282 鷹司家再興
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次回更新は01/04(日)
(1577 一条房基(55))
年が明け、織田信長が征夷大将軍に就任した。元号は元亀から天正に改元されることになった。織田幕府の始まりと元号が変わることで、多くの儀式や行事が行われている。私は正二位准大臣の立場で公家の人間として関わり、表には出ずに裏方に徹した。
改元の件ではひと悶着があった。伊予の銭鋳所を廃して大坂に移転し、幕府が管理することになったことに続き、医学校を名古屋に移すことに帝が不快感を示したのだ。医学校には各地の大名からだけではなく、公家や寺社からも学生が集まっていた。私塾から幕府の管轄になることへの危惧もあったし、朝廷を支え続けた一条氏から功績を奪うとの誤解を解くのに苦労することになった。強い幕府を作ることの一環だと説得をしたが、今度は朝廷の中で織田幕府脅威論が起こった。議会が機能し始め、多くの法案が審議されるようになった。政策の提言や役所や裁判所などの新たな組織が実体化し始めていた。言われてみれば正論に聞こえて反対し辛い話が怒涛のように押し寄せていたのだ。武家を中心とした衆議院に公家を中心とした参議院は押され気味であった。
30年以上前に断絶していた鷹司家を土佐一条家が再興する案が関白二条晴良から奏請され、宮中に参内することになった。京一条家の当主である一条内基から経緯は聞いており、摂家は合意しており受けざるをえない状況のようであった。
「高山国にいる一条房和殿に鷹司家を再興していただきたいと考えております」
関白である二条晴良が切り出してきた。
『・・・・今は房和は高山国から離れるわけには参りません。晴良公のお子ではいけませんか?』
次の関白になるであろう九条兼孝は二条晴良の長男だ。九条家に跡取りがいないために九条家に養子に入っている。二条晴良にはまだ男子がいたはずだ。
「幕府に強く当たれる人物がよい。今は無理ならば房基公が鷹司家を一旦継いでいただいて、ゆくゆくは房和殿に継いでいただいてもよい」
今更、宮中政争や幕府との勢力争いに巻き込まれたくはない。
『呂宋が西班牙に攻め落とされました。高山国の軍事力を強化しなければなりません。房和はあきらめてください。そもそも鷹司家は近衛家の分家だったはずですが、近衛家の血筋で復興させるわけにはいきませんか?』
「近衛家は後継以外は女子ばかりだし、皆まだ幼い。帝は房基公の一条家をお望みである」
近衛前久が答える。
『(一条)房平の子ではどうでしょう。右も左もわからないのは同じこと。遷都が終わる頃には鍛えられているでしょう』
孫の上の二人は元服している。申し訳ないが、事態を円満に収めるためにはどちらかに鷹司家になってもらおう。
「仕方ありません。お孫さんは結婚相手はお決まりですか?」
『二人は元服しており、一人は元服前。誰に鷹司家を継がせるかは息子と相談することになるでしょう。結婚相手はあらためて皆さまにご相談させてください』
「それより、呂宋が攻め落とされたとは一大事ではありませんか。大丈夫なんですか?」
『長い間、戦が続いていましたので、西班牙が疲弊した戦力が整うまで数年は必要だろうと見立てています。元々、西班牙は明との交易が目的でしたから、脅威にはならないと考えています。詳しい状況がわかりましたら説明させていただきます』
高山国から倭寇を排除したが、明の沿岸や呂宋へ追いやっただけで、太い交易相手でもあった。西班牙が呂宋占領に手間取ったのは、メキシコと呂宋は年に一度の長期航路で戦力補充も年単位だったことと、高山国近辺の倭寇が呂宋に流れたことで戦力が拮抗したことによる。高山国は両者に物資を供給して多大な利益を得ることができた。これまで東南アジアへの対策は四国が独断専行で進めてきたが、西班牙が呂宋を確保した今後は、織田幕府と対外政策を相談していくことになるだろう。
本能寺の変は天正10年(1582)。史実では鷹司家は二条晴良の四男により再興されています。当時、5摂家のうち3家が二条晴良の子でした。
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