寒さが残る
キエリが研究室から自分の部屋に戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
村でもこんなに話したことがなかったキエリはどっと疲れてベッドに倒れこんでいた。
(地下室にいると時間の感覚がおかしくなりそう‥‥ゼノはまだやるって言ってたけど、大丈夫かな?)
ひとりになった途端に周りが静かなのが感じられ、落ち着かない。
窓の外から、明るい月が見える。
(今日はフェリクスさんに会ってないな‥‥)
キエリが寂しくなって、心がきゅっと苦しくなる。
首元を探り、フェリクスからもらったネックレスを取り出す。
ネックレスにはフェリクスの瞳の色をした石が月明りに照らされて、優しく輝く。
それを見ると、フェリクスに見守られている気がして、とても心が落ち着いた。
(フェリクスさん‥‥魔獣のわたしを受け入れてくれた人、わたしの好きになった人‥‥)
(あの人と一緒にいたい‥‥できるだけ長く)
疲れがキエリの瞼を重くする。
(明日は、会えるといいな‥‥‥)
キエリは、幼い頃の夢を見た。
森の奥、大きな洞穴の中に一つの家族が住んでいた。
前日から雪が降り、森は一面雪化粧をしていた。
『おとーさん! おかーさん! みて、そとまっちろけ!』
はしゃぐ無邪気な声とともに洞穴から飛び出したのは、一匹の幼いオオカミのような獣だった。
獣は積もった雪に飛び込んだ。
『なにこれ! つめたい! もしゃもしゃ、おもしろい!』
雪を踏む感触が新鮮だったのか、雪の中を飛び跳ねる。
銀色の毛が雪に反射する光を映しきらめく。
洞穴から二匹のオオカミのような獣がでてきた。
しかし、通常のオオカミとは違い、馬より大きい。
この二匹も幼い一匹も人間から魔獣と呼ばれる生き物だ。
二匹の魔獣はどちらも銀色の毛が美しく、仲睦まじい番である。
二匹は、飛び跳ねる幼い我が子を愛おしそうにお互いに寄り添って見つめる。
母親が幼い魔獣に近づき、慈しむように毛繕いする。
それを幼い魔獣はくすぐったそうにしながらも、心地よさそうにしている。
『わたしたちのかわいい子、もうからだは痛くない?』
母親は優しく語り掛けた。
『いたくないよ、あんなにいたいのなおしちゃうなんて、おかーさんのまほうすごいね!』
『‥‥よかった』
洞穴から父親がでてきて、幼い魔獣を口にくわえて洞穴にもどす。
『今から、お父さんとお母さんは食べ物がないか探してくるから、ここで隠れてなさい』
せっかく遊べると思ったのに、すぐに留守番をしていなくてはならなくなって、少ししょげてしまう。
しかしそれ以上に、大好きな父親と母親が一時的でも離れてしまうのはとてつもなく寂しい。
『すぐ、かえってくる?』
父親は、人が頭を撫でるように、幼い我が子のふわふわとした頭を軽くはむ、それがまたくすぐったくって幼い魔獣はころころと笑う。
『すぐに帰って来るよ、美味しいものを持って帰ってくるから待ってなさい』
『わかった!』
幼い魔獣はふさふさのしっぽを左右に揺らした。
父親と母親は幼い魔獣を残して、食べ物を探しに出かけた。
幼い魔獣は、待ちくたびれて、眠りこけていた。
ざくざくという足音がして、幼い魔獣は耳がぴくっと動き、ぱっと起き上がった。
『おかえりな、さい?』
元気よくおかえりを言おうとしたが、父親たちの表情を見て、語尾が疑問形になった。
帰ってきた父親と母親は魚を口に咥えているが、なにやら不安げにしている。
『どうしたの?』
口に咥えていた魚を下ろし、父親が話す。
『いや、人間に偶然会ってしまってね。わたしたちが大きなものだから、驚かせてしまった』
幼い魔獣は首を傾げる。
『にんげん?』
今度は母親がキエリに優しく説明する。
『ほら、この世界に来たとき言ったでしょう? ここは人間の世界だって』
『人間はわたしたちとは話す言語は違うのだけれど会話もするし、魔法も使うし、とても頭が良くていろんなものを作り出すらしいわ』
『わたしたちと同じで、ひとりひとり姿が違うそうよ』
幼い魔獣はほぇーと言いながら感心する。すると突然なにか思いついたように、ハッとする。
『にんげんとおともだちになれるかな?』
幼い魔獣の思い付きに父親と母親は顔を見合わせる。
そして、我が子を見て穏やかに微笑んだ。
『そうね、あなたは明るくて素敵な子だもの、いつか人間のお友達ができるといいわね』
『うん! なるー!』
幼い魔獣は人間と友達になるという楽しみができて、嬉しくて地面を転がりまわった。
幼い魔獣は大好きな父親と母親とともに彼らなりの穏やかな日々を過ごしていた。
あの日までは‥‥‥。
『はぁ‥‥はぁ‥‥おとーさん‥‥おかーさん‥‥』
幼い魔獣はある日、ひどい熱を出してしまった。
外は吹雪で何も見えないくらいな日だった。
