206 ●長尾景虎(上杉謙信)出奔
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次回更新は07/28(日)
(1552~1556 ●長尾景虎(26)視点)
13歳の時に預けられていた寺から出て、22歳で越後を統一した。寺にいた頃に一条房基から不定期に接触があった(119話)。元服する際に一条房基の連絡係を引き留めて家臣に迎えた。一条氏の忍者衆であることは承知の上で越後の忍者組織の統括を頼んだ。当時、長尾家の家督は21歳上の兄晴景が継いでいた。13歳の時に独自の諜報組織を持つことで伸し上がることができたのだ。史実の上杉謙信のようなカリスマ性も統率力も戦場観も持っていない。誰が敵で、どんな兵力があり、どんな動きをしているのか、いろいろな情報を収集し、分析することで活路を見い出してきたのだ。
やっと越後を統一し、内政に取り組もうとしていた矢先、北条氏康に追われた関東管領・上杉憲政が逃げ込んできた。過去には対立していたという山内上杉家とは兄晴景の代で和解しており、受け入れざるを得ず、関東へ出兵することとなった。国内は安定しておらず、配下の将を派遣して上野国から北条勢を追い出した。関東管領のパイプの後押しもあり、従五位下弾正少弼に叙任される。
家臣達は幕府と朝廷への御礼を名目に上洛に動き出す。とにかく金がかかった。領内を通過させてもらうために朝倉家や本願寺へ多くの贈り物を渡すことになった。幕府や朝廷への献上品は更に多い。どちらも現金が一番喜ばれるが、幕府へは太刀、馬、鷹など、朝廷には剣や絹など形式や手順を外すわけにはいかなかった。
国内鎮圧、関東出兵、上洛など出費がかさむが、越後はそれを支えるだけの財力があった。青苧と呼ばれる特産の苧麻から作られる越後上布は公服や礼服の材料として重用されていた。専用の苧船が直江津から敦賀へ運ぶ。安定した海運ルートで交易も盛んだった。当然、税収も多い。国内にはいくつかの銀山もあった。
上洛し、帝へ拝謁し、天杯と御剣を賜る。同行する家臣達はとても喜んでいたが、価値観がズレているのか金銭で買ったおもちゃ程度にしか思えなかった。将軍・足利義維へ拝謁した後、転生者である三好長慶とも会談した。堺へ向かう途中で、本願寺・証如のもとに使者を送り、金品を贈らせた。むろん、加賀の一向衆への配慮に対する謝礼だ。ばら撒きの旅だった。証如からはすぐに見事な返礼品が届いた。上洛前後のやり取りで越後で禁制していた浄土真宗の布教を許すことになった。幕府や朝廷よりも本願寺のほうが経済力と政治力が強いと感じさせられる旅でもあった。
堺では千利休と会うことになった。茶の湯の師事を受ける形で2人きりで話をすることができた。
『この度は鉄砲の調達にお骨おりいただきありがとうございました』
「私は仲介しただけのことです」
『三好長慶殿がずいぶん規制していると聞いています。200丁を超える量は利休殿のおかげだと思います。堺筒だけでなく土佐筒もある。玉薬も十分揃った。まぁ、かかった費用も莫大でしたが』
「三好殿は鉄砲の危険性を理解しているがゆえに警戒していらっしゃるのでしょう」
『関東管領・上杉憲政殿への協力はほどほどに、と言われました。幕府としては越後守護のまま上杉殿の養子となって関東管領職になるのは認められないだろう、と』
「・・・・関東管領は無理だと?」
『史実では関東で10万の兵を集めて北条の小田原城を包囲したが、結局、攻略できずに帰ることになった。膨大な戦費や人員を失うことをよく考えたほうがよいだろう、と」
「・・・・史実通りになるとは限らないでしょう。三好殿は関東を制圧し、巨大勢力になられる可能性を恐れたのでは? 武田信玄が国外追放され、甲斐武田は信濃まで攻めて来ず、長尾殿と衝突していません。東海では斎藤・織田・今川が手を取り合っています。四国はほぼ一条公が制覇しています。三好殿が中央である京を支配しつつあるとしても、他の転生者の動きが気になるのでは?」
『三好殿が敵視しているのでしょうか?』
「そうではありません。三好殿は周囲が敵ばかりです。お味方が少ない。親族でまわりを固めようとするのは古今東西、末期症状の一つだと思うのです」
『そうですね。ですが、私も同じ状況かもしれません。更に悪いかも。親族は少なく、国内でも領地争いが多い。外に討って出る余裕などありません。関東を得ても見返りは少ない。よく考えてみることにします』
時代ゆえに京に行って帰ってくるだけで約3ヶ月を要した。帰ってからは心が折れることが続いた。
想いを寄せていた女性が剃髪して寺に入っていた。忍者衆の調査では家臣間の勢力争いに巻き込まれた形だったそうだ。
次に大量購入してきた鉄砲が受け入れられずにいた。価格が高いとか、連射や精度など弓に劣るとか、難癖を言う者が多かった。兵としての能力が低い者を集めて部隊を作り、訓練を行った。腕力もなく、武芸が未熟でも短期間で戦闘力が高い兵になるのだが、能力の元からの低さから見下され、軽んじられるようになってしまった。
未開発だった金山目当てに佐渡への侵攻計画の立案をさせていたのだが、進捗はナシ。金山の存在を信じておらず、水軍への巨額投資に難色を示すばかりだった。
武田氏が北信濃に侵攻してこないので外敵との争いがほとんど起きていなかった。逆に越後内で家臣同士や国人衆の領地争いが頻繁に起きていた。狭い中で既存の利権を取りあっている。領主としてどうでもよい仲裁や調停ばかりさせられることになっていた。長尾家としても上田・古志・府中に分かれており、他の長尾家に唆されて、謀反を起こす国人まで出る。
ほとほと愛想が尽きた。上田、古志の両長尾家と恩師である天室光育に出家・隠居の手紙を送り、出奔することにした。独り身は楽だ。残った者達で好きにすればよい。
転生者は義の人ではないし、史実の謙信でさえ出奔した状況に耐えられるはずもなく。
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