3-10 垣間見る
時は少し遡り、六限が終了すると同時。
仲間を避けるようにして体育館を出ていったエファを、レンはその目に捉えていた。
以前から彼女がレンを見て自分の力不足を感じていたのを彼は知っている。その上で、今日はレン以外の同年代相手に多人数で挑んで圧敗したのだ。思うところもあることだろう。
なにかしら声を掛けた方がいいだろうかと足を向けようとしたところで、その後を追うようにしてリュドミールが体育館から出ていった。
彼女はレンだけでなく、エファのことにも注目していたように思える。となれば、ここは任せてしまってもいいだろう。
問題は敗北したチームメンバーの二人だが。
「追わなくて良かったの?」
いつの間にか横に立っていたセシルが、そうレンに問う。
「こういう時はあなたが優しい言葉をかけてあげて、エファのことをさらにメロメロにしてあげるのが王道の展開じゃないかしら」
「いや、よくわからないけど……エファはきっと大丈夫さ。それよりセシルはなんともないのか?」
「手ひどくやられたけど、ルミナスさんがキャッチしてくれたおかげでなんとかね。リュドミールの方も手加減してくれてたみたいだし、派手に吹き飛ばされた割にはダメージは少ないわ」
などとさらりと言うが、やはり負けたことはそれなりに悔しかったらしい。表情にそれが出ている。
「世界は広いわね、レン。私ってこれでも結構強い方だと思ってたのよ?」
「それに間違いはないさ。セシルは十分に強いけど、キミの言う通り世界が広いのも確か。上には上がいるってやつだよ」
実際のところ、レアードは確かに世界中の有望な若者が集まるが、それでもいろいろな理由があって実力があっても入学しない者だっている。
総合成績第三位などという大層な肩書を持っているレンだが、彼の上には少なくとも二名、世界中を探し回れば決して少なくはない同年代の若者達が、レンを上回る力を持っていることだろう。
そういう意味では、レンもエファやセシルと同じだ。それを理解してほしかったからこそ、今回の模擬戦闘には参加しなかった。
「レンお兄様!」
と、話をしているとこちらに駆け寄ってくる姫君が一人。
アニエスタ共和国の皇女――レイフィア エルハルトである。
「ようやく自由時間ができましたわ。せっかくリンクライン島にまでやってきたというのに、自由に行動できず窮屈で仕方がありません」
「そこは耐えてくれ、フィア。リンクラインでキミにもしものことがあったら世界が荒れかねないんだ」
「はは、そういうこった。これでも融通利かせてる方なんですぜ、もう少し大人しくしてくだせぇや」
姫君の後ろからやってきたアルヴィンが、ぽんと銀色の髪の上に手を乗せる。
一国の姫君に対してなんとも無礼な振る舞いだが、それに怒る様子はまったくなく、ただフィアはぷくっと頬を膨らませる。
「わかっていますわ、これでも大人しくしている方なんです。それよりも、少しとはいえこうして自由時間ができたのです。せっかくですから有意義に過ごしませんと」
そう言って彼女が顔を向けたのは、レンではなくその隣にいたセシルだ。
「こうして面と向かって挨拶をするのは初めてですね。--レイフィア エルハルトです。気軽にフィアと呼んでくださいな」
「あらあら、一国の姫君にそんな気安い態度を取るなんて恐れ多いですわ。ですが、命令とあれば仕方ありません。フィア様とお呼びさせていただきます」
微妙に整わない敬語と、いつも通りの冗談めかしたセシルの口調に、フィアはくすくすと笑う。
「さすがはレンお兄様のご友人、面白い方ですね。それに小さくてずいぶんと可愛らしい……もしやお兄様、この方にも手を出しているとか?」
「いやいや、セシルとはただの友達――」
「ええ、それはもう。レンのテクニックには私もメロメロで……」
はいぃ? とレンが頬をひくつかせたのも束の間。
口元に手を当て、大げさにリアクションを取ったフィアは顔を青くして悲壮の表情を浮かべる。
