283 外交対策会議
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次回更新は01/11(日)
(1577 一条房基(55))
織田信長の征夷大将軍就任に伴い、多くの行事が行われた。議員を辞退した千利休と共に将軍の相談相手として御伽衆という役職を与えられた私は、二条城に出入りするようになった。情報を共有するための私的諮問機関の顧問のようなものだ。意見は出すが、対応する部署の設立、役割の振り分けは幕府側の仕事になる。転生者各自が多忙なため懇談会、〇〇検討委員会、△△制度審議会など名称やメンバーを変えながら、小さな会合や大きな会議などを重ねていた。
外務委員会として来てみれば、思っていた以上に多くのメンバーが集まっていた。
『西欧と東南アジア情勢の説明をして欲しいと聞いて来ましたが、今日は参加者が多いようですね』
「西班牙が呂宋を占領したと聞いている。少しでも記憶を持つ者は集まるように声をかけさせてもらった」
『イスパニアではピンとこないでしょうから、この後はスペイン、フィリピンなどの名称で説明させてもらいます。スペインはずいぶん前からフィリピンの中心に位置するセブ島を拠点として、最も大きな島であるルソン島に侵攻していましたが、昨年になってほぼ征服したようです』
「史実ではもう少し早くに征服したのでは?」
『四国から多くの民を高山国と呼ばれている台湾に移住させ、台湾から倭寇を追い出しました。その倭寇の多くがフィリピンに流れついています。フィリピンのイスラム勢力と海賊衆がスペインに抵抗した結果、マニラを取ったり取られたりで戦乱が長引いたようです』
スペイン、倭寇にそれぞれ物資を供給して儲けた話までここで話すつもりはない。
「四国から台湾に移住した? 倭寇を追い出した?」
『原住民とは共存共栄できています。台湾は全域が一条の統治下にあります』
「そんな兵力が土佐にあるのですか?」
『隠さずに話をしておきます。四国は完全に徴兵制が整っています。15歳以上の男子には兵役、女子には労役の義務があります。伊予と土佐に限って言えば、40歳以下の男子のほとんどは鉄砲を撃った経験があります』
兵役と言っても2年。ほとんどが予備役のまま軍人に戻ることはない。鉄砲を撃てると言っても当てられるわけでもないし、20年以上前の鉄砲など博物館にしか置いていない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。台湾は九州と同じくらいの大きさだ。一条氏の勢力規模は10カ国を超えるのではないか?」
『台湾の説明は改めてすることにしましょう。今回は皆さんの知見を聞きながらスペイン、ポルトガルへの対応について考える集まりでしょう』
「ポルトガルはそろそろスペインに併合されるはず。1580年のはずだ。軍事的に恐れることはない」
「スペインも無敵艦隊がイギリスに1588年に敗れて衰退していく」
「徳川幕府の時代はオランダとの貿易だった。100年前後の周期で西欧の主導権は変遷していく。オランダ、イギリス、アメリカ。僕たちがこちらに来る前にはアメリカの凋落が始まっていた」
「オランダと言えばヤン・ヨーステンもそろそろ流れ着く頃では?」
「ヤン・ヨーステン?」
「東京の八重洲の地名の由来になったオランダ人だな」
「ウィリアム・アダムスも一緒だったはず。武士になったイギリス人だ」
「三浦按針だな。どちらも徳川家康が抱えていたとなると1600年前後だろう。20年以上先の話にならないか?」
「待て、待て、待ってくれ。収拾がつかなくなる。それぞれ思い出せる範囲でこの時代の海外情勢をまとめて、書面で提出してくれ。まとめた上で正式に外交対策諮問会を立ち上げよう。今はスペインの話をしよう」
『フィリピンでの交戦で疲弊したスペインを撃破することは可能です。この地域での虐殺や迫害を食い止めることができます。ただし、西欧から遠く離れたアジア地域ならば優位を保てるでしょうが、食い止め続けるだけの持久力はないでしょう。国内が統一されていない今は、友好な交易関係を維持するしかないと思います』
「スペインは中南米から東南アジアに進出してきた。ポルトガルはインドから東南アジア。目的は香辛料と明の絹や絹織物、陶磁器だ。スペインやポルトガルと対立するよりも、未開拓な北米に進出するべきではないだろうか?」
「樺太からアラスカを目指してもよいのでは?」
「朝鮮や明に出兵するよりも建設的に思えますが、まずは国内を統一してからでしょう」
『統一しなくても準備はできます。「富国増民」です。台湾開拓は大変でした。10年近く土佐から食料、資材、生活物資を供給しました。戦がなくなり、衛生状況も良くなって民が増えたから、移民を送ることができました。まずはそれぞれの領地を富ませることが大事です』
「台湾に話を戻すが、明と対立はしていないのか?」
『台湾は蛮族の住む辺境扱いで明の一部ではないので、明との衝突はありません。朽木元綱殿に聞いたのですが、明は今の皇帝になって衰退が加速するようです。明の滅亡について記憶のある方は書面をまとめておいていだけると助かります。豊臣秀吉の朝鮮出兵がないことの影響も考える必要があるかもしれません。それと銀の問題もあるようです。スペインはメキシコやインカの銀を明に運び、明の絹を購入してメキシコ経由でスペインに運ぶのだそうです。スペインと明との交易の遅れがどう作用するかわかりません』
「明の次は清だったか。1636年」
「分裂していた時期があるから明の正式な滅亡は1644年。大きい国だからじわじわと衰退していったのだろう」
「西暦で覚えているから脳内変換が面倒だな」
「そう言えばユリウス暦からグレゴリオ暦に移行したのが1582年10月だからそろそろだね」
「暦法についても考えなくてはいけないのか。これは別途、部署を立ち上げる必要があるな」
転生者の集まる数が増えると脱線も増える。暦法か。遷都後、譲位のタイミングで行うことになるだろう。
ユリウス暦からグレゴリオ暦:1582年10月4日の次の日が10月15日、10日間が省かれた。なお、導入したのはカトリック教圏のイタリア、スペイン、ポルトガルなどの一部のみ。イギリスは1752年、日本は1873(明治6)年に導入
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