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戦国クラス転生  作者: 月本 一
221/300

220 ●三好・松永 VS 六角・畠山

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は11/03(日)

(1560 ●三好長慶視点)

 近江の六角義賢と紀伊の畠山高政らが連携して挙兵する動きがあった。これまでも小競り合いはあった。長弟の三好之虎(実休)の暗殺(209話)以後、不作続きもあって、立て直していたところを甘く見られたようだ。


 松永久秀が兵を率いて若狭から出てきた。ここが勝負どころと考えたのか、7000の兵が移動中だという。

「久しぶりだな。髪に白いものが混じっている。長い道中堪えたのではないか?」


「年寄り扱いするな。すぐに軍議の場を整えてくれ」

真っ直ぐに見つめる目には強い力があった。


大戦(おおいくさ)になるのか?」


「既に歴史は変わっている。将軍は交代してしまった。それでも転生者が関わらぬ歴史の大きな流れは変わっていない。先の野良田の戦いで六角が浅井に敗れた。とはいえ、勝った浅井の方が損害が大きい。史実では六角はその後に三好を破って京に入っている。おそらく今回の畠山との連携がその流れだと考えている。歴史通りならここで三好之虎(実休)殿が戦死したはずなのだ」


「之虎(実休)はもういない」


「そうだ。だからこそ、ここに全力を注ぐべきだと思う」


「若狭はよいのか?」


「家族は丹波の弟(松永宗勝)のところに逃がした。国人衆たちには朝倉が攻めてきたら抵抗せずに服属しろと申し伝えてきた」


「せっかく一国の主になったのによいのか?」


「三好あっての松永だ。朝倉に未来はない。ここで抵抗して荒らされるより、後で取り戻せばよいだけだ。その時は今回の助力の見返りに兵を貸してもらう。それよりもここで六角を跳ね退けることが何より重要なのだ」

 己の裁量だけでゼロから若狭守護まで上りつめた男だ。年老いてなお大きく見えた。


「そこまで三好に忠義を尽くしてくれるとは思ってもいなかったぞ」


「・・・・出会って26年だ(77話)。俺が26。殿が12くらいだったか。殿が引き上げてくれたからこそ今がある。あの時から殿に天下を取らせるために動いてきた。いや、生まれる前から殿に天下を取らせるのが目標だったのだ」

 遠く離れることになったが、久秀はいつも傍にいたのだ。初めて会った時と同じく目から涙が溢れてきた。将軍家や幕臣達を操ることで満足していた。漠然と考えていた”天下”を強く意識した。そうだな、ここが勝負どころだ。


 その後の軍議は熱かった。自分の熱量が一同に強く伝わったからだろう。六角を迎え撃つのは将軍山城。近江から上洛する最前線に位置し、前の将軍足利義晴が改修するも、坂本に降った際に六角への抑えに占拠していた城だ。ここには息子の三好義興を総大将とし、松永久秀・久通親子を入れる。松永軍は500もの鉄砲を所有しており、三好の鉄砲足軽は全て和泉の岸和田城へ向かわせた。畠山に対しては岸和田城主である三弟の三好冬長(十河一存)を総大将とし、河内だけでなく淡路・阿波の戦力を集中させた。久秀曰く、三好三人衆と呼ばれたという三好長逸・三好宗渭・岩成友通も投入。畠山の戦力のほうが多いと判断しての配置だ。私自身は居城の摂津・芥川山城から東寺に移った。


 将軍山城に入った久秀はすぐに鉄砲を効果的に運用するための改修に入った。大量の鉄砲運用の手法を理解した上で、野戦でも三段撃ちの陣地構築など迎撃態勢を整えていた。個人の武勇によらない新しい戦のやり方に変わっていく転換点となる戦になるだろう。息子の義興(18)には歴戦の久秀の戦ぶりと新時代の戦い方をよく学ぶように伝えておいた。


 岸和田城の三弟の三好冬長は武勇に優れた猛将であるがゆえ、突出して前線に出ないように総大将を任せた。三好軍15000vs畠山軍20000ほどで畠山軍のほうが総数が多いくらいではあったが、岸和田城が包囲されるほどではなかった。三好が所有していた鉄砲を全て廻せたことで、根来衆・雑賀衆よりも火力で大差がついた。岸和田沖は淡路水軍が制海権を得ており、堺から潤沢な弾薬の補充があって、野戦では惜しむことなく鉄砲が使われた。兵力の差を火力の差、財力の差で跳ね退けた戦になった。


 結果、岸和田城の戦いでは敵の総大将である畠山高政が鉄砲で討ち取られ、総崩れとなり敗走。一方、将軍山城の戦いでは両軍ともに無理攻めはしなかった。六角義賢は鉄砲部隊に手を焼き、優勢だろうと思われた畠山が援軍に来るのを待っていた。久秀は最初から敵兵を疲労させる持久戦のつもりであったし、将軍山城が落ちても上洛さえ阻止できればよいという覚悟があった。三好軍10000vs六角軍20000。この程度の戦力差での籠城戦では負ける気はしなかったのだろう。今後の戦いのために無駄に兵力を減らすことを避けた。負けない戦いができる上手さがあった。畠山高政敗北の報を受け、六角義賢は足利将軍家が間に入った和睦に応じて撤退する。和睦を進めさせたのも久秀の献策だった。これで今後、六角は戦を仕掛けづらくなる。追撃して無駄に兵力を損耗しないように徹底していた。和睦が決まるとすぐに兵を再編してそのまま大和へ侵攻。東大寺を避けていた久秀の大和への侵攻は意外だった。訳を問うと「河内から畠山勢力を払拭するには大和からも圧力をかける必要がある。何より五畿内が三好のものであると内外に知らしめることになる。露払いさえすませば若狭に戻らせてもらうつもりだ」と答えた。激戦の中、2手先3手先を読む男だ。引き上げてもらったのは俺のほうかもしれない。

岸和田城戦のモデルとなった久米田の戦い(1562)では長弟三好実休が戦死。三弟はそれより前に病死(1561)

将軍山城戦では六角が勝ち、三好氏は京から逃げ出しています。


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― 新着の感想 ―
三好長慶「には」忠誠溢れる久秀,大好きです ありがとうございます
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