205 ●今川義元隠居
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次回更新は07/21(日)
(1555 ●今川義元(36)視点)
恩師であった太原雪斎が亡くなった。今川家の三男であったため、4歳で仏門に入った際に雪斎と出会った。修行のために京に移った時も一緒だった。兄2人が亡くなり、家督相続する際に尽力してくれたのも雪斎だった。今川家の今があるのは雪斎あってのことだ。甲斐・相模・駿河の三国同盟を成立させたのが最後の大仕事となった。
雪斎が尽力した織田信秀と結んだ同盟は信長の代になっても継続しており、北条との同盟で東の憂いも無くなったため三河方面に力が注げることとなった。三河に影響力のある吉良氏、松平氏からはともに人質を取っていた。今年、松平竹千代(14)を元服させた。転生者である徳川家康は義元の「元」の字を与えて次郎三郎元信と名乗ることとなった。元信は名目上は三河岡崎城の城主であったが、これまでは今川家家臣を岡崎城の城代に置いていた。元信の元服を機会に、元信とともに駿府に来ていた酒井忠次を城代家老として岡崎城へ返した。三河では吉良氏が別格であった。今川氏にとっても吉良氏は宗家筋に当たる。三河では織田家との戦いも多くあった。親織田派の国人衆も多い。三河は未だ混沌としている。元信には今川縁戚の姫(築山殿=瀬名姫)との婚姻を進めている。婚姻が成立すれば岡崎城を任せるつもりだ。今川の家臣として三河に置いて、織田の動きを見定める。
義父である武田信虎は信玄を追放後、それほど勢力を拡大することはなかった。逆に村上氏に攻め込まれることとなり、今川への支援を求めてきたので、信玄が甲斐に戻ることを条件に兵を送った。武田信玄はこの10年の間、遠江・駿河での河川整備と農業改革に多大なる貢献をしてくれた(161話)。大井川と天竜川の2大河川の整備に特に力を注いだ。戦場を求める国人衆には2大河川を遡るように南信濃への侵攻をさせた。同盟関係にある武田・北条・織田との争いに備えながら攻撃力を信濃に向けたのだ。甲斐武田が伸び悩んでいる隙に尾張・美濃に迫るほどに南信濃に勢力を拡大していった。
武具・防具は土佐との交易拡大で調達できていた。火縄銃については堺筒は三好長慶に押さえられているため、割高ではあるが土佐筒を購入している。火薬や弾のことも考えれば、品質も良くて安定供給される土佐製は高い買い物ではなかった。こちらからは陶器・茶・金・茜・麻・桑など輸出している商品も多く、貿易収支も不均衡とは言えないほどに駿河でも産業振興が進んでいる。
遠江・駿河の2国の統治は安定している。太原雪斎が亡くなった今、息子の氏真に家督を譲る準備を進めることとした。文武共に優れた自慢の息子だ。氏真は土佐へ2年ほど留学させた。帰国後、氏真は甲相駿三国同盟のために北条氏康の娘(早川殿)と結婚することになった。遠江・駿河を氏真に任せ、南信濃・三河方面に本腰を入れるため、要所である長篠城の直轄化とその拡張計画を命じた。駿府に居たままだと大きくは動けない。身軽に動くために隠居する。家業は息子に任せて最前線に出る。尾張・美濃の転生者集団が敵対しないならば、北信濃に侵攻し川中島を目指すのもありだろう。
隠居とは名ばかりの戦闘準備です。
史実でも今川義元は桶狭間の戦い(1560)前に氏真に家督を譲り隠居しています。
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