46.
更新、大変お待たせをいたしました!
完結まで書き切ったので、本日より完結まで、毎日18時に更新します!
残りの物語もどうぞ、よろしくお願いいたします!
そよそよと心地良い風が、窓際のカーテンを揺らす。
静かな昼下がり。膝の上で丸くなった子猫姿のロロを撫でながら、ジュリエッタは青空を眺めていた。
小さなノックの音と共に、マーサが顔を出した。
「あらお嬢様!もうお支度済まされてしまったんですか?本日はお身体の調子は悪くありませんか?ご気分は……」
「マーサったら大袈裟ね。もう2週間も経つのに、まだそうやって心配ばかりして」
「まだ2週間ですよ。……そうです。まだ、2週間なんです……」
ぐす、と涙ぐむ声に、私は困ってしまう。
「マーサ……」
「それなのに……お嬢様、本気なんですか?」
「ええ。もう、決めたことだから」
その声に、迷いの色は全くなかった。
マーサも、それ以上は何も言わず、静かに頭を下げる。
「……お嬢様がそう決められたなら、私は従うまでです。たとえそれが、遠く離れた地であろうとも」
「……ありがとう」
マーサの深い愛情に、ほんの少し、うるっときてしまった。
「ナナリーは、先に向こうに行っているのよね?」
「はい。お嬢様のことをローザマリー様へお伝えした後、そのままあちらでお嬢様のお迎え準備をしております」
私が隣国に行くと聞いて、いち早く動いたのはナナリーだった。
叔母様の元へ私の願いを伝える役目も買って出てくれて、彼女はもう一週間前から隣国の叔母様の屋敷に滞在してくれているらしい。
『私はジュリエッタ様の侍女です!絶対にお連れください!』
泣くでもなく、真っ直ぐな瞳でこちらを見上げてきた彼女の芯の強さは、眩しい程だった。
別の使用人が持ち帰った叔母様からの返事には、ナナリーを褒める言葉がずらりと並んでいた。
「早く行かなくちゃ。ナナリーが寂しがってしまうわ」
「そうですわね。……では、参りましょうか」
涙をこらえて、マーサと一緒に荷物の確認をした。
がらんと整理された部屋。荷造りされた数個のトランクと、遠出用の、いつもより豪華なドレス。
最後にもう一度だけ振り返り、私は、生まれ育った部屋へ静かに別れを告げた。
――あの誘拐事件のあと、様々なことが目まぐるしく変わっていった。
主犯だったアリサは、罰として辺境の山奥にある教会へと幽閉されることになり、生涯をそこで聖女としての祈りに費やすことになった。
彼女は、邪な気持ちから邪気に深く浸食されてしまっていて、完全に浄化するには、神殿や教会のような神聖力が満ちる場所で数十年過ごす必要があると目されているそうだ。
当の本人はと言えば、あの時の浄化の光にあてられて、すっかり大人しくなってしまったそうだ。
表向きは、聖女の療養のため……となっているそうだが、あの子のやらかしは噂でばっちりと広まってしまっているらしい。社交界は今や、聖女アリサの本当の姿にまつわるあれやこれやの話題で持ちきりだそうだ。
アリサのことだけではなく、王室でも大きな発表があり、貴族たちを驚かせた。
――長年、病気で伏せっているとされてきた第一王子・レイナルドの、王室への正式な帰還宣言だ。
美しく聡明な第一王子が、突然、王位継承権を持って戻ってきたことは、それまで第二王子ヴォルシングを支持してきた貴族たちに衝撃を与えた。
婚約者である聖女アリサの数々の悪評と、第二王子の力量を考えれば……第一王子に鞍替えしようと考えるのも当然のことかもしれない。
年頃の娘がいる家門では、第一王子と我が家の娘をどうやって近づけるかと血眼になっているなんて話まで出回っている始末。
社交界も貴族界も、そんなこんなで大変なことになっている、らしい。
……まぁ、この国を出る私にはもう、すべて関係のないことだけれど。
胸の中で鈍く痛む気持ちに蓋をして、涙の涸れた瞳で前を向く。
玄関ホールに集まっていた使用人たちが、涙ながらに見送ってくれる。温かく私を育ててくれた皆に、笑顔で手を振って。
屋敷の玄関先に用意された馬車に乗りこむと――予想外の人と目が合った。
