47.
すぐに通された謁見の間は、人払いがされていた。
すぅ、と息を吸いこみ、腹部に力を入れ口を開く。
「ジュリエッタ・ユロメア。両陛下へ出立のご挨拶に参りました」
「待っていたぞ、ジュリエッタ。顔を上げなさい」
さらりと広げていたスカートを放して、姿勢を正す。玉座に座る国王陛下と王妃殿下は、寂しさが滲む瞳でこちらを見下ろしていた。
「その外出着……。本当に、国を出るつもりなのですね」
「はい、王妃殿下」
「本当に寂しくなるわ。……貴女はいずれ、王室に嫁いできてくれるものだと、そう思っていたから……ごめんなさい」
「そう泣くな。ジュリエッタが、国を離れづらくなってしまうだろう」
話しながら、はらはらと溢れる涙を拭う王妃殿下に、玉座を立った国王陛下が寄り添い、肩を抱いた。
「かくいうわしも、本心としては引き留めたい気持ちでいっぱいだがな。ジュリエッタ以上に、国を任せられると思える令嬢はいないゆえ」
「……申し訳ございません。そのように仰って頂いて、とても光栄です」
再び深く頭を下げた私に、国王陛下は優しく頷いてくれた。
「良い。そなたの事情についても、聞いておる。何より、そなた自身の意思を尊重したい。……新しい土地でも、元気で過ごすのだぞ」
「ありがとうございます。国王陛下。王妃殿下」
最後にもう一度、丁寧に礼をして、その場を退室する。
謁見室の扉が閉まりきる最後まで、国王陛下と王妃殿下は、寄り添いながら手を振ってくれていた。
「それじゃあ……挨拶も済んだし、私は行きますね」
ここまでずっと付き添ってくれていた父に、声を掛ける。いつも疲れたような顔で、困ったように眉間に皺を寄せてばかりいる父は……今、いつも以上に眉間の皺を深くして、くしゃりと歪めた顔で私を見ていた。
「ああ……そうだな。いつ、レイナルド殿下に気づかれるかわからない。早く行った方がいいだろう」
涙ぐむような声に、こちらまで涙腺が緩んでしまいそうだ。ふるふると頭を振って、精一杯の笑顔を返した。
気遣いを嬉しく思いながらも、出されたその名前にまた、ちくりと胸が痛む。
お父様にも、仕事があるだろう。ここでお別れしなければ。
「ジュリエッタ……どうか、身体に気を付けて。いつでも、帰ってきていいのだからね」
ぎゅう、と一度、握られた手は、とても温かかった。
「ありがとう、お父様。お父様も、どうかお元気で」
名残惜しく感じながら、手を放す。
城の正面玄関のところでは、マーサが待っていてくれていた。
彼女と馬車を見て、ようやくほっと肩から力が抜ける。
――よかった。これなら、レイと会わずに出立できる。
「お嬢様」
「待たせてごめんなさい、マーサ。行きましょう」
マーサの手を借りて、馬車へと足を掛けた――その瞬間だった。
「――ジュリエッタ!」
その声に、弾かれたように振り向いた。
頭が考えるより先に、身体がその声に引っ張られる。
この声は、レイの……っ。
「行くな、ジュリエッタ!」
ふわっと浮き上がった身体が、強い力で馬車から引き離される。
視界いっぱいに、プラチナ色の輝きが広がる。
一瞬のうちに、私は彼の腕に力一杯抱き締められていた。
ぎゅううっと、死んでしまうのではないかという強さで、心臓が締め付けられる。鼓動が胸を打つ。
至近距離で合った彼の目は――あのガラス玉のような瞳ではなく、キラキラと内側から発光し続けているような、眩しい輝きを宿した、深い紫色をしていた。
「レイ……っ⁈貴方――」
驚く私をぐい、と肩に担ぎ上げて、レイは鮮やかに踵を返す。
「ジュリエッタをちょっと借りるよ……!」
「えええ⁈」
「お嬢様……っ!」
焦ったようなマーサの声に、レイの肩越しに顔を上げる。
揺れる視界に、パーシー卿がマーサへと懸命に頭を下げている場面が見えた。
「ちょっと、レイ……っ!」
「すぐそこだから!」
「そういう問題じゃ……!待って、どうして貴方がここにいるの? アルト兄様とウォルター兄様は……っ」
そうだ。レイのことは、お兄様たちが足止めをするって話だったのに。レイがここに居るってことは、お兄様たちは……?