「お兄様、私というものがありながらヒルデブランドのご令嬢だけでなくこんな合法ロリっ子にまで!」
「普通に冗談だから! セシルも面白がってないで止めてくれ!」
ぐっと迫るレイフィアを押しとどめるレン。
セシルはセシルで状況を愉しんでいるだけでまったく動こうとはしない。
非常に困ったと手をこまねいていると、レイフィアの後ろから彼女の頭に手を乗せる人物がいた。
「やれやれ、その辺にしてやってくだせぇよ姫さん。そっちの嬢ちゃんも、あんまり人の息子をいじめないでやってくれや」
「父さん」
レンの父――アルヴィン サイクスはにかっと笑う。なんとも豪胆な態度だが、それを皇女が咎める様子はない。
「わかっていますわ、おじさま。ちょっとからかっただけですから。もし事実だとしたら捨て置けない話ですけれど」
じとーっと、レイフィアは疑いの眼差しをレンへと向ける。
もちろんそんな事実はないので、レンは苦笑いで首を横に振った。
「まったく、あのメイドやヒルデブランドのご息女の方だけでも厄介ですのに、これ以上問題を増やされても困ります」
「あら、レンったらとっくの昔に正妻がいたのね。その上でエファにまで手を出すなんて、ダ・イ・タ・ン」
「エリアといいフィアといい、ないことを口走るのはやめてくれ……」
もはやからかいにまともに対応する元気すら奪われたレンは、がっくりと項垂れる。
そんな息子を見て、アルヴィンは豪快に笑った。
「がっはっは! ちったぁ成長したかと思ったが、そういうところは相変わらずみてぇだな、レン」
「ええ、本当に。お変わりないようで少し安心しましたわ。でも、最後に会った時よりも少したくましく見えますわね」
レンの全身を見て、率直な感想を言うレイフィア。
アルヴィンもその言葉に同意しているようで、微笑みを浮かべていた。そんな二人にレンは気恥ずかしくなり、目を逸らして頬を掻く。
「いい出会いがあったみてぇだな」
「父さんのおかげだ。最初は成り行きだったけど、今じゃレアードに来れて本当に良かったと思ってる」
親子の絆というものだろうか。
セシルは本当の親というものを知らないのでそれを物珍しそうに見ることしかできなかったが、なんとなく暖かい気分になる。
そんな彼女の前に、レイフィアが手を差し出してきた。
「改めまして、レイフィア エルハルトですわ。レンお兄様のご学友である貴女には、こうしてきちんと挨拶しておきたかったのです」
呆気に取られたまま、セシルはおそるおそる手を出して握手を結ぶ。
ぎゅっと両者の手が交わったことで、レイフィアがにこりと笑った。
「ところで貴女、少し鼻が利くようですね」
ぞっと、何故かセシルは悪寒を感じた。
目の前の皇女は確かに笑顔だ。だが、威圧感というか、何か圧迫感のようなものが彼女から発せられているような気がして。
「これは忠告。あまりレン様の臭いを嗅ぎすぎると、危険ですよ」
笑顔のまま、レイフィアがすっと手を離す。
踵を返してレン達の方へと帰っていく彼女の後姿を見て、半分放心状態のままセシルは握手を結んでいた手の平に視線を移す。
握手する前にはなかったはずの、じっとりとこびりついた汗。その理由を確かめるようにしてセシルはもう一度皇女に目を向けるが、そこにいたのは年相応の――というには少し変わっているが――少女がいるだけ。
先程の言葉と圧迫感のようなものは何だったのだろうか、と考えていたセシルに声がかかる。
「そういやぁ、さっきの試合は見事だったぜ嬢ちゃん」
顎髭をさすりながらアルヴィンがセシルを褒める。
少し茫然としていたセシルは自分が呼ばれたことに反応すると、焦りを隠すようにして返事をする。
「え、ええ、そうだったでしょうか」
「今回はA級のリュドミールさんが相手だったから仕方なかったものの、連携は取れていたように思えますわ」
「そうだな、特に中距離支援がメインの嬢ちゃんは立ち回りも複雑だったろ。それをうまくこなしてたってのは、学生にしちゃ大したもんだ」
