表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国クラス転生  作者: 月本 一
269/301

268 ●信玄その後

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は09/28(日)

(1574 ●今川義元(55))

 前将軍であった足利義冬の死を知ったのは、信濃国守護だった小笠原氏を下し、松本城築城中の筑摩郡だった。信濃国の大半を手中に収め、残る有力国人は村上氏のみとなっていた。義父武田信虎は山内上杉氏と村上氏の攻略に手こずり、信濃東部の一部しか領地を拡大できずにいた。その武田信虎は隠居し、信玄の弟武田信繁が家督を継いでいる。


 情報伝達のスピードが遅すぎるため、前将軍の法要にも間に合わず、その他の対応も二手も三手も遅れてしまう。前線からは退いて、対外交渉に注力する時が来たと感じた。体感として移動速度と伝達速度が3日以上かかると、問題の対処の難易度が大きくなる。一条氏が四国から出なかったのも一理ある。畿内に進出していたとしても、百利あったかもしれないが百害もあっただろう。


 駿府に戻り、前将軍が亡くなったことへの対応をしている最中に、義父であり、信玄の父である武田信虎の死の知らせが届いた。


 信玄は今川領で河川整備で鍛えた土木部隊とともに甲斐に戻った(205話)。人質として残っていた息子の義信と再会し、土佐から夫人と子供達を呼び寄せ、家族が揃った。ほどなくして妻子を駿府に送り、単身で甲斐国内の河川整備に取り組む。甲斐の風土病であった「日本住血吸虫」への対処も始めた。対処の情報源は毛利隆元だった。毛利隆元が信玄と出会ったのは前将軍足利義冬の将軍交代の時だった(176話)。日本住血吸虫の被害は甲斐だけでなく、関東・中国・九州でも発生していた。毛利隆元は前世の小学校時代の地域学習で学び、自由研究の題材にしたこともあって多くの知識を覚えていた。薬の開発は困難であるが、中間宿主であるミヤイリガイの存在がわかっただけでも大きな一歩であった。


 信玄は元々追放されていた身である(138話)。今川領の河川整備で長く活躍してたため、軍事には関わらずとも、今川勢力の手先と見なされ、良い待遇は受けなかった。数年を経て結果が出るようになり、庶民の人気が出始めると、今度は疎まれるようになったため、今川が侵攻した南信濃に活動の場を移した。


 信玄が甲斐で活動していた際に武田家の家臣から引き抜いた一人に真田昌幸がいた。真田幸村の父(仮)であり、転生者である。真田昌幸は7歳で人質として武田家に入り、武田信繁の近習になっていた。この時既に信玄は甲斐国を追放されていたため、昌幸は途方に暮れたと言う。信玄が帰国を許されて戻ってきたところで昌幸から接触し、信玄が願う形で信繁から信玄の近習に配置転換された。その後、昌幸は元服を機に信玄から送り出され、高智大学校へ入学することになる。


 信玄(53)は甲斐で10年、南信濃で5年活動した後、今川が作った駿河大学校に招聘され、真田昌幸(27)とともに後進の育成を行っている。河川整備に関しては第一人者であり、高智大学校から多くの人員が学びに来ているほどだ。真田昌幸の立場を強くするために私の末娘と結婚させた。子にも恵まれたが、現武田家当主である信繁(幸村)の名を付けることはなかった。


 その信玄とともに武田信虎の法要に甲斐へ向かうことにした。先触れを出し、急ぎ同行する三千人ほどの兵を整えるため時間はかかったが、四十九日の法要にはなんとか間に合う予定である。三千の兵はそのまま上野・信濃への抑えとして甲斐に駐留することになる。


「このような形で再び甲斐に戻ることになるとは思いもしませんでした。いろいろと配慮していただきありがとうございます。義兄上」

 出発前に話し合う機会を得て、信玄が深々と頭を下げてきた。


『大勢引き連れていく中にいれば安全だろう。それに相談役を受けてくれたから立場も強い』

 信玄は駿府大学校の校長に昇進させ、相談役も兼任させた。今では完全に今川の家臣である。


「こんな日が来るとは」


『お互いにな。我も信長に討たれることなく、こうして長生きしている』


「今川のおかげで武田家も滅びることなく済みそうです」


『お前が武田家を継がなかったせいで、武田は大きくなれなかった。上杉と争うこともなく、徳川と争うこともなかった』


「私が武田家を継いだとしても大きくはなれなかったでしょう」


『これから更に未知の歴史になる。中央は織田・斎藤が押さえるだろう。関東は北条の勢いが凄まじい。彼らの思考を読むことが肝心だと思っている。頼りにしているぞ、相談役』

 家督を譲り、孫も生まれた。老いたつもりはないが、義父である信虎が亡くなったことで、先が見えた気がした。今川を大きくするのではなく、今川を残すためにどうすれば良いのか、考えを転換する分岐点が来たのだろう。

 真田昌幸は真田家の三男で、武田家臣の武藤氏の養子に入り、長篠の戦いで兄2人が戦死したため真田の家督を継ぐことになりました。この話では武藤氏の養子に入ることもなく、山手殿と縁が結ばれないため、真田信繁(幸村)は誕生しません。父と兄は武田信繁に仕えていますし、子に信繁の名付けをすることはないです。


面白いと思った方、

ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
どこかの回で誰かが書いていたら、また作者である月本さんが考えていたらすみません。  どんどん日本の歴史は変わりますね。その影響で各外国の歴史も変わるでしょうね。もしかしたらたいして変わらないのかも。…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