3-9 劣等感と疑惑
六限が終了し、自由時間となった。
普段ならここでレン達四人が集まる流れだが、エファはどうも気分にはなれず、無言で生徒達の集団を抜けていく。
体育館を出て、外回廊の階段を下って体育館裏へ。
授業で使っていた第二体育館裏は校舎からも遠く、この時間帯は静かだ。六月という時期のせいもあって、外気はそれなりに暑い。ただしここは大きな日陰になっているおかげで日向よりはかなり涼しく、なにより人が来ないということもあって、気持ちを落ち着けるのに最適な場所だった。
世界が広いことくらいエファにもわかっている。
母であるルミナスや共和国最強の剣士でアルヴィン、担当教師であるエイゼルもそうだし、昨夜共闘したミレイ=ナ=クローデンも格上。
自分より上の存在はまだまだたくさんいて、自分がまだまだ未熟だということも理解している。
わかっていても、納得できるかどうかはまた別の問題だ。特に同年代でレンやリュドミールといった化け物じみた力を持つ者達を目にすると、それが顕著になる。
エファは天才だ。それは間違いない。
親から受け継いだ天性の肉体に、才覚。それを開花させるために必死で励んだ修行。
だというのに、どうしてここまで差が生まれるのか。何が彼らをここまで強くしているのか。
焦燥がエファの頭を蝕み、苛立ちが込み上げてくる。
強くなりたい。彼らのように。
純粋な願いが浮かんできて、ふとエファは考えた。
何が自分をここまで焦らせているのだろうかと。
「ヒルデブランドさん」
思考の海に沈みそうになったところで、それを引き留めるように声が掛けられる。
エファを呼んだのは、まさに今彼女の心を締め付けている原因の一つであるリュドミールだった。
「何の用かしら、見ての通り誰かと話したい気分じゃないんだけど」
「でありましょうね。あのレン サイクスですら気を遣っていたようでありましたから」
言いながら、リュドミールはエファの隣に並んで後ろ手を壁に付け、体重を預けた。
「先程の試合は見事でありました。正直、あなたの剣がここまでのものだとは想定もしていなかったであります」
予想だにしなかった称賛の言葉がリュドミールの口から出たことで、エファは呆気に取られる。
「何を言ってるの。私はあなた相手に手も足も出なかったのよ」
「当然であります、今のあなたは力量不足。同年代の中では確かに大きな力を持っている方でありますが、何をするにもまだまだ未熟」
えらく上から目線な物言いだが、負けた側のエファからすれば何も言い返すことはできない。
なにより、そんなことはエファ自身が嫌というほど思い知っている。
「ですが、あなたがこれ以上ない才能を持っているのも事実であります」
「……どういう意味よ」
「あなたの剣はさらなる高みに達するであろうということであります」
それは、そうだろう。
エファはまだ十代も半ば。その段階でヒルデブランドの剣術は並の大人がつけるであろう以上の腕前を身につけている。
このまま成長を続ければ、剣術の腕前もそれに比例する。
ただ、リュドミールの言いたいことはそういったことではないようだ。
「先程の様子から察するに、あなたは今の非力さを嘆いているようでありますね。私やレン サイクスのような力を持つ者と比べて、自分の力が圧倒的に劣っていることに」
何も言うことができず、黙り込む。
つまりは図星。
エファはいま大きな劣等感を抱えている。レンやリュドミールの力を羨ましいと感じるほどに。
「そう悲観したものではないのでありますよ」
言われて、エファは顔を上げる。
「どうしてそこまで言い切れるのよ」
「単純な話であります。あなたには才能がある。そして、私やレン サイクスにも同じものがあった。であれば、私達とあなたとで何が違うと思うでありますか?」
その問いに、エファはつい先程も同じような話をしたなと思い出す。
「……経験」
「その通りであります。あなたは私達と比べて圧倒的に実戦経験が少ない。実戦というものは運でしか巡り合えないものでありますが……それについては問題ないでありましょう」
「どういうこと?」