「恐縮です。ま、次にやった時はもう少しうまく立ち回るつもりではありますけど」
悔しさを糧に、セシルはまだ強くなるつもりでいる。
これまで目標のなかった彼女にとって、これはいい傾向だ。レアードに入って変わったのは、何も自分だけではないのだとレンは改めて感じていた。
「同じように模擬戦に参加した二人にも賛辞を贈りたいのですが、一体どこにいったのでしょうか」
「ああ、エファなら外ですよ。リュドミールさんも一緒です」
セシルの言葉を聞いて、二人は納得したような顔をした。
「となるともう一人の――なんだったっけ?」
「ケイス・ラースヘル。入学時総合成績15位のブレードライフル使いですね。彼はいったいどこに?」
その問いに、答えを持ち合わせている者はいなかった。
ぐるりと周囲を見回してみても、彼の姿は見当たらない。
いつもなら授業が終わると同時にレン達に合流してくるはずなのだが、そういえば今日はそれがない。
「おかしいな。俺、ちょっと探してくる」
「そう、なら私はここで皇女殿下たちと親睦を深めさせてもらうわ」
そういうことなら、とレンはセシルに手を上げてから体育館の出口に向けて走り出す。
あのケイスに限って、敗北したからといってそこまで落ち込んでいるということもないだろうが、いつも通りでないことに対する疑問はある。
高いところから探した方が良いかと思い、体育館から二階の外回廊に出ると、周囲を見渡すよりも先に話し声が聞こえてきた。
どうやら右側の角を曲がった先に、誰かがいるらしい。
生徒がこの外回廊を使うことは珍しく、普段ならば人はいないはずなのだが、とそちらに歩を進めてみると、知った声が聞こえてきた。
「ほんっと驚いたぜ、まさかお前が直々に来るなんて思いもしてなかったからよぉ」
ケイスだ。
探していた相手が簡単に見つかって、レンは角を曲がろうとする。
そこで聞こえてきた声に、思わず足を止めた。
「許してくださいまし、悪気があったわけではないんですの」
これも聞き覚えのある声。
間違いない、帝国皇女のアイレミア・フォン・クリミアレイスだ。
気配を探ってみるが、角の向こうには二人しかいない。レアード学園内は確かに安全だが、それでも立場を考えれば不用心が過ぎる。
なにより、なぜ帝国皇女であるアイレミアがケイスと二人きりでいるのか。
好奇心に負け、レンは気配を消して角に潜む。
そうして意識を角の向こうへと集中させると、続く話に耳を傾けた。
「まぁ、関係者が来るって話は聞いてたけどよぉ、アイラ、お前が直々に来る必要はなかっただろうが」
「かの名高き《冷愛皇女》が相手ですのよ。私以上の適任はいませんわ」
「ジェイドとかじゃダメだったのかよ」
「あの人は――」
何故か、そこで逡巡するような間が生まれる。
不思議に思わないでもなかったが、その理由をこちらが思考する前に二人は会話を再開した。
「……さすがに忙しいので頼むわけにもいきませんでしたわ」
「それもそうか。それにしても、マジで久しぶりだな」
「ええ、こうして普通に会うのは五年ぶりでしたわね」
思わず声が漏れそうになるほどレンは驚いた。
よもや帝国平民であるはずのケイスが、帝国の皇女と顔見知りであったとは。それも、少なくとも五年以上前からの仲ということだ。
貴族であるレンやエファであれば皇族と知り合う機会はそれなりにある。だが、平民ともなると触れ合う機会はそうないはずだ。いったいどこでどうやって知り合ったというのか。
気になるところではあるが、これ以上の盗み聞きは過去を探るようでどうも気が乗らない。
気配を消すために込めていた力を一気に抜くと、レンは角から一歩を踏み出す。
「こんなところにいたのか、ケイス」
「うおっ! レンじゃねぇか。なんでこんなところに」
姿を現すと、ケイスが大げさにリアクションを取った。
まったく関係がなかったはずの二人の密会現場を発見されてしまったのだ。そうなるのも無理はない。
