敵意
アンナがいるだろうと聞いたのは、隊員たちに食事を配給している部屋で、今も何人もの隊員が朝食をとっている。
しかし、キエリが部屋に入った瞬間、彼らの時間がとまったかのように、食事をする手がとまり、キエリに注目が集まった。
アンナは、ウィルトスの隊員たちと一緒にごく普通に朝食をとっていて、キエリに気付くと椅子から立ち上がってキエリのもとに駆け寄った。
「アンナ!」
「キエリさん! 元気そうでよかった! 心配してたんですよ、あの恐ろしい大男に何かされてないかって‥‥」
アンナは、ぎゅーっとキエリに抱き着いて、ぐりぐりとほっぺをこすりつけた。
「ちょ、ちょっとアンナ苦しい‥‥それで、アンナどういうこと? ウィルトスに入ったって」
アンナは、キエリから離れて、アンナが来ている服をぱっと手を広げて見せた。
彼女が身に着けているのは、ウィルトスの隊員の服装だった。
「だって、ただ捕まってるだけなんて悔しいじゃないですか! しかも、人質だなんて‥‥だから、志願してやったんです! 『あたしをウィルトスに入れなきゃ舌噛むぞ!』って脅して」
「むこうも少しでも戦力はほしいようでしたしね!」
アンナの驚きの行動にキエリは立ち眩みがした。
アンナの肩を掴んで、はぁーっと息を吐く。
「アンナ‥‥またあなたは無茶して、でも、きっともうあなたは家に帰れるわ、もう人質でいる必要はないから」
「どういうことですか?」
アンナは首を傾げる。
キエリは少しほほ笑んで、アンナの手を握る。
「わたし、自分の気持ちに正直になることにしたの‥‥」
アンナは、目を見開き、感動して目が輝き、思いきりキエリに抱き着いた。
「よくはわかりませんが、とりあえずキエリさんが笑ってくれてる! それで万事良しです!」
キエリは、アンナの勢いに倒れそうになったが、何とか踏ん張って、アンナをそっと抱きしめた。
「ありがとう、アンナ。本当は、少し怖いけど‥‥頑張ってみようと思う」
「そうですか‥‥そうですか!」
ゆっくりとアンナを引きはがし、キエリは申し訳なさそうにアンナを見る。
「だからねアンナ、わたしはあなたにたくさん助けてもらったから、恩返しとかはもう考えなくていいのよ。村に戻って、家族と過ごして」
しかしアンナは、きっぱりと首を横に振って、村に帰ることには断固拒否した。
「いいえ、帰りません! あたしはキエリさんと一緒にいたいんです! だから、村から出たんですよ」
「まさか、このまま本当に戦争に参加する気?」
「はい! キエリさんがここに留まるなら、もちろんあたしも動きませんよ」
アンナは、ぱっと明るい笑顔を見せるが、キエリは若い女性を血にまみれた戦いに巻き込んでしまったことに、心が締め付けられた。
この街に来た時も命の危険に彼女はさらされていたことがキエリには辛かった。
「アンナ、どうか考え直して、わたしとこれ以上いたら、命がいくつあっても足りないわ‥‥」
アンナが頑として考えを改めない。
「いいえ、キエリさん、あたしは勝手にあなたについてきて、勝手にウィルトスに入ることも決めたのですから、あなたが気に病むことはありませんからね」
そんなことを言われても、キエリの心が晴れることはない。だが、アンナの心も折れることはない、とキエリは感じた。
「わかったわ、アンナ。でも、お願いだから無理はしないで‥‥」
キエリは、アンナの頬に触れて、心配そうにアンナの瞳を見つめる。
それにつられて、アンナも八の字に眉が上がり、納得してなさそうだがゆっくりこくりと頷いた。
「あっ、そうだ」
アンナは、何か思い出したようにぱんっと手を叩いて、アンナの隣で静かに食事をしていた青年の腕を引っ張って、キエリの前まで引きずってきた。
「キエリさん、紹介しますね。この人は、アクイラ。あたしを監視していた人です!」
アンナは、笑顔で説明するが、内容が内容でキエリはどう反応していいか困った。
アクイラと紹介された青年は、アンナにもキエリにも何か言うでもなく、ただ、アンナに対して不快という表情を露わにしている。
