273 ●足利義元周防へ
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次回更新は12/02(日)
(1575 ●足利義元->義秋(34))
織田勢力から逃れて御所に逃げ込んだ時点で、将軍職返上の覚悟は決まっていた。父義冬も御所に逃げ込んだ後、私に将軍職を移譲した。幕臣達が面会に来るが、皆自分の保身のための話しかしてこない。信頼できるのは大内義房だけであった。その大内義房は自身では力不足だからと、交渉人として一条房基を推挙してきた。阿波平島に戻るつもりはなく、何度も話し合いを重ねて、しばらくは周防に身を寄せることに決まった。将軍職を返上し、名を義元から義秋と改めた。
年老いた母と共に母の郷里である周防へ移る。幕臣のうち、一緒に周防に移ることを決めたのは四名だけであった。彼らと彼らの家臣、その家族ら200名ほどと共に数隻の帆船で都を離れた。慣れぬ船旅は最悪だった。御所では酒を控えるしかなかったが、船旅では船酔いのせいで体が酒を受け付けず、完全に断酒することになった。
船旅に慣れた頃に伊予にある愛媛という街(松山)に立ち寄る。四国の政務の中心地らしい。巨大な大通りには立派な屋敷が続いていた。京よりも壮麗で活気のある様に圧倒された。過去には多くの帝が行幸され、厩戸皇子(聖徳太子)も訪れたという道後温泉で旅の疲れを癒していたところ、一条義輝(39)が訪ねてきた。
「前回お会いしたのは西欧から戻って演奏会を行った時でした(226話)。14年ほど前になります。一条公が義父なのはご存じでしょうが、実の父は12代将軍である足利義晴公でした。一条公に救いあげられ、これまで守っていただきました」
『・・・・・』
衝撃的な話に言葉が出ない。
「この事は近衛の家は知っています。私の妻は織田信長の妹です。私の出自は信長も知っています。結婚の条件は足利として担ぎ出さないことでした。私も私の子供達も足利を名乗るつもりはありません」
『な、何故今になってその話をしに来たのだ?』
「1つは将軍でなくとも生きて行けることをお伝えしたかった。私は西欧に渡り、見聞を広めることができた。演奏会では関東を含め、全国各地を旅しました。子宝にも恵まれました。将軍になれなかった直後は途方に暮れましたが、今では将軍になれなくてよかったと思います。幸せかどうか、充実しているかどうかは自らの心が決めることです。地位や官位で決まることではないのです」
『・・・・』
まっすぐ見つめてくる義輝は浅黒く日焼けし、髷も結っていない。どこか亡き兄に似ていた。従兄弟であるのだと感じた。
「2つ目に、一条公は信頼できる方だ。父が将軍だった頃から幕府とは良い関係ではなかったですが、私に外へ飛び出す機会をくださった。仕事を任されることは多かったですが、強制されることはなかった。最終的には私の意志で決めてきました。何かやりたい事や困った事があれば頼ってよい方です。もちろん、私もお力になります。あなたは決して一人ではない。それだけは覚えておいてください」
短い会見ではあったが、張り詰めていた気持ちが楽になった気がした。愛媛の地は忘れられない地となった。ここでは足利の血が続いている。またここに来よう。そう思い、周防に向かった。
周防では大内義房から5000貫(1万石)の所領が分け与えられた。これは家督を息子に譲った大内義房の隠居領の半分であった。この所領の中から周防まで付き従ってくれた家臣達に与える所領を含めた分与だった。家屋敷は新しく建築中で、今は大内義房のために用意されていた屋敷を明け渡されて住むことになっていた。一方、大内義房自身は京に戻り、幕府や朝廷との外交のため、大内家の京屋敷で暮らすことになるそうだ。
『すぐに京へ戻るそうだな。世話になった。感謝している』
「お傍から離れたくはないのですが、兄房基から、味方が一人でも多く欲しいと言われております。今回のことでは兄には面倒をかけましたので、少しでも力になりたいのです。義秋様はここ山口で十分に英気を養ってください」
『房基殿にも礼を伝えてくれ。それにしても房基殿はどうしてここまでしてくれたのか?』
「兄には何か別の物が見えているのだと思います。決して義秋様を利用しようと考えているのではなく、義秋様を支えることで、何か均衡を取ろうとしているのではないかと思います。不思議なことに何年か経って、あぁ、この事だったのかと気づかされることがあります」
『先見の明があることは確かだな。愛媛の街には圧倒された。京より遥かに栄えていた』
「大内の家を継ぐ前に伊予を整えました(166話)ので、お褒めいただき嬉しいです。周防も伊予を目標にしています」
『私は山口の街の方が落ち着いていて安心するな。母上も周防に来て明るくなられた』
「私の母上も再会できたことを喜んでいました」
大内義房の母と私の母は姉妹であった。数十年ぶりの再会に涙し、大寧寺で亡くなった大内義隆の墓に参って涙していた。
『京で困ったことがあれば何でも知らせてくれ。私が書状を書けば公家も武家も無下には出来ないだろう。それからこの刀を預けておく。「笹丸」と言えば私の信頼の証として通用するだろう』
そう言って刀を渡した。将軍家伝来の一振りである。周防に着いてから伊予の一条義輝の元にも刀一振りを送った。私が最後の将軍になるのならば、伝来の重宝を維持することも難しくなる。義輝に刀を送った時に、何故だか身が軽くなった気がした。京に未練はない。これからは大内家の御伽衆として恩義に報いていこうと思えた。
義元は義秋に改名。足利義輝の弟が還俗した時に名乗った義秋を使いました。足利義昭が将軍になったのは1568年。この話では担ぎだされないまま一条院門跡から興福寺別当になっています、
義輝に預けたのは大典太光世。
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