「アイレミア皇女殿下、これまで碌な挨拶もできず申し訳ありません。俺は――」
「レアード学園一年A組所属、入学時学年総合成績第三位のレン サイクスさん、ですわね。お噂はかねがね聞いていますわ」
まるで品定めでもするかのようにレンを見つめるアイレミア。
少し居心地が悪くなるが、それだけで済む話ではなかった。
「それとも、別の肩書がおありでしょうか? 共和国の諜報員――とか」
なんともド直球な質問だ、とレンは少したじろいだ。
そろそろどこかの国家が自分について嗅ぎまわり始めている頃だろうとは思っていたが、こうも真正面からそのことを追及されるとどう返していいものかわからない。
様子を見るに、ほぼ情報は持ち合わせていなさそうだが。
「やめとけよ、アイラ。こいつのことはあんま探らねぇでおいてやってくれ」
「そういうわけにもいきませんわ。この方は帝国と共和国の関係において重要な役割を担っているお方。それを知らないでいるというのは、少々こちらの分が悪くなってしまいます」
なるほど、確かにエファに比べてレンの素性というものはあまりにも秘匿事項が多すぎる。
もっともそのような疑問を抱かせるような原因を作ったのはレンだが、そこはいろいろな事情が深く絡んでいるのだから仕方がない。
つまりは、帝国側はレンとエファの条件を対等にしたいのだ。そうすることによって今回の会談は対等な立場で行うことができるのだと。
実感はないが、今回の帝国・共和国間の会談においてレンとエファは当事者なのだ。共和国と帝国を結ぶ絆になる可能性を持った、重要な役割を担う二人であるという事実を、ここにきて改めて突きつけられる。
国家間の問題ともなれば、個人の秘密など些細な問題に過ぎない。それを隠すことによって後々両国の間に罅が入ろうものなら、レンのしていることは祖国に対する立派な裏切りだ。
それを踏まえた上で、レンは首を横に振った。
「殿下のお言葉はごもっともですが、少し疑りが深すぎるかと。俺は共和国の諜報機関なんかには所属してませんよ。今の俺の共和国における立場は、共和国貴族サイクス家長男、レン サイクス。それ以上でも以下でもありません」
嘘偽りのない事実だけを簡潔に述べると、アイレミアは少しだけ不服そうな顔をした。
しかし、彼女の口から次の言葉が出てくる前にケイスが間に入る。
「そこまでだ、アイラ。これ以上はやめとけって」
割り込んできたケイスに最初は不満の目を向けていたアイラだったが、彼の顔を見て何を思ったのか、大人しく引き下がった。
なんとかなったのはいいが、一度話の流れを変えた方がいいだろう。そう思い至ったレンは、とりあえず先程からずっと頭の中にあった疑問を切り出した。
「ところで、二人はどういう関係なんだ? あんまり接点はないように思えるが」
「ん、ああ、俺らか。いやまぁなんつーか……」
「うふふ、ただならぬ関係といったところでしょうか」
アイレミアが意味深な発言をして、レンは呆気に取られる。その間に彼女はレンの脇を抜け、それではごきげんようと言い残して体育館の方へと戻っていった。
どういうことなんだ、とケイスの方に目を向けると、彼はあからさまに面倒臭そうな顔をしていた。
察するに、アイレミアなりのいじわるといったところだろうか。
「うちのフィアもそうなんだが、皇女殿下っていうのはみんなああいうものなのか?」
「そういうわけでもねぇよ、あいつとお前んとこのが変わってるだけだ」
それもそうだろう。逆にそうでないと、世界中の皇女がああいう風であったなら国民もたまったものではない。
「で、結局アイレミア殿下とはどういう関係なんだ?」
皇女殿下の方にははぐらかされてしまったので、改めてケイスの方に訊ねてみる。
すると彼は珍しく真剣な顔をして、
「まぁ、ちょっとした因縁の相手ってとこだ」
昨日レンが言った内容とまったく同じ言葉を口にした。




