204 ●武田信玄甲斐帰国
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次回更新は07/14(日)
(1555 ●武田信玄(34)視点)
14年前に甲斐を追放された(138話)。その後、土佐で農業や土木を学び、転生者であり義兄である今川義元の元で駿河・遠江の河川整備に尽力していた(161話)。私の長男である信行は人質として甲斐に残されたままだが、今川義元の娘が輿入れし、後ろ盾になってくれていた。
14年の間、武田氏の領土はそれほど大きくはならなかった。父信虎は甲斐を統一後は外交手腕を発揮し、武田・北条・今川の甲相駿三国同盟以外にも各方面と同盟を結んでいた。信濃国の諏訪氏、村上氏と同盟を結んだことで、信濃侵攻は甲斐に隣接する高遠氏、大井氏、笠原氏などを攻め落とすに留まっていた。諏訪氏との同盟では父信虎の三女が諏訪氏に嫁ぎ、諏訪氏の娘が弟信繁と結婚していた。外交手腕は超一流だったが、内政力は低く、甲斐一国を維持するのが精一杯で頻繁に今川義元に支援を要請していた。結局、周辺地域を攻め立てて奪い取るしか道を見いだせずにいたのだ。
ここ数年、凶作が続いたことで北信濃の村上氏が同盟を破棄して、大井氏や笠原氏などの所領だった東信濃に攻め込んできた。村上氏同様に凶作に苦しんでいた父信虎は娘婿である今川義元に支援を頼んできた。そこで今川義元は私の甲斐帰参を条件に挙げた。長い間離れていたことで国内に協調者がいないこと、出家していること、弟信繁が武田氏の家督を正式に相続していること、今川領内の河川整備で名を上げている力を甲斐領内でも発揮して貰えること、様々な理由を挙げることで帰国が叶うことになった。
ここ10年ほどで今川氏は豊かになっていた。西の織田氏、東の北条氏、北の武田氏と同盟が成立しており、国内振興に多くの力を注いできた。多くの河川が整備され、土佐から導入された農業技術や農具により飛躍的に生産力が上がっていた。その先頭に立って改革を進める中で駿河内に領地も与えられ、多くの民から感謝されていた。甲斐で食い詰めて逃げ出した者、人買いに売られた者を保護し、工兵部隊に組み入れて育てあげてきた。今川からの応援部隊とは別に子飼いの工兵部隊を引き連れて甲斐へ帰国することになった。
少数ながらも鉄砲部隊を抱える今川勢により、村上氏の侵攻を食い止め、押し返すことに成功した。元追放者として多くの兵を抱えて前線に出るようなことはなく、河川整備に向けての現地調査の日々が始まった。風土病である「日本住血吸虫」の調査も並行して行った。将軍交代時に京へ行った際(176話)に転生者である毛利隆元から詳しい説明を受けていた。「日本住血吸虫」は中国地方や九州にも被害実態があり、小学校時代に課外授業で詳細を聞いたことがあったそうだ。結論から言えば、今の時代に根絶することも治療することも難しく、発生時点での隔離と拡散防止を徹底するしかない。未知でも無知でもないだけマシということだ。
甲斐に残してきた信行(義信)(17)は立派な若武者に成長していた。今川義元の娘を室に迎え、今回の村上氏との争いで初陣も済ませていた。仕方ないことであるが、武力偏重の傾向があった。そこで駿河に残してきた次男信親を甲斐に呼び、代わりに信行夫婦を駿河に送ることにした。弟信繁と諏訪御前の間には男子(勝頼?)が誕生しており、信行を甲斐に縛り付けておく理由はない。狭い甲斐の外の世界を見聞して欲しいと当主となっていた弟信繁に願い出たのだ。駿河には信行の母である三条御前がいる。生き別れた母に再会させてやりたかった。できるなら土佐の士官学校へ行かせたいが、今後の状況次第だろう。そのためにも甲斐の河川整備と農業改革で実績を積み上げる必要がある。頑張らねばなるまい。
史実では父信虎を追放後、父の方針を転換し、諏訪氏、村上氏らと争います。諏訪御前は信玄の側室として四男勝頼を産みます。次男信親は失明、三男信之は夭折しますが、どちらも医療技術の発展により発生しないこととします。
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