224 ●土佐遣欧使節団帰国
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(1561 ●一条マンショ(秀吉))
一条房基と養子縁組をし、主席正使として1554年に出国。インドのゴアにて洗礼名マンショを名乗ることになった。義藤(足利義輝)も一条房基と養子縁組をし、正使となる。ゴアでは一条ミゲルと名乗ることになった。養子とはいえ、一条の名は重い。使節団での最上位の立場は長い旅の助けになった。他に2人の副使がおり、それぞれ東小路ジュリアン、西小路マルチノと名乗ることになった。東小路家、西小路家はともに一条の御一門衆の家で、一条房基の大叔父が土佐で興した家であった。ゴアでは日本でフランシスコ・ザビエルが布教していた頃(182話)に出会った関係者と再会するが、ザビエルは既に亡くなっていた(1552年没)。
インドのゴアからは神父2人、修道士2人に引率されてヨーロッパに向かう。私自身がポルトガル語、スペイン語の通訳ができるために意志疎通は円滑だった。旅の間に一条ミゲル(足利義輝)も2ヶ国語をほぼマスターした。2人ともヨーロッパの知識・技術を得る重要性は理解しており、上辺だけは敬虔なキリスト教徒を装っていた。同行する宣教師達は日本語がわからなかったし、体も小さく、幼く見えることもあって信仰心を疑われることはなかった。
喜望峰を周ってポルトガルのリスボンへ渡る。コインブラでは薩摩出身のベルナルトと再会した(1557年没)。ローマで教皇に謁見したこともあるベルナルトの伝手もあって、ローマへ向かうことになる。途中、スペインのマドリードでは国王フェリペ2世に、ローマでは教皇ピウス4世に拝謁した。
贈り物として多くの工芸品、刀、真珠、大鏡を持参していた。船旅の間に琵琶・笛・鼓などで練習していた雅楽を披露したこともあって、各地で歓待された。ヨーロッパに渡ってからはリュートやヴァイオリンの原型のような楽器を使ってミサ曲や讃美歌も覚えて披露した。異国での布教のための修道士見習いというよりも親善大使という扱いに近かった。使節としては4人だったが、他にも技術取得要員として、鍛冶師や鋳物師、細工師、木工師の徒弟を中心とした随員がいた。彼らの主な目的は活版印刷機や航海道具、天測道具の見聞・習得と入手だった。
ローマからリスボンに戻り、帰路に就く。ポルトガルからインドまで約1年。大自然の脅威を感じる旅路である、信仰にすがる気持ちがよくわかった。音楽が救ってくれた旅でもあった。東小路ジュリアン、西小路マルチノはキリスト教に深く帰依することはなかった。ヨーロッパでは奴隷制度を目の当たりにしたし、インドではアジア人の奴隷が多くいたことに疑念を持っていたこともあり、キリスト教に疑念をいだいていた。祈りの言葉も意味を覚えようとはぜず、音だけ真似をしていた。元々、雅楽を嗜んでおり、キリスト教よりも西洋音楽の習得に熱心だった。
ゴアに戻ったら小さな日本人街ができていた。数年ぶりの米の味は涙まじりで塩辛かった。使節団が派遣されてから年に一度のペースで物資が送られてきていたそうだ。住民のほとんどが長期刑の罪人とその監督官らしい。マラッカにも同様の小さな日本人街があったが、ベトナムの会安は数百人規模の日本人街になっていた。台湾には千人を超える日本人だけの街が複数できていた。土佐の宿毛に帰り着いたのは出発して6年が経っていた。
東南アジア各地でイエスズ会に足止めされている間に帰国の情報が伝わっており、宿毛では一条公が出迎えてくれた。持ち帰った文物は大量にあった。活版印刷機、印刷された各種書籍、リュートやオルガンなどの西洋楽器、絵画や彫刻、植物の種子などだ。一条公らしいと思ったのは4人の使節たちによる見聞録を一番重要視したことだった。後ほど、聞き取りをしながら写本を作った上で1つにまとめて朝廷へ献上すると言われた。
宿毛の教会では西洋楽器による演奏会が開かれた。練習する時間だけはたくさんあったのでそれなりのものであったと思う。讃美歌やミサ曲は披露することが多かったが、船旅の中で一番よく弾いていたのは”さくら”や”もみじ”、”ふるさと”などの童謡曲だった。歌謡曲はメロディーラインが少し複雑だったし、歌詞も英語やまだ存在しないモノが多いせいで弾かなくなっていたからだ。
帰国後、それぞれ長期休暇を貰った。私は家族が暮らす伊予へ移動。弟は元服し、木下長秀と名乗り、結婚して一児の父となり、母(大政所)と暮らしていた。士官学校卒業後、一条秀吉の弟ということで要職に登用され、文官として重用されていた。姉の智、妹の旭はともに御用商人子弟の正室として迎えられ、幸せに暮らしていた。一条公が武家との縁組を避けたのだという。留守の間も手厚く目配りをしていてくれたのだ。豊臣秀吉の姉妹の記憶などなかったが、武家よりも商家で平穏に生きる道を選んでもらえたのだと感謝を伝えると「生きて帰ってこれたのだから、今度はお前の嫁とりをしないとな」と返された。
天正遣欧少年使節はそれぞれ伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの4人。
薩摩出身のベルナルトは日本人初の海外留学生。ローマ教皇に謁見した初めての日本人でもある。
秀吉の弟は木下長秀→羽柴長秀→羽柴秀長→豊臣秀長と改姓しています。
秀吉の姉妹は決して幸せな晩年を過ごしていません。ただ姉の子孫のみが現在に連なっています。
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