わからない
移動魔法で拉致されたキエリは聖水のせいで身動きが取れず、アーラに抱えられて無抵抗のまま運ばれる。
ゼノは、もう自分の傷は完治させ、アーラの腕に抱かれたキエリを満足げに微笑みながら見ている。
「ゼノ‥‥ここは?」
「ん? あぁ、そうね、ずいぶんと変わっちゃったからわからないわよね。お城よお城!」
「そんな‥‥ここが?」
城だと言われたこの場所は所々城の壁のようなものが見えるが、ほとんど木の表面しか見えない。
(‥‥こんなにも簡単に誘拐されてしまうなんて‥‥でも、ある意味、好機なのかもしれない。このまま魔獣の王のもとに運んでくれるのなら、わたしが魔獣の王をうてばいい)
(そうすれば、この戦いも終わる!)
キエリは、自身の決心を悟られないように、静かにじっと回復を待っていた。
「さ、ここよ」
アーラの歩みがとまった。キエリが運ばれてきたのは、部屋の扉代わりになっているのだろうか、頭上からしなだれたつる草が何かを隠すようにびっしりと生えている。
『我らが王よ、アーラです♡キエリ様をお連れしました』
アーラの声に反応し、つる草はまるで意思を持つかのように横に避けていく。
キエリを抱えたアーラとゼノはつる草の先へと進んだ。
「ここは?」
つる草の道の先は、広い空間が広がっていた。
床にも壁にも天井にまで、所狭しと淡い桃色の花が咲き狂っており、魔法で灯りをいくつも部屋の中に漂わせている。
花からは、ちらちらと光が溢れては空気に溶けている。
この光景は幻想的だが、窓がないからかどこか息苦しい空間だ。
その中心にひとり、黒い外套に身を包み、立ちすくんでいるひとがいた。
こちらからでは、顔が見えない。
キエリの心臓が跳ね上がり、じんわりと手に汗をかく。
(あのひとが‥‥魔獣の王‥‥フェリクスたちの国を滅茶苦茶にしたひと!)
キエリは、少しずつ体力を回復してきたが、まだ満足には動けない。
さらに、ここにはゼノもアーラもいる。
ゼノも強いが、フェリクスの槍を止めたアーラもそうとうなやり手だ。
そのふたりと魔獣の王を相手にするのは得策ではない。
アーラが王の前に跪いてキエリを花の上にのせる。
ゼノも恭しく跪く。
まだ動けないキエリは、上半身だけ持ち上げて、魔獣の王を見上げる。
『大変お待たせいたしました』
魔獣の王がゆっくりと振り向いた。
(!?)
キエリは、魔獣の王はどんな男かといろいろと想像してはいたが、年齢はキエリとそう変らないくらいに若く見え、黒色ではあるが、耳はキエリと同じようでオオカミに近く、しっぽも同じだ。
黒髪で美しく整った顔、深い紅色の瞳を持ち、そしてなにより、雰囲気が優しく、とても誰かを殺すようには見えなかった。
よく見れば全く違うのだが、ほんの一瞬フェリクスに似ているとキエリは思ってしまった。
魔獣の王は穏やかに微笑んだ。
『ありがとうアーラ。君は本当に僕のためによく尽くしてくれるね』
アーラは、頬を赤らめ両手で隠し、まるで少女のように照れだした。
『そっ、そんな‥‥王のためですもの当たり前ですわ』
『ふふっ、君はあいかわらず面白い人だな‥‥ゼノもありがとう』
ゼノは、にこりと笑う。
『んふふ、アナタだったらキエリを大事にしてくれるだろうし、娘の幸せを願うものとしてトーゼンだわん』
ゼノもこうやってキエリを魔獣の王のもとに連れてくるということは、キエリがフェリクスと一緒になるより、この魔獣の王と一緒になることを望んだのかと思うと、キエリは悲しくなった。
『彼女と二人にしてくれないかい? たぶん、困惑しているだろうから』
『そうねん、お互いに知る時間が必要よねん。じゃあ、またねキエリ』
魔獣の王がアーラとゼノに言うと、アーラとゼノは部屋から出ていった。
二人きりになった今が絶好の機会であったが、キエリにはひしひしとわきあがる疑問があった。
何故、自分を番としたいのか、何故、人間の世界を襲ったのか。
キエリが動かないままでいると、魔獣の王は座ってキエリに目線を合わせた。
『突然連れてこられて困惑しているよね‥‥ごめんね‥‥でも、僕には君が必要なんだ』
魔獣の王は本気で申し訳ないと思っているかのように、深く頭を下げ、謝罪をしてきたので、どの口が言うんだという思いで顔をしかめてしまった。
『どうして、必要なの? わたしに何かあるというの? わたしの魔力?』
キエリを求める可能性があるとすれば、それくらいしかなく、吐くようにして問いかけた。
