272 名古屋遷都構想
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
次回更新は10/26(日)
(1575 一条房基(53))
織田陣営との会談は続いていた。
『朝廷と親密になるためにも、譲位される帝の仙洞御所の建設に協力してはどうか?』
将軍が無関心だったため、まだ場所さえ決まっていない。
「そのことなんだが、いっそ名古屋に遷都できないものだろうか?」
『せんと? 都を移すのか!』
「清洲越しの知識を持つ者がいた。ほぼ20年後に起こる慶長地震(1596年)の後、徳川家康が清洲から名古屋に都市移転を行っている。学校の自由研究で過去の地震一覧の知識を持つ者もいた。直近では10年後に天正地震が起こる(1586年)。20年後の慶長地震は伊予、豊後、伏見で発生する。その後更に10年経って、全国的な津波の被害が発生している。名古屋城の築城は30年以上先、関ケ原の戦いの10年後の話だ。清洲から名古屋への都市移転は、それまでの地震の影響が大きかったようだ」
『・・・・』
伊予の地震は他人事ではない。全国的な津波被害となれば、土佐でも大きな被害が発生するのだろう。20年後に生きているか定かではないが、準備や対策に時間的余裕があるのは助かる。詳細が知りたい。
「元々、天正地震を口実にして、それまでに準備を整えてから推進する計画だったのだ。帝の譲位は予定外だったし、義元に将軍職を返上させるのも5年以上先のつもりでいたのだ。ここで京に仙洞御所を造るのではなく、都全部を名古屋に移す。仙洞御所も名古屋に造ってしまえないものかと考えている」
『莫大な金がかかるぞ』
「戦いは止める。戦費は引っ越し費用にする」
『簡単な話ではないぞ』
「簡単な話にしてしまうのだ」
『日本統一はしないのか?』
「北は越中。西は長門。東は駿河。この範囲内で政府を樹立する。元々、天下とは畿内一帯を意味しているから、北海道から沖縄まで武力鎮圧しなくとも天下統一は宣言できる。アメリカだって最初は13州から始まった。後から併合するなり、臣従してくるのを受け入れるなりすればよい。貧しい地域や血縁関係や過去の怨恨が複雑な地域など、後回しにしたほうがよい」
『関東はどうする?』
「新政府に加わるかどうかは北条氏の判断に任せる。遷都は全国の守護に献金を呼びかけることになる。江戸開発にかけた費用を名古屋開発にかける。名古屋の副首都は大坂でよい。対外貿易をしていない江戸は博多や小田原より小さな街のままになるだろうし、それでよい」
『京はどうする?』
「寺社の移転に手を貸すつもりはない。奈良のような街になるのではないかと考えている」
『これがお前達の総意というわけか?』
「内戦で時間と資金と資材と人を消耗し続けるのは無駄でしかない。他を圧倒するまとまった勢力になるまでに時間が必要だった。西日本の一条・毛利・大内が臣従してくれるのであれば、これ以上軍備拡大をせず、内政強化へ力を注ぐことができると判断している」
『合衆国のような形態を想定したなら大統領制は考慮しなかったのか?』
「アメリカ、ロシア、中国を見れば、権力が1人に集中した時の怖さは皆が知っている。馴染みのある政治体制を目指すことに反対者は出なかった」
『・・・・・』
「・・・・できると思うか?」
『・・・やると決めて、やるしかないだろう。朝廷をどう説得するか?』
「畿内が安定して、これから深い関係を構築していくつもりだった。房基殿は飛び抜けて官位も高く、帝や摂関家に一目も二目も置かれている。朝廷との交渉役をお願いできないだろうか?」
『・・・・仕方ないな。毛利隆元も呼ぶぞ。朽木元綱も加える。2人ともお前達より官位が高い。特に朽木元綱は公家との縁がある(飛鳥井家)。この時代の知識も豊富だし、何より歳が若い(26歳)。長いプロジェクトになるから、中心人物に育てたい。そちらからは若い織田長益、竹中重治に昇殿できるまでの官位を取らせて、朝廷との交渉に加わってもらいたい』
「ずいぶん積極的だな」
『四国の民の為にも乗り遅れないようにしたい。そこまで話し合っているのならば、現地調査くらいは済んでいるのだろう?』
「いや、まだ具体的には動いていない」
『・・・・5年で済ませるつもりだったが、そんな調子では10年以上掛かるぞ。お前達、50歳を超えるぞ。・・・・信玄も呼ぼう。駿河・甲斐・信濃での開発の経験が豊富だ。専門家との伝手も多いはずだ。名古屋の都市計画に加わってもらうのがよいだろう』
朝廷との協議に使える要員が足りない。一条義輝も呼ばねばならないだろう。10万人を優に超える引っ越しになる。陸路だけでなく、大坂から名古屋へ海路での移動も多くなるだろう。資材、建材、人足、技術者、莫大な利益と利権が絡むことになる。豊富秀吉には儲け話全般を任せる話をすることになるだろう。総動員体制になるが、武力統一の話でないならば情熱を注ぐだけの意欲は湧いてくる。
清州越えは社寺3社110寺、町屋約2700戸、6万人の引っ越しだったと言われています。
面白いと思った方、
ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。




