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戦国クラス転生  作者: 月本 一
300/301

299 派閥政治

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は05/03(日)

(1582 一条房基(60))

 国会議事堂は名古屋京のほぼ中央にある。北部にある御所と公家屋敷群と南部にある武家屋敷群との中間に位置していた。武家屋敷群は織田家を中央とし、東に東北・関東、西に九州・中四国といった具合に日本の縮図のように大名家が配置されていた。武家屋敷群の南側に旧将軍御所として名古屋城があり、その周辺に各奉行所が配置されていた。名古屋城は首相官邸となり、奉行所も省庁に名を変え、再編と増改築が行われている。


 国会議事堂の北側には広い演習場が広がっていた。将来的な議員増を想定し、数十年先に議事堂の新設のための場所であったが、今では人力車の駐車場と増築された車夫の休憩施設になっていた。国会議員達はほぼ人力車で通っていた。大大名は議員秘書も人力車を使うし、議員会館に常勤する者もいた。


 ほどなく演習場は人力車の展示場になった。各家が装飾に拘り、華美を競うようになった。メンテナンスやカスタマイズを行う業者も出入りし、待機している車夫相手の屋台まで並ぶようになった。人力車は驚く早さと規模で普及した。馬を飼育しなくて済むことが大きかった。人力車を置くスペースと車夫を1人雇えば済んだからだ。雨の日の移動も楽だし、秘書は徒歩で着いてくればよい。中には車夫と秘書を兼業させる家もあった。


 議員会館では派閥ができつつあった。法案のほとんどが内閣から提案されたもので、議会は理解するのに精一杯で、審議で討論できるレベルの者は少なかった。旧幕府で公布された諸法度はそのまま運用されたが、憲法は草案段階で成立していなかった。最初の派閥は西国同盟の諸国を集めて一条義輝が起こした勉強会から始まった。一条義輝は西四国(土佐・伊予)代表の議員。西中国(周防・長門・石見)の大内義房、豊後の大友家、中国の毛利家・吉川家・小早川家、南九州(薩摩・大隅・日向)の島津家が加わった。転生者は一条義輝、毛利隆元、小寺孝高(黒田官兵衛)の3人。小寺孝高は小早川家家老職からの議員。島津義久は領地運営を優先し、弟の島津家久が議員として名古屋に来ていた。西国同盟から閣僚は出ていないが、転生者達は法案作りには参加しており、秘書を含めて法案の主旨や目的を説明し、次代の育成を進めていた。


 西国同盟から遅れたが、旧幕府勢力を中心とした派閥も生まれた。松平家康(武蔵)、竹中重治(蝦夷)、本多忠勝(肥後)、織田信行(筑前)、柴田勝家(肥前)、伊達輝宗(陸奥)らは領地運営のため国元に張り付いており、名古屋家老がそれぞれ議員を務めていた。関東の大大名は織田家の重臣達が配置されており、織田との同盟もあって今川義元は旧幕府側の派閥に入っていた。


 関東征伐、東北征伐で敗北した小大名の多くはその後も冷遇されていたため、西国同盟に庇護を求めて派閥入りをした。衆議院では10万石未満が1票、10万石毎に1票加算される制度のため、旧幕府側が圧倒的多数を占めていたが、幕府体制と変わらない状況であり、大きな衝突は起きていなかった。


 一方、参議院は1人1票であった。宮廷政治の色が濃く、細かな派閥に分かれていた。大きくは摂家毎の派閥と寺社関係者の派閥である。当初は議員会館での勉強会ではなく、御所に持ち帰っての密談であったが、鷹司家での会合が次第に大きくなっていった。一条家の武家屋敷は一条義輝が家主として住むようになり、私や母玉姫、妻雪姫は鷹司家に身を寄せていた。私は帝からの相談を受けて御所に上がることが多く、妻雪姫達は鷹司家を継いだ孫の側が居心地が良かったことがあったからだ。御所に上がらない時は議員の子弟を集めて、国会で何が行われているか、政府が提案している法案の解説、政府が行おうとしている政策の意図などを説明するようになった。私が不在の時には千利休や松永久秀(74)などを呼んで講義をしてもらった。


 これまで政治に係わっていた公家は、堂上家の中でも摂家・清華家・大臣家・羽林家といった家格の家だけであったが、発言力を高めるためや参議院の議員を増やすために、名家や半家からも議員になった者も多く、100以上の家が議員を出しており、彼らやその秘書を集めて勉強会を行った。鷹司家の屋敷の周囲には人力車がぐるりと停まるようになった。元々、政治に係わりのある家も多かったため、衆議院の派閥会合よりも白熱した討論が行われる場になりつつあった。


 御所の門前には二条家と九条家が並ぶ。西端から一条家、近衛家、九条家、二条家、鷹司家の並びとなっていた。鷹司家は土佐一条家に二条家から嫁を迎えて再興された。九条家は二条家から養子を迎えて存続していたから、摂家のパワーバランスは二条家が主導権を握っていた。譲位後に一条内基が関白を辞し、二条豊実が関白になった。だが、帝が政治から遠ざけられる流れの中ではおそらく最後の関白になるだろう。公家には新しい政治体制への危機感が強い。これまでの摂家の垣根を越えて、一丸となって政治に取り組もうとする熱があった。

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