あの人
フェリクスは、ルナからの伝言でゆっくりしていてと言われていたが、キエリがマギに呼ばれて居なくなってから、結局アクイラをはじめとした若い隊員に稽古をつけていた。
フェリクスは、ひとりで何人も同時に相手しており、今はアクイラとキエリが湯浴み場で出会った女性が練習用の木刀で切りかかろうとしている。
「いきます!」
「うりゃー!!」
アクイラと女性が挟み撃ちして逆方向から同時に攻撃を仕掛けるが、フェリクスがぐっと腰を落とし、二人の攻撃を同時に避け、持っている槍に見立てた木の棒でアクイラの腹を打ち、すぐに立ち上がり、バランスを崩している女性を掴んで放り投げた。
「相手は動いてるのだから、常に二撃目、三撃目を考えておくんだ」
「はっはい!」
「う~、はーい‥‥」
フェリクスを探しにキエリとルナが急いで走って来た。
「殿下! ここにいらしたのですね」
「急いでどうした? キエリ、ルナ」
必要以上に近寄らないようにしているキエリの代わりに、ルナがフェリクスに話す。
「殿下、敵襲の可能性があります。ご準備を」
「わかった」
フェリクスは、何故かと聞き返すこともなく返事をし、即座に周りの隊員たちに戦闘準備をするように指示をだした。
もう、戦いがすぐ近くにあることに慣れすぎているがための即座の判断だと思うと、キエリは少し心がぎゅっと締め付けられる。
「ねぇ、ちょっと」
キエリがとんとんと肩をつつかれて、振り向くと、キエリが湯浴み場で出会った女性だった。
「あ、あなたは‥‥そういえばお名前を尋ねていなかったです」
「そう! それが聞きたかったの! というか、あなたの名前はもう聞いちゃったんだけど‥‥」
女性は可愛らしい笑顔と共に右手を差し出してきた。
「あたし、プエッラ・ウィス! よろしくね、キエリさん!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。プエッラさん」
キエリは、好意的な笑顔が嬉しくて、にこりとほほ笑んで握手に応じた。
「本当はプエッラさんともっと話したいところなんですけど‥‥」
「うん、そうだよね。じゃ、またあとで!」
プエッラは笑顔でキエリに手を振って、キエリがフェリクスのもとに駆けていくのを見送った。
「はぁーあ‥‥やっぱりそうなのかなぁ‥‥」
ひとり呟くプエッラにアクイラの歯ぎしりが聞こえてきた。
「あの魔獣め‥‥殿下のみならず、ルナさんにまでべたべたと‥‥」
プエッラは、うわっと声をもらすほどドン引きして、アクイラを見る。
「あんたがお二人の信者ってのはわかってたけど、ひくわー」
アクイラがハッとして、苦々しくプエッラを睨む。
「プエッラこそ、いつの間にあの魔獣と仲良しごっこなどし始めたんだよ! 握手なんてして、その手でオレに触るなよ!」
プエッラは呆れたようにため息をついた。
「だって、キエリさんいいひとそうなんだもん‥‥そうなんだよね‥‥はぁー、もっと悪そうなひとだったらよかったのに」
プエッラが見つめる先は、フェリクスの後ろを歩くキエリをフェリクスがちらりと見ていた姿だった。
「あたしの儚い恋は、ここで終わるのかな‥‥」
プエッラは独り言を呟いて、肩を落とした。
「どうしたプエッラ? 腹でも痛いのか? 今のうちに手洗いにはいっとけよ。今から敵襲に備えなければいけないのだから」
プエッラはカチンときて、アクイラの背に思いっきり蹴りを入れた。
「なっ、何すんだよ!?」
「乙女心もわからん奴なんか知るか!」
プエッラはアクイラを置いて、さっさと自分の準備をしに走っていってしまった。
アクイラは、プエッラに何故蹴りをいれられたかわからず頭からはてなをとばしながら、今日一日でどれだけぶたれたんだ、と気がめいってしまった。
砦は、現在厳重な戦闘態勢をとっている。
魔獣の軍隊が砦のどの方面から攻めてくるかわからない。
フェリクスの周りにはルナ、キエリそしてウンブラそして何人かの隊員がついている。
段々になっている砦の二階から出た一階部分の屋上にあたるところから辺りを見渡す。
しかし、どこからも魔獣の姿が一匹たりとも見えない。
ウンブラが顔をしかめて髭をさする。
「杞憂だったのか‥‥?」
「??」
キエリが違和感を感じて、空を見上げた。
キエリの行動に即座にフェリクスが反応する。
「どうした、キエリ?」
「殿下、空から魔力のわずかな揺れを感じました」
フェリクスも空を見上げ、長身の槍を握りしめる。
空が大きく歪みだした。
「全員、空からの襲撃に備えよ!!」
フェリクスが号令を出すと同時に空間の歪みから、何匹もの魔獣が降ってきた。
翼をもち、ワシのような鋭いくちばしと爪を持ち、人間よりもひとまわり大きな魔獣たちは、飛び出しては、その翼で空中を舞い、隊員たちに襲いかかってきた。
フェリクスは、魔獣が攻撃してきたところを狙い、槍の長さを生かして、その魔獣の喉元にぐさりと突き刺した。
ルナもウンブラも引けをとらない。
ルナは、身軽に飛び空中を舞い、魔獣の攻撃をかわしては魔獣の上をとって、剣を魔獣の首に突き刺した。
ウンブラも巧みな剣さばきで魔獣の群れを圧倒する。
キエリの耳にこびりつくように人間と魔獣の叫び声があびせられる。
(しっかりしないと‥‥でも、変だ。わたしを狙ってこない?‥‥なら、わたしがいくしかない!)
キエリは、オオカミ型となって、フェリクスの後ろをとる魔獣に飛び掛かった。
相手の魔獣は翼を広げればキエリより大きく見えるが、体重は軽いせいか、キエリが飛び掛かれば地面にすんなり落ちた。
魔獣の首に噛みつき、息の根をとめる。ばきりという肉と骨が砕ける不快な音が口の中からした。
(考えるのはやめよう‥‥大事なひとを守るために!)
しかし、相手は攻撃しては、すぐに空中に逃げるというのを繰り返し、隊員たちを翻弄している。
武器が肉に食い込む音、爪が肉に食い込む音、人間の叫び、魔獣の叫び、そんな地獄のような状況で、戦場に似つかわしくないヒールが地面をたたく音がキエリの耳に届いた。
コツコツコツ‥‥
キエリの耳がぴくつき、その音がする方を向いた。
「‥‥っ!?‥‥うそ‥‥」
キエリは、その人物を視界にいれると、目を見開き、息をのんだ。