アンナは、反応がないアクイラの顔をまじまじと見る。
「どうしたのアクイラ? さっきまであんなにおしゃべりだったのに‥‥まさか、キエリさんが美人だから緊張してる? ちょっとっあなたにキエリさんはあげないからね!」
アクイラは、きゃんきゃん騒ぐアンナのことは無視して、キエリに射抜くような視線を向ける。
キエリは、以前にも似たような向けられたことがあり、この視線の意味がすぐに分かった。
「お前はなんとも思わないのか? こいつは魔獣だぞ! 人間の敵なのにどうして、そう普通でいられるんだ?」
アンナは、ぴたっと固まってアクイラを見る。
キエリは、ただ、静かにアクイラを見つめる。
周りの隊員たちもキエリに対して決して好意ではない視線を向けている。
「アクイラさん?ですね。あなたを不快にさせてしまったなら、ごめんなさい」
「っ‥‥」
彼はキエリの言葉は間違いなく聞こえているが、会話するような姿勢は見せない。
「ですが、これからは、捕虜という立場ですが、みなさんに協力します。よろしくお願いします」
キエリは、ぺこりと頭を下げた。
顔を上げると、アクイラは、理解できないと言った様子で怒鳴りつけてきた。
「まさかっ、魔獣が協力だと!? そんなの寝首を搔かれるかもしれないじゃないか! そんなのごめんだ!」
「どうして殿下はこんな奴を生かしているんだっ‥‥」
キエリには、今すぐ彼らを信用させられるような術は持っていない。
彼の向けてくる苛立ちがキエリの心に刺さる。
そして、なによりもその敵意の視線がいつかフェリクスにまで行きついてしまうかもしれないことが、キエリにとっては恐怖だ。
「あのように殿下に近づいて‥‥まさか、殿下をたぶらかそうとしているんじゃないだろうな! はんっ、雄の魔獣はおぞましくも人間の女性を襲っていたが、雌の魔獣というのは、その顔で人間の男をたぶらかすようにできているのか?」
「‥‥‥」
キエリがアクイラの言葉を静かに受け入れていると、黙って固まっていたアンナが動き出し、突然バチンッ!とアクイラの頬を思い切り平手打ちした。
「なっ!?」
「あなた、最低‥‥」
放心状態のアクイラにアンナはもう一発、今度は股に蹴りをくらわした。
「ぐっ‥‥」
まさかの攻撃にアクイラは苦痛に顔を歪ませて、かがみこんだ。
周りの男性隊員たちは、ひぇ‥‥という悲鳴をあげて、アンナに恐れの視線を向ける。
アンナは顔を真っ赤にして、怒りが全身から満ち溢れている。
呆然としていたキエリが慌てて、アンナの手をとる。
「ちょっ、ちょとアンナ、なんてことを!」
「これでも足りないくらいです! だって‥‥だってこいつ、キエリさんのこと何にも知らないのにっ馬鹿みたいなこと言って!」
「アンナ‥‥」
「そりゃ、あたしだって、ついこの間キエリさんと会ったばかりで、キエリさんのこと全部知ってるわけじゃないですけど‥‥でもっ、命がけであたしの村と賊に捕まっていたあたしや他の女の人たちだって助けて! 無理やりついてきたあたしなんか、さっさとおいて行けばいいのに、歩幅を合わせてくれて! また、勝手に街に行ったあたしのこと心配して、街まで探しに来てくれて!」
「キエリさんは‥‥優しいんだもの‥‥初対面でいきなり酷いこと言うあんたなんかと違って、優しいんだから‥‥!」
アンナは、悔しさのあまりに両目から涙が出てきた。
「うっく、うぅ‥‥やざじいん、だからっ」
アンナがもう我慢の限界がきて、子供のように泣きじゃくり出した。
キエリがあわあわしながらアンナの涙でくしゃくしゃになった顔を手で拭う。
「アンナ、ありがとう。アンナがそう思ってくれるだけで十分だから‥‥泣かないで、ね?」
「うぅ‥‥ひっく」
子供をあやすようにキエリはアンナを抱きしめて、背中を優しくぽんぽんと叩く。
「朝から騒がしいですが、何をしているのですか?」
騒然とする食事部屋に入ってきたのは、インテルだった。




