくであろう彼の手を……本当に、傷物の私が取ってもいいのだろうか?
手を伸ばしかけて、触れる前に躊躇する。
(本当に、本当にいいの? 私の選択で……レイがつらい思いをしたり、しないかしら?)
彷徨う私の手を見て、レイがちょっぴり、困った顔で笑った。
「もしも……本当にもしも、僕の妃になるのが負担だというのなら。誠に不本意ではあるけれど、断ってくれても構わないよ」
「レイ……」
「君に無理強いする気はないんだ。王子妃、ひいては王太子妃になるということは、大きな責任や苦労が伴うことだから。……ただ、これだけは覚えておいて。僕は、今、君に断られたからといって、他の令嬢を妃に迎えることはしない」
「そんなことは――」
「するよ。後継者なんて、どうとでもできる。養子を取っても良いし、ヴォルシングの子に引き継いでもいいだろう」
「そんな無茶苦茶よ……」
「僕なら、やってみせるよ。……今更、他の女性を愛することなんて、できない。それだけ、君を愛してしまったから」
彼は、冗談を言っているようには見えない。深い紫色の瞳が、愛しさを含んでこちらに向けられている。
……彼は、最後の最後に、逃げ道を用意してくれていた。
あんなにも根回しをしておきながら。私に、最後の選択権をくれた。その優しさと、彼からの深い愛が、私の胸を熱くする。
涙はもう、すっかり止まっていた。
「……貴方こそ、私のことを見くびりすぎているんじゃない?」
今度こそ、彼の手に、自分の手を乗せ――ぎゅっと握りしめた。
「私は、幼い頃から将来の王太子妃として、妃教育を受けてきたのよ? 今更、その肩書きや役割に尻込みなんてしないわ」
ぐっと背筋を伸ばして、捕まえた彼の手を思い切り引き寄せる。
バランスを崩しそうになったレイが、私の背後にあったベンチの背に手をつく。近づいた距離を更に縮めるように、私も自ら身を乗り出した。
「貴方の覚悟、受け取ったわ。……私、ジュリエッタ・ユロメアは、第一王子レイナルド・アーヴェルト殿下からの婚約の申し出を、受け入れます」
驚いたように丸くなっていたレイの瞳が、じわりと喜びに綻ぶ。
「……全く。本当に、君には敵わないよ」
指を絡めて、堅く手を繋ぎ直したレイは、満足そうに背後へと声を張った。
「――だって! 聞こえていただろう?」
「え?」
驚き、花壇の方を向くと――。そこには、先ほど涙の別れを果たしたはずの父が、なんともいえない複雑な表情で立ち尽くしていた。
「――お父様⁈」
反射的に、レイを押しのけて立ち上がる。父はガゼボの側まで歩いてくると、大きな溜め息を吐いた。
「王子殿下、リーエ。ご婚約、おめでとうございます。……と、祝福したいところだが。やはり可愛い娘の父親としては、なんとも複雑な気持ちですな」
「お父様、どうして……」
「リーエ。私は殿下に呼ばれたんだよ。お前の真意を確かめるから、証人になってくれ、と。……勿論、お前が最後まで拒むのなら、これ以上の邪魔はせず、隣国へ出立するお前を見送る、という条件つきでな」
大きな溜め息を吐く父に、レイは繋いだままだった手を見せつけるように握り直しながら、満足そうな笑顔を向けた。
「ほら。きちんと誠意も見せたし、根回しもしたし、こうしてリーエにも受け入れてもらったぞ」
「はい。……まったく。本気を出した殿下に出来ないことはありませんでしたね。……リーエ」
父が、温かな声で私を呼んだ。その瞳が、一瞬だけ鋭さを帯びる。
「本当に、いいんだな? 第一王子殿下の婚約者として、いずれは王太子――妃となるまで。この国のために、生きていく覚悟があるんだな?」
「はい、お父様」
迷うことなく、しっかりと頷いてみせる。
握ったレイの手が、温かい。この人が側に居てくれるなら、きっと何があっても大丈夫だと、迷いなく未来を信じることができる。
「わかった。お前の意思だというのなら。この父は、お前を祝福しよう」
「ありがとう、お父様……!」
ふわりと雰囲気をやわらげた父の背後から、黒い子猫が飛び出してきて、私の肩に着地した。
「話はまとまったみたいだな」
「ロロ!」
気を遣ってくれていたのだろうか。ロロを胸元で抱き直すと、綺麗な青色の瞳が、私を見上げて優しく細められた。
「おめでとうリーエ。お前の幸せが、俺の一番の喜びだ」
「……ありがとう、ロロ」
「礼ならほら――他の奴らにも、言わないとな」
ロロの視線を追って、再び父のほうへと――庭園へと、視線を戻す。
庭園には、何故かぼろぼろのアルト兄様とウォルター兄様、馬車のところに置いてきてしまったマーサとパーシー卿や、ミオまでもが勢揃いしていた。
「ジュリエッタ様!おめでとうございます!」
「レイ殿下!ううう、よかったッス!本当に!」
「お嬢様!おめでとうございます!」
「くそう……リーエを泣かせたら、許しませんからね!殿下!」
「……俺も、許しません」
わいわいと祝いの言葉が投げかけられる中、レイがそっと私の腰を引き寄せ、寄り添った。
「皆、ありがとう!これからもよろしく」
レイの言葉に続いて、私も笑顔で、庭園の皆へ感謝を伝える。
「本当にありがとうございます、お父様、お兄様たち。マーサも、パーシー卿も、ミオも。皆ありがとう!私……」
言葉に詰まった瞬間、ぽろりと一粒。今度は、幸せに溢れた涙が、頬を滑り、夕焼けの空に金色に輝いた。
「私絶対……!幸せになるわ!」




