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戦国クラス転生  作者: 月本 一
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225 義輝と近衛

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は12/08(日)

(1561 一条房基(39))

 土佐遣欧使節団が帰国した。帰国直後に宿毛の教会で使節団が西洋楽器で演奏会を行った。異国の服装で異国の楽器を使い異国の音楽を奏でる。思いのほか聞かせられる演奏を聞いて、帝に披露する天覧演奏会を企画することにした。


 全面的に使節団を支援してくれたイエスズ会に報いる必要もあった。宣教師達はこれまで帝に謁見できていない。官位を持たないからだ。彼らは守護=国王、将軍=皇帝、天皇=教皇、という認識でいる。使節団を帝に拝謁させることは彼らにとって大きな一歩と感じるだろう。6年という長旅から帰ってきた使節一行には家族に会うための短期休暇を与えた。ただし、一条ミゲル(以後、義輝)だけは旅行記編纂の監修を行っていた。その間に彼らが宮中に参内するための官位を取らせるように動いた。昇殿するわけではないから従六位下くらいあればよい。持ち帰った多くの珍しい文物を朝廷に献上することで問題なく進められるだろう。


 パイプオルガンは使節団を派遣している間にインドのゴアから複数台輸入済みだった。分解して国産コピー品の製作に着手し、パイプ部分を竹で代用したものが完成していた。ただこのオルガンは演奏者とパイプに風を送る(ふいご)係の2人がかりの共同作業が必要で、息をあわせるのがとても難しい楽器だった。使節の4人が習った楽器はクラヴォ、ハープ、リュート、ヴィオラ。それぞれ複数持ち帰っており、これらの複製も着手させた。


 休暇を終えた4人といっしょに一足早く堺へ向かっていた宣教師達を追って堺へ。堺ではフランシスコ・ザビエルに後を託されていたコスメ・デ・トーレス、ファン・ヘルナンデスと再会。ファン・ヘルナンデスは10年以上の日本での生活で日本語を習得しており、使節団とともに来日した宣教師達への日本語教育を行っていた。堺の南蛮寺で使節団が習得してきたミサ曲や讃美歌を披露。布教責任者であるコスメ・デ・トーレスに天覧演奏会を提案し、承認してもらう。


 天覧演奏会の一番の障害は義輝の存在であった。7年前に京都大覚寺から失踪した義輝は関白である近衛前久の従弟である。天覧演奏会を行うとなると叔父である近衛稙家とも再会することになる。今回、使節団を連れて上京することにしたのは近衛家に直接謝罪する必要があったからだ。義輝を連れて、近衛家を訪ねる。


『この度は謝罪するために参りました』

部屋に入ってきた近衛稙家、前久親子を前に深く頭を下げた。


「頭をあげられよ。して、何を謝られておられるのか理由をお聞かせ願いたい」

家長である近衛稙家がそう促す。


『ここに控えているのは7年前に大覚寺から出奔した義藤殿でございます。土佐で保護し、日ノ本の外へ見聞に送り出しておりました』


「ご心配をおかけして申し訳ございません。大覚寺にいても常に監視されているようで修行にも身が入りませんでした。天竺にでも連れ出してもらえないものかと明と盛んに交易されている一条公を頼らせていただきました。今は一条義輝、吉利支丹(キリシタン)での名前はミゲルと名乗っております」

義輝が嘘八百を語る。


「それにしても南蛮に送り出しているとは、いくら探しても見つからなかったわけだ」

関白である近衛前久がため息をつく。


『南蛮ではなく大洋の西側である意をもって[西洋]と呼んでいます。その西洋から持ち帰った品々を朝廷に献上し、西洋の楽器を奏でる会を開く準備を進めております。その前に近衛の皆さまには正体をお知らせし、お詫びしたかったのです。誠に申し訳ありませんでした』


「無事に生きていたのだ。ひとまずは許そう。房基殿と養子縁組をしたのだな。ヨシテルとはどの字を使っているのだ?」


「義藤の義に、輝くの輝で義輝です」


「そうか。良い名だ」


『今回の使節団で中心の役割を担うために、一条の名が必要だったのです。これからは一条の名に拘らず、生きたいように生きてもらえればと思います。積もる話もあることでしょう。私は座を離れますので、ごゆるりとお話しください』

 そこからは席を外し、一族だけで語らう時間にしてもらった。


 話を通すのは近衛家だけでは終わらない。義輝の母であり、近衛稙家の妹である慶寿院との面会も整える。慶寿院は比丘尼御所の一つである慈受院に入っていた。尼寺である。比丘尼御所は寺主を皇女が務める御宮室と公家の息女が務める御禅室があり、慈受院は後者になる。厳しい戒律や修行の場所ではなく、高貴な方の余生を過ごす場所であるがゆえ御所と呼ばれている。宿下がりの体で外出してもらい、あらためて近衛の屋敷にて会えるように図らってもらった。義輝が大覚寺に入る前からとなるので10年以上ぶりの再会となった。


 宮中での演奏会は5回行われた。紫宸殿の南庭に特設ステージを組んだ。天覧相撲などが行われる場所だ。ここでなら昇殿が許されない地下人や女官も聞くことができる。最初に帝を前に一回。皇子を前に一回。雅楽を家業にしている公家衆を前に一回。あとの2回は地下人限定公演とした。

オルガンは1579年に宣教師が持ち込んで、実際に竹製パイプのオルガンが製作されました。天草コレジオ館には復元されたパイプオルガンとグーテンベルク印刷機が展示されています。


吉利支丹は江戸時代に蔑称として吉利の字から切の字が当てられるようになりました。


慶寿院は永禄の変で足利義輝とともに亡くなっています。


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