「え――お父様?」
すでに王宮へと出勤したはずのお父様が、なぜか仏頂面で腕組みまでして待っていた。
「どうしてこちらに……。もしかして、お父様も叔母様の所へ行かれるのですか?」
そう。私はこれから、隣国に住む叔母の所へと向かう予定だった。
名目上は、花嫁修業……となってはいるが。実のところは、無期限での国外逃避のためだ。
あの騒動の後、目が覚めた私自身がそうすることを決めて、必死に引き留めようとする家族達を、10日かけて説得したのだ。
お兄様達なんて、「俺たちを置いていくのか……?本当に?」と、ショックすぎて真っ青になったのを最後に、口も利いてくれなくなってしまった。
お父様も、苦い表情で黙り込んでしまっていたから、顔を合わせること自体、4日ぶりくらいだったりするのだが……。
何かを察したのか、それまで子猫姿で黙ったまま私に抱かれていたロロが、ぽふんとクロヒョウくらいの大きさに獣化して、低くぐるる……とうなり声を上げた。
「リーエが決めたことを邪魔するなら、父君といえど許さない」
ロロの凄みに、お父様は慌てて両手を振り弁明した。
「誤解です!邪魔をするつもりはありません、この通り」
「……ならば、いい」
ロロはしばらく、ぐっと頭を下げるお父様を見つめていたが、気が済んだのか私の足下に寄り添うようにして座り込んだ。
ほっと顔を上げたお父様に、じろりと視線を向ける。
「それで、私を止めに来たのでないのなら、どうしてお父様がこちらにいらっしゃるのですか?」
「お前の邪魔をするつもりはない。だが……国王陛下と女王陛下が、お前に会いたがっているんだ」
「陛下たちが?」
「信じてくれ、陛下たちも、お前を引き留めようなどとは思っていない。ただ……お前には多大な迷惑を掛けたと、心を痛めていらっしゃる。せめて、旅立ち前に挨拶がしたいと仰せなんだ」
「…………」
俯いた視線の先で、膝に置いていた拳に、無意識に力がこもっているのに気づいた。
幼い頃から、本当の娘のように可愛がってくれた、国王陛下と王妃殿下。
私がロロを奪ったと疑われそうになったときにも、私の潔白を信じてくださった。そんな二人に、情がないわけじゃない。
隣国に行けば、もう二度と、この国には戻ってこないかもしれない。彼らにも、会うことはないのかも……。ならば、挨拶くらいしておきたいと思う。
けれど――。
王城には。きっと、彼がいる。
彼から逃げるために、彼を求めるこの恋心を断ち切るために、隣国へ行く決心をしたというのに。
もし、彼に会ってしまったら。私は……。
迷う私の手に、そっと温かな温もりが触れた。
「……お前が迷う気持ちも、わかる。第一王子殿下に会いたくないのだろう?」
「お父様……どうしてそれを」
驚きに目を瞠り、私の手を握るお父様を見つめる。お父様は、皺の刻まれた疲労の濃い顔で、にこりと笑んだ。
「心配するな。レイナルド殿下のことは、アルトとウォルターに足止めを頼んである。お前が陛下たちへ挨拶をする間は、顔を合わせることもないだろう」
「お兄様たちが?」
「あの子たちがお前をどれだけ大切に思っているか、知っているだろう?俺たちを信じろと、言っていたよ」
その言葉に、涸れたはずの涙がちょっぴりこみ上げてくるような気がした。
口を利いてくれなくなった彼らだが、最後までこうして、私のために動いてくれるのだ。本当に……本当に、素敵な兄たちだ。
「お嬢様。旦那様もこう仰られていますし」
「……そう、ね」
隣に座るマーサの優しい声に、懸命に作った笑顔で頷き返した。
「わかったわ、お父様。出発前に、陛下たちへご挨拶します」
「ありがとう、ジュリエッタ」
お父様がコンコンと窓を叩き、御者へ王宮へ向かうよう指示を出す。
動き出した馬車の中。ロロに手を差し出すと、察した彼は再び子猫の姿に戻り、膝上へと飛び上がってきた。
滑らかな黒い毛並を撫でて、ぎゅうと抱き締める。
(お願い。もう少しだけ……この国を出るまで、耐えて)
レイを想って痛む心臓を宥めるように、王宮に着くまでずっと、ロロの体温を感じ続けていた。




