226 ●コンサートツアー
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次回更新は12/15(日)
(1561-62 ●一条義輝(24))
天覧演奏会の箔は絶大である。宮中での演奏会が始まる前から各所から引き合いが来ていたという。最初に宣教師ガスパル・ヴィレラとともに足利義冬(義維)に謁見し、演奏を行った。これにより京におけるキリスト教宣教許可の制札を受ける。続いて、三好長慶の城下の教会(南蛮寺)を巡る。芥川山城下や飯盛山城下には複数の教会があった。三好家臣の多くがキリスト教に改宗していたからだ。堺には更に多くの教会があり、耶蘇会日本支部のマネジメントの下で各地で演奏会を行うことになった。
使節団が持ち帰ったパイプオルガンは京に新しく作られる教会へ送ることになり、土佐で製造された竹製のパイプオルガンが堺の教会に導入され始めていた。輸送費を考慮せずに、欧州で購入した金額を提示するとぼったくり価格であったことが判明。教会を一軒建てるよりも高額な値段だった。耶蘇会日本支部は正式に謝罪し、弁償をしてきた。以後は正当な価格での取引が行われるようになる。オリジナルにはまだまだ劣る製品ではあるが、輸送コストとリスク込みで購入してもらっている。教会の数は多く、莫大な利益を生み出していくことになった。
パイプオルガンの後押しをしてくれたのは千利休だった。彼が持つ曲のレパートリーで演奏できる曲数が大きく増えた。構造的に早いテンポの曲は再現できないが、耳馴染みのある曲の楽譜起こしをしてくれた。と同時に音楽指導を行い、奏者を増やす協力をしてくれたのだ。
堺でのコンサートツアーの間に京の教会も完成し、完成記念式での演奏会も行われた。そして、再び将軍御所に呼ばれた。前回同様、演奏時しか姿を見せなかったため、正体を看破されることはなかった。帝や将軍が聞いた最新の音楽を求めて群衆が殺到したためにすぐに京を離れざるを得なくなった。
堺でのコンサートツアーを再開。約半年のロングツアーになった。耶蘇会日本支部との契約は終了。2周目の延長は断った。代わりに尾張への遠征を受け入れた。京でのキリスト教宣教許可を受け、尾張も布教を認めたのだという。恐らくポルトガル商船勧誘が目的なのだろう。教会が設置された津島で公演後、清州城下の教会は建設中とのことで、迎賓用の屋敷で信長を始めとした尾張転生者集団と会見することができた。
尾張での公演後、一条公の意向で駿河へ移動。駿府には多くの公家が下向しており、話題となっていた西洋音楽が歓迎されるも、今川義元は布教を認めなかった。同行してきた宣教師達はここで堺へ戻ることを選択。使節団はあくまで一条公が私的に派遣したものであって、耶蘇会に主導権があるわけではない。布教のために西洋音楽の公演を利用してきたのだが、ここから先の公演に同行するよりも、始まったばかりの京での布教に注力することにしたようだ。駿府から小田原へ向かい北条氏康に謁見。北条氏政(22)は家督相続をしていたが、実権は氏康のものであるようだ。前年から越後から上杉・長尾の軍勢が攻めてきていたが、関東だけでなく武田・今川の増援により撃退されていた。残念ながら氏政と私的に会談することは叶わなかった。
相模から尾張に戻ると信長の妹である市の方との縁談話が持ち上がっていた。前回公演後、義父である一条公へ使者を送って内々に打診した所、本人同士が認めるならば許すとの返事があったそうだ。尾張に戻ってきてから知らされ、急ぎ清洲へ向かった。通された部屋で待っていたのは市の方の他に信長の兄である津田信広と濃姫。まだ当主である信長を交えた密談をする段階ではないということなのだろう。こちらは秀吉だけである。一通りの挨拶を済ませると市の方が深く頭を下げてきた。
「どうか助けてください」
「市よ、いきなりそれではわからないであろう。義輝殿、市の嫁ぎ先を探すのが大変なのだ。信長の妹であるから政略結婚は避けられない。だが、価値観の異なる嫁ぎ先には行きたくない気持ちが強いのだ」
津田信広が言葉をつなぐ。
『尾張には転生者が他にもいるだろう』
「兄弟3人を除くと後は家臣になる。皆が家を背負う家長なのだ。世継ぎを産むことを一番に求められる。皆が年上で既に妻帯しているのだ。当主の妹を側室にするわけにもいかない」
確かに、柴田勝家(40)、前田利家(23)、前田利益(21)の3人だけだったか。
『私も26歳だ。市の方は15歳だろう。秀吉でもよいのではないか』
「義兄上。私だって25歳だ、1つしか違わない。そもそも家柄が違い過ぎる。美醜となれば更に勝ち目などないしなぁ。それにヨーロッパに行って、演奏旅行をして歳を重ねてしまった。良い縁談だと思うぞ」
秀吉が笑いながら口を出す。長いつきあいだ。面倒な話だと避けようと顔に出ていた。
「ここで決まったとしても準備に時間がかかるでしょう。土佐へ嫁ぐ頃には16歳にはなっているでしょう。年の差は気にすることはないと思います。この年でこのまま嫁ぎ先が決まらないままというわけにも参りません。どうかお願いいたします」
濃姫までも頭を下げてくる。
『市殿はそれでよいのか』
「・・・・織田家はこの先も戦乱の中心でしょう。ここ清洲で使節団の公演を観ました。穏やかな様子に憧れたのです。津島の教会でオルガンも聴きました。指が鍵盤を覚えていました。音楽が盛んな土佐へ行くにはこれしかないと思ったのです。それにあなた様ならば前世を隠さず過ごしていける。そう思うと他には考えられなくなっていました。どうかお救いください」
面と向かうのは初めてである。恋だ愛だと言うのではなく切実で正直な気持ちをぶつけてきた。確かに心が許せる相手であることは大きい。
『・・・・一つだけ条件がある」
この場を仕切っている津田信広に向かって声をかける。
『足利の名を利用しないと約束して欲しい。織田家が私を神輿として担ぎ出さないと誓紙が欲しい。それで家中が納得するのであれば受けよう』
この先、足利の名を名乗ることになるかどうかはわからないが、政治利用されたくはない。
「・・・・もちろん、そんなつもりは毛頭ない。転生者以外の家中の者はあなたが足利の血筋であることは誰も知らない。格上の一条家との縁組に繋がるならば皆を納得させられる」
返事が少し詰まる。足利の血筋を意識していたのだろう。確約を引き出して正解だったようだ。
コンサートツアーだったはずが、婚約成立が締めになってしまった。後は両家の調整ということになる。土佐に戻り、年が明けてから迎えることになるのだろう。今は無職のままだから何かしら職を探さないといけないな。
浅井から織田への同盟要請からお市の方と浅井長政の縁談がまとまったのが1567年頃。継室として入り、長政の2人の男子は市の子ではなかった。既に織田と同盟関係のある斎藤と浅井が交戦中なので浅井三姉妹(茶々、江、初)の誕生は無し。
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