逃避
『これから、王の手が届かないところに逃げる。しっかりとついてきて!』
先頭をルプスが走る。
どこかあてがあるようだが、この世界を統べる王の目が届かないところなどあるのだろうかと、ラクリマは不安になったが、それよりも愛するルプスを信じている気持ちの方が勝ったため、必死に走ってついて行った。
逃げる途中、何匹かの仲間たちがラクリマたちを守るようについてきてくれた。
その中には、ミーティアのいとこのシャルムの姿もあった。
『ラクリマ! ルプス! 絶対おれたちがお前たちを逃がすからな! あいつめ、今度はラクリマとキエリまで奪おうとするだなんて‥‥!』
『シャルム、ありがとう。けど、無理はしないでおくれ。王はわたしたちがかなう相手ではないから』
ルプスがミーティアの死を思い出して、目を血走らせているシャルムを心配するが、それでもシャルムは刺し違えてでも王を止めそうな勢いだ。
だが、心配はあれど、今はそれでも協力してくれるのがありがたい。
『とにかく、もう少し行ったところに女神様の聖地がある。そこまで走るんだ!』
ラクリマたちがしばらく走ると桃色の花の蕾のような形の建物が見えてきた。
建物には扉などはなく、ぽっかりと入り口が開いており、ラクリマたちはそのまま走りこんで建物の中に入った。
仲間二匹が外に留まり、追手がないかとさぐってくれている。
建物の中には、中央にぽつんと台座があり、その上に両手を広げたくらいの大きさの丸い器が設置されている。
不思議なことに器から水が溢れ出ていて落ちる前に空気に溶けるように消えていく。
ラクリマは、ここに来たことはあるが、ここが一体どう助けになるのかときょろきょろと辺りを見渡していると、外で見張りをしていた仲間が叫ぶ。
『王が来たぞ!!』
暗い景色の先に紅く凶暴な眼光が見えた。
王もオオカミ型となってものすごい勢いでこちらに向かっているようだった。
風に乗って、濃い血の匂いが漂ってきて、ラクリマの鼻をかすめた。
(そんなっ、お父様!)
『ラクリマ! 君の魔力をその台座に注ぐんだ! そうすれば、人間の世界への道が開く! はやく!』
ラクリマは、感傷に浸る間もなく、いわれた通り魔力を注ぐため、台座に向かいキエリをそっと脇に置いて魔力を注ぐことに集中する。
キエリは、台座が高くて何をしているかが見えないので隣で跳ねて覗き込もうとしている。
『おかあさん、なにしてるの?』
『これから、人間の世界に行くのよ‥‥大丈夫だから、お母さんの傍にいてね』
『うん‥‥』
キエリは、さすがに普通の状態でないことは感じ始めたのか、不安そうに母親の足にしがみついた。
『うあああああ!!』
『ひぃ!』
外から断末魔が聞こえてきて、キエリが小さな叫びをあげた。
(はやくっ!! 開いて!)
実際どう開くかまったくラクリマにはわからなかったが、ルプスを信じとにかくこれにかけることにした。
建物の中に王が入ってきた。
真っ黒な毛に血がべっとりとそこかしこについていて、その瞳は鮮やかに紅く光っている。
『ラクリマ‥‥僕とおいで、キエリも一緒にね』
ラクリマは、反応する暇がなく、とにかく魔力に集中した。
『無視かい? 寂しいな‥‥これから番になるのに』
『黙れ!! 彼女もわたしの大事な子も渡すものか!』
『そうだ! ミーティアのように、お前にこれ以上何も奪わせない!』
ルプスとシャルムが走り、王に襲いかかった。
三匹の巨大な生き物が絡み合い、もつれあい、命のやり取りをしている。
キエリは、その様子を震えながら見ていた。
『おとうさん、しゃるむおじさん‥‥』
器がラクリマの魔力に満たされ、光に溢れた。
魔力をかなり使ったせいか人型に戻り、汗だくになったラクリマの目の前に大きな黒い穴が現われた。
『やった!』
『ぐああああ!』
ラクリマの喜びの声と同時にルプスとシャルムの苦痛に歪む声が聞こえた。
シャルムは深く怪我を負ったのか血に濡れてくったりと倒れていて、ルプスも王に足蹴にされて、今にもとどめを刺されるというところだった。
『いやあ! ルプス!!』
ラクリマには、魔力が残されておらず、まともに動けないながらも手を必死に伸ばした。
『おとうさん!』
キエリは、いてもたってもいられず、父親のもとにオオカミの姿となって走り出した。
『おとうさんをいじめないで!!』
キエリは、思いきり王に向かって体当たりをしようと飛び掛かった。
そのとき、キエリのからだからラクリマと同じ魔力の光が溢れ、キエリに力を与えた。
王とキエリがぶつかると、王は勢いよく建物の壁まで吹き飛ばされた。
『ぐぬぅ! あぁぁあ!』
王は、まるでからだ全体に痛みが走っているかのように悶え転がりまわる。
王のからだ中から黒煙が立ち昇る。
ぶつかったキエリは、そのままぱたりと倒れていた。
(あの子がやったの? わたしと同じ、女神様の魔力をあの子も受け継いだというの!?)
ラクリマは、我が子の力にあっけにとられていた。
『あは‥‥あははははは! すごいな! こんなにも濃く現れるなんて!』
王の不気味な笑い声が建物に響いた。
『君が欲しい! 君の全部が欲しいよ!』
キエリの魔力にからだが焼かれて、ぐずぐずとなって元の形をもはやとどめていない王が這いずるようにキエリに近づく。
その前にルプスが起き上がって、素早くキエリを口に咥えてラクリマのもとに駆け寄った。
王は、諦める気配がなく、まだ這いずってキエリを奪おうとしてくる。
しかし、血まみれになりながらも起き上がったシャルムが上から王を押さえ込んだ。
『行け! ラクリマ! ルプス!』
ルプスは、キエリを咥えながらこくりと言い表せぬ感謝とともに頷き、ラクリマもまた目に涙を蓄えながら、力強く頷いた。
『あ、あああぁ! イティ! 僕のイティーー!!!』
背に王の悲痛で欲望まみれる叫びを浴びながら、真っ暗な穴をくぐった。
こうして、ラクリマ、ルプス、キエリは人間の世界へと移った。