魔獣の王は顔を上げ、驚いたようにキエリを見る。
『知っていたのかい? 君の魔力について?』
『‥‥特別な何かがあるとは言われたけれど、正直それが何なのかわからない。特別だと感じることもない』
『特別だよ‥‥君は、特別だよ。僕にとって』
魔獣の王は、穏やかに朗らかに微笑む。
キエリはこうやって言葉を交わすたびに、笑顔を見せられるたびにこの魔獣の王が本当に残酷なことができるひとなのか、と疑いたくなる気がしたが、そうならないように(このひとはわたしが殺すんだ)と何度も心に言い聞かせた。
『君が必要な理由を正直に話そう。僕は呪いがかけられている』
『呪い?』
キエリは、呪いなどというものには知識がなかったので、言葉の綾なのだろうか、と思った。
『そう、呪い。僕は、生きられる場所が限られているんだ』
魔獣の王は、周りに咲き乱れている花々に視線を移す。
『この花からはね、魔力が常に生み出されているんだ。それが空気に溶けて、空気の質を変えている』
『ここは特にこの花の魔力の濃度を高くしているんだ‥‥そうじゃないと、僕は苦しみ悶えて‥‥死んでしまう』
『僕の生きられる場所は、この世界では、ほんの一握りなんだ‥‥』
『‥‥っ!』
キエリは、息をのんだ。
まさか、魔獣の王にこんな弱点があったのかと喜ぶよりも、本当に辛そうに話す魔獣の王に同情する心が自分に一瞬芽生えてしまったことに対する困惑だった。
『気づいているかい? この魔力は君の魔力と全く同じなんだ』
キエリは、この淡い桃色の花は魔獣の世界で見覚えが確かにあった。
(わたしの魔力がこの花と同じ? そもそも、この花に魔力があるだなんて‥‥確かにこの花は、もともと人間の世界にはなかった。魔獣の世界のものだ。そんな特殊な花だったんだ‥‥)
『僕の望みは‥‥ただ、みんなのように普通に生きてみたいんだ。いろんな景色を見たい‥‥それだけなんだ』
魔獣の王は、目を伏せ、耳としっぽがしおれ、その瞳からは、深い悲しみが見て取れた。
キエリの心に、何故か彼の悲しみがじんわりと伝わってくる。
(なんなのこのひとは!? それに、どうして? どうしてわたしの心がそがれていくの!?)
(だめよ、よく考えて! このひとは大勢の人間を殺したのよ!)
魔獣の王は、ゆっくりと顔を上げ、キエリの瞳を見つめる。
彼の瞳は血のように赤いが凶暴性がない。
むしろ、悲しみで涙がでそうになっていたのか、瞳が濡れて輝き、宝石のようだった。
『僕の‥‥お願いをきいてくれないだろうか?‥‥君の魔法があれば、外に出られる。外に出たいんだ。人間の世界を見てみたい』
キエリの顔は、困惑で歪んだ。
憎しみがどんどんキエリの心から逃げて行ってしまう。
同情が芽生えてくる。
これ以上絆されたくない。
『‥‥‥できるわけない。あなたに協力なんてできるわけない! だって、あなたは何人もの人間を殺したでしょう!? たくさんの人間を苦しめたでしょう!? どうして、人間の世界を襲ったのよ!? そんなあなたの‥‥望みなんてきけない』
魔獣の王は、キエリの言葉に酷く衝撃を受けているのか、からだが固まった。
そして、また俯き、静かに涙を流した。
『そう‥‥か、君は人間を愛しているんだね? だから、魔獣の王である僕が憎いのかい?』
『‥‥そう、よ』
キエリの言葉の歯切れは悪かった。彼の涙がキエリの心をどうしようもなく揺らす。
『‥‥‥』
『わかった‥‥‥無理に連れてきて申し訳なかったね。君を人間たちのところに送り届けよう』
『えっ‥‥?』
キエリは、魔獣の王の言ったことが信じられなくて、目をぱしぱしとして、魔獣の王を見る。
(どうしよう‥‥このひとがわからない‥‥こんなにすんなりわたしを帰すというの? 何を考えているのか、何が目的なのか‥‥)
(本当にこのひとは、呪いに苦悩しているだけなの? 本当に、ただただ、外に出てみたいの?)
キエリには、魔獣の王が苦しんでいるのが心に直接伝わってきてしまった。
(わたしは‥‥わたしは‥‥)
キエリは、ゆっくりと手を魔獣の王に差し出した。
『一度‥‥だけ』
魔獣の王は、驚いたように目を見開いてキエリを見る。
そして、本当に嬉しそうに満面の笑みを見せ、彼のしっぽが少し揺れた。
『ありがとう。本当に‥‥ありがとう』
魔獣の王は、キエリの手を優しく大切そうに握った。
彼の手は、雪のように冷たかった。




