281 ●本多忠勝
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(1577 ●本多忠勝(25))
幼少時は松平元康と駿府で過ごした(168話)。織田信秀と今川義元との同盟は信長の代になっても続いた。桶狭間の戦いは発生せず、松平家は織田家の家臣として織田と今川の緩衝地域となった西三河の統治を任されることになり、松平元康と共に岡崎城へ戻ることになった。三河周囲に戦場はなく、松平家は各地の戦場を渡り歩くことになった。
戦のイロハは柴田勝家に教わった。戦技の数々は前田利益に教わった。松平家の家臣の多くは今川派であった。松平元康の駿府生活では手厚く扱われていたし、多くの家臣が今川の家臣から嫁をもらっていたからだ。私は松平元康が岡崎に戻ってから元服し、織田家筆頭家老であった柴田勝家の娘と縁を結んだ。私を引き立てて政治的地位を引き上げるためと、松平家内に織田派の勢力を増やすための政略結婚であった。
松平元康が衆議院の議員として上洛するに伴い、私も同行することになった。松平元康は形式的に息子の松平信康に家督を譲り、国元を任せた。信康には酒井忠次や石川数正らが支える盤石の体制が整えられていた。私は榊原康政らと共に上洛し、京では多くの戦場を共にした転生者達と再会し、旧交を温めた。名古屋遷都計画の会合にも参加していたが、幕府からの意向で伊予へ赴くことになった。竹中重治(29)を筆頭とし、一条家の持つ銭鋳所閉鎖に立ち合う任務の補佐役に任命されたのだ。帰京したら今回の功績で幕府の重職を任される出来レースだという。最近では戦場が恋しくなっている。
竹中重治は土佐に留学経験があり、伊予の官僚の中にも知己がいた。滞在は快適であったし、愛媛の街の発展具合を十二分に実感することができた。伊予の銭鋳所では豊富秀吉(36)が待っていた。金貨や銀貨の型は目の前で破壊された。貨幣鋳造を再開しないことを確認するために、幕府から監視目的で派遣される役人が数年在住する屋敷も確認した。任務を終え、豊富秀吉と会談する機会を得た。
「ご苦労さまでした」
「焦らせないでいただきたい。こんなに円滑に事が進んだ種明かしをしていただけると聞いています」
竹中重治が身を乗り出して聞く。
「貨幣鋳造は一大名の役割を超えています。痛くもない腹を探られる」
『利権としては美味しいでしょう?』
「金貨、銀貨、銅貨、全て混ぜ物をしています。合金です。これは貨幣の強度を上げるために必要なことです。金貨や銀貨は混ぜ物をすることで利益率を高くはできますが、混ぜ物が多過ぎれば商人達には嫌われますので、本位貨幣でない名目貨幣には安定した政府が必要です。一大名の役割を超えているというのはそういう意味なのです」
丁寧な言葉遣いはイメージしていた秀吉とずいぶん違っていた。
『手の平で転がされたと津田信広殿は落ち込まれていましたよ』
「今回の銭鋳所移転が成功案件と捉えられていないことは承知しています。円滑に進めているのはデメリットではなくメリットを早く感じてもらうためです。いくつか提案もあります。まずは金貨と銀貨を四角形から楕円形に変えることです。微々たる量ですが、コスト削減と同時に商人達に政府の存在感を強く印象づけられるはずです」
「次に大学校の移転です。転生者以外の人には天文学や数学、化学の学部の重要性は認識しづらいでしょうが、医学は別です。医者を養成するために全国の大名達が若い学生を土佐に送ってきています。土佐は学問の都なのです。全国の有力者が一目置いて、土佐と結びつきを強めたいと考えています。その根幹である大学校を名古屋に移転させるのです。一条氏と並び立ちたいならば基礎から組み立てるべきです。奪うような考え方では駄目ですよ」
「私が土佐に留学していたのは20年前だ(202話)。医学ではなく農学を学んだ。美濃に戻っても土佐ほどには改革が進まなかった。生産性向上よりも領土を奪うことに力点が置かれたからだ。農学校も誘致したいな」
竹中殿が答える。
『銭鋳所移転はこちらの思惑と違って利がなかった。大学校移転も裏があるのでは?』
秀吉に問う。銭鋳所は一条氏の力を削ぐつもりでいたが、幕府に利がなかった。押し付けられたという意見もあったほどだ。
「正直に言えば裏はあります。全国から学生が集まっていますが、学費も生活費も無償で運営しています。大名から多くの寄進もありますが、一条の負担は増えています。研究開発も年々高度になっていますので、教育機関としての機能は国立機関として幕府にお願いしたいわけです」
『正直過ぎでしょう』
「優秀な若手が四国に集まり過ぎている現状を説明すれば、理解は得られると思いますよ。新たな功績として昇進にも箔付けできるでしょう」
『秀吉殿を引き抜くことができれば大手柄なんですが、中央で力を奮ってみるおつもりはありせんか?』
「私の豊富家と弟の木下家は末代まで大恩のある一条氏に仕えていきます。功績は十分です。これからはあなた達が頑張る番ですよ」
『功績が十分とは?』
「私の名前は最初の遣欧使節団の主席正使として歴史に残ります(224話)。フランシスコ・ザビエル一行との記録。遣欧使節団の旅行記。私が執筆したこの2つは将来、重要文化財になるでしょう。歴史に爪痕を残した自負があります。今は日本国内よりも西欧交易のほうが面白い。ポルトガルやスペインだけでなく、イギリス、ドイツ、フランスとも繋がることができています。天文学、数学、医学については日本が遥かに先を進んでいて、西欧からの留学者が増えています」
歴史に爪痕を残したと言い切った秀吉。私はこれから何ができるだろう?
「我々は安定した政府と、柔軟で革新的な思考ができる上層部が欲しい。竹中殿や本多殿のように若い世代には早く上に昇っていただきたい」
秀吉は簡単に言うが、政治の世界ではひよっこ同然だ。25歳はこの時代決して若いわけじゃない。しっかり爪を研いで爪痕を残したい。
「家康に 過ぎたるものが二つあり 唐の頭に 本多平八」
個人的には”唐の頭”は内藤信成のことだと考えています。
石川数正は松平家家臣のままです。桶狭間で井伊直盛が亡くなっていないので井伊直政は井伊家を継いでいません。徳川ならぬ松平四天王は井伊直政の代わりに石川数正。なお、織田と今川の争いが早い段階でなくなったため本多忠勝の父は亡くなっていません。
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