母親は、この病魔を何とか出来る魔法を持ち合わせていなかった。
幼い魔獣は、熱にうなされて、うわごとのように父親と母親を呼ぶばかりだった。
母親と父親が心配そうに幼い魔獣に寄り添う。
『あぁ‥‥からだが変わってしまっている‥‥自分の形を調整できないのだわ』
幼い魔獣の姿は、今までオオカミに近いからだであったのが、なんと人間に近いからだになっていた。
ただ、耳はオオカミのままでしっぽも生えている。
小さい女の子の形となった魔獣は寒気がするのかぶるぶると震えている。
じっと我が子の様子を見て考え込んでいた父親が何かを決心して、すくりと立ち上がった。
母親が心配そうに父親を見る。
『あなたどこに行くの?』
『薬を‥‥薬を人間たちからもらってこようと思う』
母親は驚いて、飛び上がりそうになったが、我が子をからだに包んでいるので動かないままでいた。
『どうやって? 言葉も通じないのに‥‥』
『心配しないで、大丈夫‥‥‥行ってくる』
『あなた!』
父親はそのまま、洞穴から走ってでていった。
外の猛吹雪のせいで父親の姿はすぐに見えなくなった。
『お‥‥とさん?』
母親は心配させまいと優しい声で幼い魔獣に話しかける。
『今ね、お父さんがお薬持ってきてくれるから、それまでの辛抱よ。頑張って‥‥』
『う‥‥ん』
幼い魔獣は、呼吸が荒く辛そうにしている。
母親は、我が子をしっかりと包み込んだ。
しばらくたっても、父親は帰ってこなかった。母親は心配そうに外を見つめる。
すると‥‥
「ぐあああああああああ!!」
『!!』
父親のものと思われる悲鳴が聞こえた。
母親は耳をそばだてる。
しかし、もう父親の叫びは聞こえてこない。
『そんな‥‥あなた!』
母親は幼い魔獣を咥えて、木と葉で作ったベッドに寝かせた。
『おか‥‥さん?』
幼い魔獣は、母親を見上げる。
母親は大丈夫と安心させるように幼い魔獣の頭を撫でるようにはむ。
『お母さん、ちょっとお父さんを見てくるわね。お父さんを見つけたら、すぐに帰ってくるから』
『お母さんが来るまで出ちゃだめよ、ちゃんと帰って来るから、ね?』
『う‥‥ん』
母親はそう言って、洞穴から出て行ってしまった。
幼い魔獣は、ひとりで洞穴の中で病魔と闘っていた。
(おかーさん、おとーさん、まだかな‥‥はやく、かえってきて)
『さみしい‥‥さむい‥‥』
どれだけの時間がたったのか、幼い魔獣にはわからなかった。
(まだ、かえってこない‥‥)
いつしか、吹雪はやんで、空は朱色に染まっていた。
幼い魔獣の寂しさと不安はとっくに限界を超えていて。
苦しく辛いからだにむちをうって、洞穴の外にはい出るようにしてでた。
ふらふらしながら、二本の足で立ち上がる。
オオカミの状態より毛の少ないからだは寒さは骨の芯にまで伝わる。
ゆっくりと一歩を踏み出す。
地面は雪で覆われていて、裸足でその上を歩けば、冷たさを感じるのを通り越して痛みが足を貫く。
『おかーさん、おとーさん、どこ‥‥?』
熱でぼうっとしながらもとにかく前に進む。
しばらく、歩くとある匂いが幼い魔獣の鼻に届いた。
(この‥‥匂い)
匂いのする方へと歩き出す。
からだはきついが、この匂いの正体に気付いている幼い魔獣は、早足で向かう。
『おかーさんっ、けがして』
『!』
幼い魔獣がやっと母親の元にたどり着いたかと思えば、まず飛び込んできたのは、金髪の女性の人間だった。
『にんげっ‥‥‥!!!!!』
そして、その人間の足元には幼い魔獣の母親が、今の幼い魔獣の姿の様に人間に近い姿になって血まみれで倒れていた。
『おかーさん!!』
幼い魔獣は母親に駆け寄って、必死にゆする。
『おかーさん、おきて、ね、おきて』
母親から反応はない。
『ごめんなさい、わたし、かってにきちゃって、おこってる?』
『ね? おきて?』
母親にはすでに幼い魔獣を抱いていた時の体温は感じられない。
『おか‥‥さん』
幼い魔獣は、母親がもう二度と動かないことわかってきた。
母親をゆすった手を見ると、血がじっとりとついている。
『あ‥‥あ‥‥』
『うあ、あ、あぁ』
『うあぁぁぁぁん!』
幼い魔獣からおおつぶの涙がとめどなく溢れては落ちるを繰り返す。
その様子を静かに見ていた人間の女性は、着ていたローブを幼い魔獣にそっとかけた。
遠くから、何人もの人間の声が聞こえてきたが、何を言っているかはわからなかった。
女性も幼い魔獣に何か言ったが、それも理解することはできなかった。
女性は、空中に手で円を描くと周りの景色が歪んだ。
いつの間にか、幼い魔獣と人間の女性、そして魔獣の母親の亡骸は別の場所に移動していた。
何か話かけられようが、場所が変わろうが、幼い魔獣は泣き止むことはなかった。
日が沈んで、空が白むまで、ずっと幼い魔獣の悲しい叫びは続いた。
その間、人間の女性はずっと魔獣の傍らに居続けた。




