202 ●竹中半兵衛、土佐へ
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次回更新は06/30日)
(1555 ●岩手重虎(11)視点)
転生を選択したのは7番目だった。美濃の土豪の一人、岩手重元の次男として生まれる。覚醒し、外部の状況を把握する頃には、美濃は斎藤利政(道三)が守護である土岐氏を追い出し、実質的な国主となっていた。斎藤利政に仕えていた明智光秀を転生者と考え、明智光秀が岩手家に訪れた際に機会を覗って転生者であることを告白した。その後、斎藤利尚(義龍)の小姓として取り立ててもらうことになった。斎藤利尚も転生者であると聞かされ、私が選んだ以降の転生者の名前を教えてもらった。
昨年、斎藤利政は家督を息子の利尚に譲って隠居し、道三を名乗った。道三とその父親の二代で美濃一国を盗ったのはよいが、治める能力は低く、利尚や明智光秀が政務・財務を支えていた。2人が優秀すぎるせいでほとんどの国人衆が道三を見限り、隠居せざるを得ないこととなったのだ。利尚は温厚な上に文武ともに優秀で、道三だけでなく弟たちとの仲も良好だった。記憶している美濃国の跡目争いが起こる気配はなかった。竹中半兵衛は斎藤利尚(義龍)→斎藤龍興→浅井長政→織田信長→羽柴秀吉と仕えていくのだが、斎藤義龍の家臣として生きていくことになりそうだ。また、秀吉の情報が全く得られていない。信長の配下には該当する人物がいないと分かっている。行方不明なのだ。
尾張はまだ統一されていない。織田信長(19)は尾張下四郡の守護代織田信友を降し、尾張国守護の斯波義銀を追放したところだという。尾張上四郡の守護代を降せばやっと尾張を統一することになる。一方の美濃は道三の代で統一され、富国強兵モード邁進中だ。楽市楽座を導入し、鉄砲の自国内生産も始まっていた。斎藤利尚(28)と明智光秀(27)との生まれた10年以上の年月の差はあまりに大きいと感じる。
その上を行くのが畿内を掌握しつつある三好長慶(33)と四国の一条房基(33)だ。美濃の繁栄は一条房基の影響力を無視できない。土佐との交流で美濃紙と土佐紙の規格は統一された。技術協力により省力化され、生産力や品質もあがった。綿花や石鹸を買い取ってもらうことによる現金収入が大きい。鉄砲の技術協力は得られなかったが、堺から技術を盗用して美濃国内で生産を始めることができた。
美濃は北に越前の朝倉氏、西に近江浅井氏、六角氏と強国に隣接しており、斎藤氏単独では攻めづらい。主君である斎藤利尚と明智光秀の考えは、まずは信長の尾張上四郡の攻略に協力することで尾張統一の後押しをすることだ。美濃と尾張をあわせれば100万石を超える。信長が尾張を統一し、国内を安定させるまで数年必要であると考えている。それまでに国力を底上げするために土佐の知恵が必要だ。高智大学校は諸国から英才が集まっている。知識と人脈と人材の宝庫。そこに私を留学させる。私はまだ竹中重治ではない。岩手重虎だ。仮に転生者である正体がバレたとしても武田信玄の例もあるから命まで取られることはないだろう。こうして斎藤家の家臣から集められた優秀な子供達の一人として土佐へ留学することになった。
留学直後は皆が「土佐学校」で基礎的な学力の確認が行われた。九九表もあったが、19x19のおみやげ算についての理解を示すと「高智大学校」への仮編入が決まった。高知は巨大な学術研究都市で「高智大学校」は創立して10年以上になるという。中村にあったという医学校も移転していた。他国からの留学生は医学部か農学部で学んでいる者が多いらしい。数字に強いところを見せたせいか、天文学部へ勧誘された。見学したところ天文学部は教育機関というより研究機関の色合いが濃いようだった。美濃の国力増強を考えると農学部で学ぶことにした。いろいろ学部の名前はついているが、ほとんどが研究機関で、医学や農学以外を教えてもらうならば「土佐学校」で課外授業を受ける形となるようなシステムとなっていた。その中で才能を見い出された数名が大学校へ招へいされるらしい。できるだけ多くの課外授業を受けるため忙しい日々が始まった。
竹中半兵衛=竹中重治。まだ元服もしていないので幼名の重虎としています。竹中家はまだ岩手と名乗っていた時期なので岩手重虎。史実では1556年の斎藤義龍vs斎藤道三で道三側についた長良川の戦いが初陣ですが、道三が義龍を廃嫡する理由がないため長良川の戦い自体が発生しません。
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