207 ●尾張転生者集団
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次回更新は08/04(日)
(1552-1557 ●織田信長(23)視点)
尾張守護は斯波氏。上四郡の守護代は岩倉織田家。下四郡の守護代は清洲織田家。織田弾正忠家は清洲織田家の配下の清洲三奉行の末席だった。父信秀の時代に軍事面では多くの織田家の中で随一まで昇りつめた。これは津島と熱田を抱えて経済的に優位な地位を確立したからだ。(1552年)父信秀が亡くなり、家督を相続すると、尾張統一を目指した。
清洲織田家から追われてきた尾張守護の斯波義銀を保護し、それを口実として清洲織田家を攻め滅ぼすことに成功。続いて岩倉織田家を追放し、後はいくつかの織田家を攻略するだけとなった時点で上洛を進めた。事前に従五位下の叙任を受け、道中の斎藤家、六角家に多額の通行料を払う。京では帝と将軍・足利義維へ拝謁。将軍からは尾張守護を代行する命を正式に受ける。これで尾張国主として認められることになった。
ここまで順調に来れたのは、尾張に集中していた転生者達との合議が大きい。
柴田勝家(35)は父信秀の元で多くの戦場で活躍。今は相談役になってもらっている平手正秀の元で宿老としての勉強中だ。
兄の織田信広(28)は津田信広と名乗りを変えている。金策担当として、津野を拠点に津野衆や堺衆との折衝・交渉をまかせている。
家督争いをするはずだった弟の織田信行(21)は兵糧方として兵站管理に力を振るっている。対抗馬として担ぎ上げようとしてくる家内の不満分子たちを上手くさばいている。
前田利家(18)は小姓として重用していたが、津田信広が調達してきた鉄砲を使った運用や戦術、専門の鉄砲足軽部隊の訓練の総指揮を行っている。鉄砲を魔改造し、凄腕のスナイパーになりつつある。
前田利益(16:前田慶次は1541生まれ説を採用)も小姓として登用した。戦闘オタクで、とにかく体を鍛えることに血道を上げていた。訓練では相撲を奨励していたが、殴る、蹴る、極めるなど総合格闘技のような戦い方を研究実践していた。当初は槍を使っていたが、特注したハルバートを使うようになっていた。斧と槍と鎚をあわせた形状でとにかく長くて重い。突きや切ることもできるが、打撃武器に近い。鍛え上げた肉体で力任せに振り回す。戦場では獅子奮迅の戦いで無双していた。
服部正成(15)は飛び込みで仕官してきた。松平元康(徳川家康)が今川義元の元にいるため、三河ではなく尾張に仕官先を変えたのだそうだ。伊賀の服部家の窓口として忍者衆の売り込みをしてきた。伊賀の上忍には服部・百地・藤林の三家があった。服部家は伊賀から離れてはいたが縁は残っており、多くの忍者衆を尾張に呼び込み、元締めとして情報管理をしてくれている。
織田長益(有楽歳(10))は十一男だった。本人の申告で転生者と分かる。他の兄弟姉妹とあまり馴染めず悩んでいた為、他の転生者達との合議の末、元服させて土佐の高智大学校へ留学させることに決めた。
転生者が揃って相談することはないが、濃姫が中心となって連絡を密に取り合うことができていた。史実通りならば、尾張を統一したのは桶狭間の戦い(1560)の数年後だったということなので、ほぼ10年弱の前倒しの計算になる。美濃の斎藤、駿府の今川との同盟が安定していることも大きな要因だ。今川からの調略による混乱もない。ただ懸念しているのは美濃の統一・安定が尾張よりも早く、国力差が大きくなりつつあることと、三河のほとんどが今川の勢力下であり、三河に戻った松平元康(14)に力がないことだ。
お市の方は10歳
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