責任
キエリが部屋に入り、寝台の方に行くと、やはりフェリクスはまだ寝ていた。
(今まで眠れなかった分、寝てるのかな)
キエリは、そっと寝台に腰掛けて、フェリクスの頭を優しく撫でた。
「フェリクス‥‥せめて、ここにいる間はわたしがあなたを支えるから」
すると、急に寝ていたはずのフェリクスに手を掴まれて、引っ張りこまれ、キエリは、フェリクスの上に乗っかるようにして抱きしめられた。
「ちょっと、フェリクス、起きてたの!?」
「キエリが部屋に入ってくるくらいで、目が覚めた。こんなに寝たのは久しぶりで頭痛がする‥‥」
フェリクスは、ぼーっと天井を見つめている。
キエリは、先ほどのことが聞けれていないかと気が気でなかった。
もしかしたら、寝ぼけて聞いていないかと思ったが「それで、ここにいる間、とはどういことだ?」と指摘され、聞いていないかも、という希望は虚しく砕け散った。
しかし、キエリはフェリクスが苦しむのがわかっているから、もう言い訳するよりもしっかり伝える方がよい、と決心を固めた。
キエリは、からだを持ち上げて、フェリクスを見下ろす。
「フェリクス、聞いて。わたしは、あなたのことを愛しているわ。でも‥‥だからこそ、わたし、あなたの邪魔にはなりたくない‥‥」
「本当は、今だって一緒にいるべきじゃない。今は、わたしのわがままであなたの隣にしがみついてるの」
キエリは、両親のことを飲み込んで心の奥底にしまっても、まだ、キエリとフェリクスに立ちはだかる壁は厚く、何重にもなっている。
魔獣と人間のしかも王子という間にできる壁。
いくら二人が愛し合っていても、それを周りの人間が、国を背負うという責任がそれを阻む。
それでも、少しの間でも一緒にいたいという気持ちが、キエリをここに留まらせている。
「キエリは‥‥君の存在が俺の邪魔になっていると言いたいのか?」
「そうよ‥‥魔獣のわたしでは、王子のあなたの隣には立てない。でも、もうわたしは魔獣として生きている」
「その時点でわたしたちの道は違えてしまったの」
フェリクスはキエリごと起き上がり、そのままキエリをきつく抱きしめる。
「違うよ、キエリ。俺は君がいたからこそ、生きてこれたんだ‥‥‥俺は弱い人間で、本当はいつだって心が折れてしまいそうになる。特に戦っているときや一人になった時は‥‥いつかまた大事なひとが突然いなくなってしまうのではないか、この戦いは本当に終わりが来るのだろうかと、不安で仕方がなくなる」
「でも、そういうときは、君の笑顔を、声を思い出していたんだ。柔らかくて、優しい、いつだって俺に光を与えてくれる‥‥君はきっとどこかで生きていて、また会えるという希望にすがって生きてきた」
フェリクスがより距離をなくそうとキエリを引き寄せる。
キエリは、少し苦しいと思っても離れたくなくなってしまう。
しかし、キエリを強く抱きしめていたフェリクスは、そっとキエリを離した。
キエリから、息苦しさと心地よい熱が消えていく。
寂しげにフェリクスの顔を見れば、フェリクスの琥珀色の瞳とキエリの透き通った水色の瞳の視線が重なる。
彼の瞳に苦痛を伴った悲しみの色が浮かぶ。
「キエリ‥‥君が俺を苦しめているんじゃない。俺の王子という立場がキエリを苦しめているのだろう?」
「‥‥」
キエリは、考えたことはあった。もし、フェリクスが王子でなかったら、もし、フェリクスにキエリの父から作った薬を使われていなかったら、もしも、もしも‥‥。
いろんな「もしも」を考えたが、そんなのはかなうことのない、ただの想像でしかない。
こんな考えはキエリの足をひっぱって動けなくさせるだけだった。
「もし、あなたが王子でなかったらと、考えたことない、って言ったら噓になるけど‥‥」
「フェリクス、わたしはあなたが王子だってこともわかって、あなたに好きだと伝えた。その時は、わたしは一生魔獣だということを隠すつもりだった」
「でも、今はもう状況が違う。わたしは魔獣だということを隠して生きるつもりはない。それは、わたしのわがまま。そのわがままにあなたが付き合う必要はないというだけだよ‥‥だから、そんな悲しい顔しないで」
