266 ●毛利三分の計
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次回更新は09/14(日)
(1574 ●毛利隆元(51))
先代将軍だった足利義冬の法要のために上洛した後、帰路の途上で建築中の姫路城に立ち寄る。建築中の姫路城の城番は毛利元清(元就四男)、姫路城建築で姫路は好景気に沸いていた。大規模公共事業の絶大な経済効果を実感し、今では各地で城の増改築が進行中だ。安芸では新たに広島城の築城が始まっている。
山陽道攻略は小早川隆景(元就三男)が総大将として進み、山陰道攻略は吉川元春(元就二男)が総大将として進んでいた。山陽道は姫路に兵を集め、備前・美作での反抗を鎮圧しつつ、但馬攻略の準備が行われていた。山陰道は因幡山名氏の山名豊国が臣従していた。因幡にある鳥取城改築の参考のために、吉川元春も姫路城に立ち寄り、三兄弟が姫路城に集結することとなった。
『まずは、黙って聞いてくれ。毛利家の領域が広くなり過ぎた。毛利家・吉川家・小早川家で3分割しようと考えている』
『毛利家の領地は安芸・備後・出雲・石見半国(広島・島根)。吉川家の領地は備中・美作・伯耆・因幡(岡山・鳥取)。小早川家の領地は備前・播磨半国(岡山・兵庫)』
石見は禁裏御料である石見銀山までの東半分は毛利家だが、西半分は大内家の領分になっている。播磨は姫路城から東は調略中で毛利家に臣従していない。
『但馬は西の因幡からは元春が、南の播磨から隆景が圧力をかけるが、因幡山名氏と同様に但馬山名氏が臣従してくれば、他の国人達も揃って下ってくるだろう。但馬は小早川家の領地に組み入れるつもりでいる』
毛利家の領域が最も豊かだ。安芸・周防・伊予間の三角貿易の恩恵が大きい。それぞれに日本海側の港を持つことで朝鮮・明との貿易航路を持たせる。小早川家の領域は少ないが、生野銀山など但馬・因幡の鉱山と流通路がある。
『3つに分ける理由だが、1つ目は大大名への警戒心を削ぐ。形だけでも別の家に割れたように見せる。これまでは小さな国人を各個撃破していれば良かったが、畿内の国人は規模も大きく戦慣れしている上に、銃火器を多数持っている。何より家の古さと家格の高さに無駄な誇りを持っているため調略しづらい。2つ目に領内整備に本格的に力を注ぎ国力を高める。地域毎に向き不向きの作物があり、産業も異なる。全体で同じやり方では通じない。3つ目に・・・』
「兄上、よいだろうか?」
話の途中であるが、元春が発言する。これまでも三人だけの時は上下を厳しく問うことはなかった。
『何だ?』
「房基公に何か言われたのか?」
『これまで房基公が毛利家の内政について口を出したことはない。だが、京で会談し、四国を2つに割る施策を聞いた。なるほどと思えた。振り返って毛利家の将来を自ら考えた話だ。まずはお前達に聞いてもらい、父上に話をし、重臣たちと話をするつもりでいる』
「何故3つだ。ここ姫路城の城番は元清、月山富田城の城番は元秋(元就五男)がしている。もっと分けてもよいのではないか?」
隆景も声を上げた。
『父上は母上(正室)の子である我ら三兄弟より下の弟達は軽く見ておられる(三子教訓状)。我ら3人に分ける案が通りやすいと思ったのだ。もちろん守護代として弟達を取り立てるつもりだし、誰を誰の下につけるかは我らで相談すればよいかと考えている』
「今のままでよくないか? 兄上は飛びぬけて賢い。大局観は父上を超えていると思うし、戦も上手い。兄上が指揮をしていれば、因幡も但馬ももう少し早く我らのものになっていたのではないかと思う」
火縄銃の大量採用、兵種毎の再編、兵站の強化、劇的な軍制改革を推し進めたことで、家内では”戦神”と称されていた。前世の知識があっただけで、謀神には足元にも及ばない。
『毛利がここまで大きくなったのは、父上の外交力のおかげだ。だが父上も御歳を召された。我らももう若くはない。次代について考える時期に来たのだ。今のままでもよい。少しずつ改変すればよい。いろいろな意見があるだろう。話し合いをする土台を提示したのだ。それぞれにじっくり考えてみてくれ』
まずは房基公との話の詳細説明を求められた。3人で討議しつつ骨格を組み上げる。翌日には元清やそれぞれの家老格の重臣を数名加えて話をした。父上の裁可や意向次第でどう転ぶか不明のため、後は各家で細部を検討することとなった。
三子教訓状は1557年の文書。毛利隆元は1563没。毛利元就は1571年没。「三矢の教え」は後の創作。
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