「安心して。ふたりとも、闘技場で伸びてるだけだから」
「えええ……」
それはそれで、どういうことなのか。
混乱した私の鼻先を、ふわりと濃い花の香りが掠めた。気づけば、レイは王宮の庭園へとやってきていたようだ。
走るのをやめたレイが、庭園の更に奥へと歩みを進める。
外出用のドレスというのはとても重量があるものなのだが、そんな私を抱えたまま走ったというのに、レイはかけらも息を乱していなかった。
(そういえば……この先にあるのって……)
予想通り、続く美しい庭園は少し先で白い柵で区切られている。行く先には、騎士が警護する門があった。騎士達は、レイの姿を見るとびしっと居住まいを正し、深く頭を下げた。
レイは、その門を通り過ぎ、区切られた区画――王族専用の庭園へと足を踏み入れる。
――それは、疑いようもなく、彼が何者であるかの証明だった。
王族専用として丁寧に世話され、整えられた庭園の中。真っ白な大理石で作られたガゼボまで来て、レイはやっと私を下ろしてくれた。
ふわりと、壊れ物でも扱うかのようにベンチに下ろされる。やっと正面から向き合った彼は、質素な神官服ではなく、きっちりとした貴族令息の格好をしていた。
先ほども見たが、今、目の前にいる彼は、深い紫色の瞳をしている。輝く瞳は真っ直ぐに私を見つめていて、これまで見ていたガラス玉のような彼の瞳は偽物だったのだと、すとんと納得できた。
「……レイ」
「うん」
「貴方なのよね」
「うん。そうだよ。僕だ」
迷いながら伸ばした手を、彼は優しく掴んでくれる。指先で感じた体温に、じわりと胸にこみ上げるものがあった。
「……レイナルド、王子殿下」
「……うん。そう。僕がレイナルドだ」
静かな彼の声が、美しい花々の中に響いた。
「でも、君にはいつも通りにレイ、と。気軽に呼んでほしいな」
「無理よ。私はただの公爵令嬢だもの。王子殿下に、そんな無礼はできない」
「ジュリエッタ――」
レイが何かを言いかけたけれど、私はそれを遮るように、言葉を続けた。
「何かご用でしょうか、王子殿下。私、これから親戚の元へ出発しないといけなくて」
「……ジュリエッタ」
「隣国なので、早く出発しないといけないんです。なので、他に話がないなら私は――」
「――リーエ!」
耐えかねたように、レイが声を荒げる。私の目尻からは、ぽろりと涙が零れた。
「……もうやめて、レイ」
情けないことに、私の声は震え、ともすればしゃくり上げてしまいそうに苦しかった。
それでも、告げなければいけなかった。
「お願い。さようならって。元気でねって、言って? そうしたら、私も笑顔でお別れを言うから」
「いやだ。別れなんて、言わない」
「だめよ。言って。……わかるでしょう? 貴方は第一王子。これから王太子になって、相応しい相手を……っ」
引きつりそうになる喉に、手を添える。最後まで、伝えなければいけないのに。身体がいうことを利かない。
「……っ私じゃなくて、誰か、相応しい人を、妃に迎えないと――」
「――だから君は、こんな風に僕を置いて行くっていうの?」
ぐっと、レイが身を乗り出してくる。ぐしゃりと表情を歪めて、辛そうな表情をした彼がいた。
「僕に何も告げずに? 勝手に身を引こうと? ……どうして、相談してくれなかったんだ? 君が遠くに行ってしまうと聞いて、僕がどれだけ焦ったかわかる? これまで計画してきたことが、全て水の泡になりかけた、僕の気持ちがわかる?」
「そんなの、知らない――」
「だろうね。だからこんなに残酷なことをしようとしたんだ。僕の苦労も知らないで……。リーエじゃない、誰か別の妃だって? 君以上に、僕に相応しい相手がいるとでも?」
「レイ……」
「傷ついた。僕は本当に傷ついたよ、リーエ。僕たちは確かに、気持ちを言葉にしたりはしてこなかったけど……。それでも、互いを想う気持ちだけは同じだって。君も、僕と同じくらい想ってくれているって、そう信じていたのに――」
レイの言葉が、心に突き刺さる。既に蓋をして、心の奥底に押し込めたはずの気持ちを、容赦無くえぐり出してくる。
「小難しい政治の話とか、世間とか。他のことなんてどうでもいい。リーエ、君の気持ちは? 君は、僕を想ってくれていないの?」
「それは……っ」
「欠片でもいい。少しでもいいから……僕のことを想ってくれていない?」
(――想ってるわ!レイ、貴方のことを、苦しいくらい……!)
でも、言ってはいけない。言ってはいけないのだ。
「やめて、レイ……!お願い!」
涙で前が見えない。ぎゅっと閉じた瞼の向こうで、レイが動いた気配がした。
温かな体温に、全身を包まれる。
半ば強引に触れ合った唇が、熱くて熱くて、溶けてしまいそうだった。
乱暴に触れ、離れた彼の唇が、耳元で熱い吐息を漏らす。
「――言ってよ。僕を好きだって」
彼の言葉に、私の中にあった最後の壁が崩れ落ちたのを感じた。




