265 足利義冬没
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次回更新は09/07(日)
(1573 一条房基(51))
先代将軍足利義冬(義維)が亡くなった。故三好長慶の暗躍により、兄である足利義晴が解任されて第13代将軍になった(175話)。本能寺の変の後、息子の義助に将軍職を移譲(245話)。体調を崩し、土佐の医員にすがった時には既に手遅れの状態であったという。鎮痛剤として大麻が処方された。
死期が近いと判った時点で、毛利隆元と義冬の従兄弟である大内義房には上洛の計画を練らせた。大内義房も毛利隆元も息子に家督を譲っていた。まずは一条・大内・毛利の連名でそれぞれ1000貫を、取り急ぎ義冬の葬儀代として幕府に献金して弔意を示した。それぞれに1000名の兵を伴って上洛。土佐の兵1000名とともに京の郊外にある一条砦に布陣。事前に準備したこともあり、1ヶ月かからずに上洛を果たした。四十九日の法要には3人揃って参列することができた。葬儀や法要は幕府が執り行ったが、列席できた守護大名はごく一部で、葬儀・法要での献金額は別格の多さであったため、3人の席次も最前列となった。
法要前後にそれぞれが多くの外交交渉をこなした。国へ帰る前に毛利隆元と2人で話す機会を得た。
「この先、日本はどのようになるとお考えでしょうか?」
手紙ではやり取りができない話は多い。”毛利家”としてそこが本題なのだろう。
『中央は安定していくだろう。懸案は将軍の扱いと、織田政権か一色政権か、どちらかにまとまった時の混乱だろう』
「織田ではなく一色ですか? それぞれと会合する機会がありましたが、確執はないようで織田でまとまっているように感じましたが?」
『一色の方が家格は上だ。斎藤道三の息子とはいえ、中央では通りがよい。当人たちにその気がなくとも、周囲が納得するかどうかは別だ』
一色も不敗だ。連合軍が上洛を果たしたのも一色あってのことだ。美濃の国人衆をまとめられるかどうか。転生者集団は合議制に近いから、上がブレなければ混乱は最小限で済むと見ている。
「房基公はどう動かれるつもりですか? 織田陣営は我ら毛利勢よりも房基公のお考えを気にしていました」
『四国は2つに分ける。伊予と土佐、讃岐と阿波。西と東に分ける。西は一条家、東は敷地家が治めることで動いている。年明けには行政組織の再編が整う予定だ。敷地基海には安芸と周防に直接挨拶に伺う予定でいる。正式な日程調整の連絡は来年になってからになるが、心づもりだけはしておいて欲しい』
敷地家は一条家の家老職を務める家だ。現当主の敷地基海は大内義房の下の腹違いの弟で、家老格の敷地家に養子に入り、一条房平を支える一人だった。
『新政権は大大名は認めようとはしないだろう。伊予と土佐で45万石。讃岐と阿波で30万石。尾張や美濃はともに50万石を超える。四国全体で75万石だと煩く言われる可能性もあるから、先に手を打つ。”廃藩置県”が行われた頃、四国は2”県”しかなかったことがある』
「・・・・」
『北海道だけ道がつくのは東海道や山陽道の道だ。四国は南海道の一部。南海道は淡路と紀伊と四国で南海道。道制を主張して紀伊と淡路の支配を望む素振りを見せつつ、四国分割を落としどころにするつもりだ。細分化された47都道府県の現実を知っている転生者達には、良い考えに見えると考えている』
「・・・・相変わらず先を考える視点が違いますね。天下をも狙えたでしょうに」
『覚悟が足りなかった。相手を殺し、民を死地に送る。支配した地の民をまた戦わせる。防衛戦はまだしも侵略戦を繰り返すには気力が続かない。四国が海に囲まれていて良かったと思っているよ』
実際、防衛も侵略も準備万端の戦いしかしてこなかった。侵略も後の統治計画がセットでの戦いだったから、戦いと戦いの間隔は長かった。天下を取るには一生は短すぎた。
「・・・・私は父(元就)が全てを背負ってくれていました。父に引っ張られ、父を支えて毛利家は大きくなっていったのです。何より(防土芸)同盟のおかげで東進に注力できたことが大きかった。その父も高齢で最近は伏せがちです。家督を譲ったとはいえ輝元はまだ若い。この先の毛利家をどう導いていくか、今日は良いご教示をいただきました」
その後、毛利元就の容体や輝元の妻の懐妊など、毛利家の近況を聞いて会談を終えた。既に入手済みの情報とはいえ、直接聞いたことで正式に外交の手を打つことができる。毛利隆元に孫ができる。次代のためにも気が抜けない日々は続く。
足利義冬は史実通り1573年没としました。義栄も1568年没、どちらも土佐との関係がよくないため医療の恩恵をうけないまま亡くなりました。毛利元就は1571年没ですが、隆元が生きていること。医学校出身の医員のサポートもあって長生きしています。
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