キエリが心が軽くなるくようにと言った言葉もフェリクスには届いていないようで、フェリクスはこうべを垂らし、肩をすくめる。
「そう‥‥なんだよ。俺は、君に秘密を持ち続けることを強い続けていた。それを見て見ぬふりをしていたんだ。君と一緒に居たかったから‥‥」
フェリクスがはっと何かに気付き、顔をあげ、キエリを肩にすがるように掴む。
「俺が君をそうやって苦しめ続けたから、君は四年前にいなくなってしまったのか? もう、俺の元にいるのが嫌になったのか?」
昨日までは、キエリがいなくなってしまい、フェリクスを拒絶したことに対する怒りがフェリクスの大半を占めていたが、今はそれよりもキエリを再び失う恐怖や不安がフェリクスの心を蝕んでいる。
「違う‥‥違うよ、フェリクス、あなたは何も悪くない」
キエリは、フェリクスの頬に触れ、優しく撫でる。
だが、フェリクスは不安が消えていないのか、俯いて視線を外した。
(本当にただ、悪い偶然が重なっただけ‥‥でも、あのことは言えない。もし、わたしの昔の話を聞いて涙を流してくれるくらい優しいこの人が知ってしまったら、どれだけ苦しめてしまうか‥‥)
(今だって、彼の心には苦痛と悲しみが這いまわっている‥‥どうすれば、彼の心を救えるの? 魔獣のわたしが、人間の‥‥しかも、王子のフェリクスに、何ができるの‥‥)
しばらく黙っていたフェリクスは、深くじっと考え込んでいて、結論が出たのか、ゆっくりと口を開いた。
「父上と母上が生きていれば一番なのだが、亡くなっている可能性はある‥‥」
王と王妃がすでに亡くなっている。
そんな最悪の場合は考えたくはなかったが、敵の襲撃にあい、しかも四年の月日が経っている。
良ければまだ捕虜として捕まっていて、最悪は命が奪われている。
だが、捕虜として捕まえておいて、魔獣の軍からなんの音沙汰もないとすると、後者の可能性の方が高いだろう。
「だがもし、生きていれば王位は父上と母上のものだし‥‥もし、亡くなっていれば、俺に王位がめぐってくる‥‥」
キエリは、何も言えず、ゆっくりこくりと頷く。
「キエリ、俺は国を魔獣たちから取り戻したら、王位を隣国の叔母上に渡そうと思う」
「え?」
突然の発言にキエリは目を丸くした。
「キエリも知っているだろう? 隣国に嫁いでいった父上の妹がいると。俺の次は、叔母上が王位継承の順がまわる」
「それは、知っているけどっ、でも、いいの?」
キエリは、フェリクスが良い王になろうと日々勉強と仕事に努力をしていたことは、痛いほど知っている。
それは、愛する王と王妃の願いに応えようとしていたのもあったが、フェリクス自身も国民のためという意志があったからだ。
王位を放棄するということは、その全て努力を棒に振ることと王と王妃の願いを無下にするということだ。
フェリクスにとって、それは簡単な決断ではなかったはずだ。
「今までの努力が、王妃様や王様の想いも、全部なかったことになるのよ」
「いい、キエリを追い詰めてしまうより、ずっといい」
本当は、止めるべきだ。それは、キエリは頭で理解していた。
しかし、頭で考えていることと、心にわいてきた気持ちは、全く逆だった。
「本当の、ほんとに? いいの?」
「あぁ、むしろ、こんな身勝手で、何でもない俺とでも、一緒にいてくれるか?」
キエリは、愛おしそうにフェリクスの両頬を手で優しく包み、形をなぞる。
フェリクスに辛い決断をさせてしまったことに胸が苦しくるが、心はじんわり熱くなる。
「もちろんよ、王子のあなたも、王子じゃなくなっても、わたしにとって、あなたは大事なひとだもの‥‥」
フェリクスは、穏やかに微笑んで、今度は優しく、宝物に触れるように、キエリを抱き寄せた。
キエリもめいっぱい手をフェリクスの背に伸ばして、フェリクスの温かさを感じ取ろうとした。
「フェリクス、こんな決断をさせてしまって、ごめんなさい。でも、どうしようもなく、嬉しい‥‥」
「いいんだキエリ、俺にとって君が全てなんだ」
この決断をした二人の前には今までの壁が崩れたが、その先に新たに「この戦いを終わらせる」という壁ができた。
しかし、キエリはこの壁なら二人で乗り越えられると思えるだけで、希望が前よりもずっと持てた。




