201 三国同盟のその先
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次回更新は06/23(日)
(1554 32歳)
周防・土佐・安芸の三国同盟が成った。周防に渡るのは久々であった。家臣からはこちらから出向くと侮られると言われたが、侮られたほうが良い。周防に勝てたのも阿波に勝てたのも相手が侮ってくれたからだ。それに現地に残る兵や、屋代島を占領している軍、協力してくれた水軍衆などを労うために各所に慰問する必要もあった。トップ会談よりもその前後で一人でも多くの兵に声をかけ、感謝し、激励するために多くの時間を割いた。
土佐が得たのは屋代島(及びその周辺の群島)。村上水軍の内、最も小さかった来島村上氏全体を移住させるべく準備を進めさせている。屋代島は瀬戸内海では淡路島、小豆島に続いて3番目に大きな島。来島と比べると300倍の大きさになる。今後は四国にある各種訓練所の多くを移設し、巨大な駐屯地化していく予定だ。伊予で培ったノウハウを元に、南蛮貿易で得たオリーブやレモンを中心に果樹栽培に力を入れる。本州との海峡は1kmほどと狭く、交通の難所ではあるが、好漁場でもある。人口増加し続ける土佐からの移住先の一つでもあった。
大内水軍はほぼ壊滅状態であり、山口に駐屯する3000名は水軍が中心となる。3000名の兵が駐屯するとなれば1万人規模の街を作るのと同義であり、実質的に本州の前線基地として山口湾には砲撃に耐えうる新しいタイプの城を築かせる。条約の枠内でゴリ押しして既成事実を積み上げる。岩国、下関、萩にも水軍の拠点を増やしていくつもりである。
領地を切り取らなかったことに苦言を呈する家臣は多かった。忠言には感謝したが、丁寧に説明を行った。今回は弟である大内義房が総大将として、大内義隆の仇を取ることが目的の戦だった。表立って強権を強いると反発も強くなる。気づかれないように支配を浸透させていく。西は下関から東は備中までの海上交通を支配下に置くことを優先させる。四国は安定し、食糧生産が中心な他国とは違って、販売可能な特産品の生産も順調だ。三国同盟により、販売先が一気に増える。荒れた土地を手に入れるのではなく、独占的な経済圏を広げることを優先させる。土地は豊かにさせてから手に入れればよい。
大内義房は中心となって伊予の街づくりを行った。四国の行政の中心地を作ったのだ。周防・長門・石見を治めるにあたり、法体系は一条式目・一条法度をほぼそのまま使い。各種奉行などの行政組織も土佐のやり方に移行していくつもりのようだ。大内義房とともに周防から移り住んで学んでいた者だけでなく、土佐から多くの文官が周防へ移っていった。出向者もいれば、募集に応募した者もいた。高智大学校に在学中の者もいた。四国内ではどうしても土佐閥が強い傾向があり、新しい国づくりに魅力を感じた者も多かったようだ。急激な改革には痛みが伴う。元々、武断派と文治派の派閥争いの末に大寧寺の変が起きたことを考えれば、武力衝突は必至だろう。周防に向かう者たちには常在戦場の覚悟を持つよう、武具一式を持たせて送り出した。その他にも農業改革のために多くの人員が招へいされていく。堤が整備され、新田が開発され、土佐の移住村が多くできることになるだろう。
三国同盟後、毛利元就・隆元親子からはひっきりなしに手紙が届くようになった。尼子攻めの協力要請であり、調略の進捗であり、土佐筒の売却依頼であり、支払いの猶予願いであり、多岐に渡った。毛利氏は尼子氏と大内氏を天秤にかけてきた日和見な小笠原氏を攻めることで、石見銀山を押さえることが最優先事項となる。陶氏に近かった益田氏は大内氏が攻めることになっている。これで石見国はほぼ平定され、尼子氏攻めは年が明け、雪が解ける春以降になる予定だ。現在は石見と出雲の国人衆を調略中。謀神のお手並み拝見だ。毛利氏が石見銀山の利権を手に入れるのは尼子氏を降してからであり、幕府からの矛先が向く前に石見銀山は朝廷の御料地として献上するため、直接的な収入は見込めない。交易による物と人の出入りによる収益はずいぶんと先になる。そして日本海側の海運を土佐水軍に頼るしかないと気づく。収益は予測より何割か少なくなるだろう。
海賊王?
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