「この激動の時代において、レアード学園のA組という特殊な環境下にあれば、嫌でも実戦を経験することになるでありますよ。実際、この二ヵ月でいくつか経験しているでありましょう」
入学してからすぐに起きたニュービーキラー事件。一ヵ月前のネームレス襲撃事件。確かにエファはこの学園に入学してからいくつかの実戦に出会っている。
だが、どうもリュドミールの言い分では、この先もそれに巡り合うであろうと言っているかのよう。
「それともう一つ、強くなるために必要なものがあなたにはまだないのであります」
すっ、と壁から体を離し、じっと正面からエファを見据えるリュドミール。
そして、彼女は間を置いてから重い何かを吐き出すかのように告げた。
「それは、理由であります」
「理由……?」
「あなたは、何のために強さを求めるでありますか?」
強さを求める理由。
そんなものは考えたこともなかった。幼少期からヒルデブランドの後継者として育てられ、当然のように強くなって、上を目指すことが当たり前で。
であればヒルデブランドの剣を極めることが強さを求める理由かと問われれば、それは違う。
きっとリュドミールが問いたいのはそういうことではない。
たとえばレンは、大切な誰かを守る力を身につけるためにこのレアードにやってきたのだと言っていた。明確ではないが、彼にとって強さを求める理由はそれだ。
確固たる信念とも言うべきそれを、エファは持ち合わせているか。そう考えてみて、何も思いつかないことに気が付く。
「私、は……」
「別に大した理由である必要はないでありますよ。ただ、それを心に強く誓って、明確な覚悟を持つこと。それが重要なのであります」
覚悟が人を強くする、とは古くからどこかしらで言われてきたことだ。似たような言葉を誰もが耳にしたことがあるだろう。
だからといって、誰もがその覚悟ができるわけではない。それは自分で作るものではなく、自然と構築されていくもの。
そして大切なのは、それに気付くことができるかどうか。たとえ心の中にあったとしても、自覚がなければ覚悟が持てない。
「焦る必要はないであります。あなたならばきっと、近いうちにそれができるでしょう」
リュドミールが右手を差し出す。
その手が求めているのは握手だ。意図が見えずリュドミールの顔を見ると、いつもは無表情の彼女が少しだけ破顔している。
「リオ、と呼んでください。あなたのその真っ直ぐな剣に敬意を感じたのであります。ですので、できれば友達になってくれると嬉しいのであります」
意外な申し出だったが、エファもこの少女の強さに敬意を感じている。それに、彼女は頭をかき乱す悩みの波を宥めてくれた。それに対する感謝の念も。
想いは同じ。であれば、それを断る理由もない。
「エファいいわ。こちらこそよろしく、リオ」
傾いてきた陽が少しだけ影を傾け、二人を照らす。
その中で数秒間だけ握手を交わして、やがて手を離す。
話が終わったというかのように立ち去ろうとしたリュドミール――リオだったが、建物の角を曲がる寸前でその歩みを止めた。
「……これは言おうかどうか迷ったのですが、友人として、一つ忠告させてほしいのであります」
「何かしら?」
「あなたが剣の強さを追い求めるのであれば、これ以上レン サイクスに関わらない方がいいのであります」
真剣な言葉に、エファは瞠目する。
「どういう、意味?」
「あなたの剣は真っ直ぐであります。それはきっと曲げる必要がないもの。ですが、レン サイクスと行動を共にしていれば、あるいは――」
その真っ直ぐな剣が、曲がる可能性がある。
どうして、と言葉にする必要はなかった。言わずとも瞳が、表情が、態度が、リオにそれを訊ねている。
それを汲んだリオが、表情を曇らせて言葉を続けた。
「レン サイクスは闇の世界の住人であります。それも、セシル・A・ネームレスなど目ではないほど、どっぷりとその世界に身を浸した人間」
以前、エファはセシルから聞いたことがある。
セシルはネームレス盗賊団だった時代に、殺人などの罪を犯したことがある。つまり、今は足を洗っているとはいえ本質的に自分は闇の世界の住人であると。
それと同じ臭いがレンからもしたのだという。それも、かなり強烈に。
話だけは聞いていた。だが、それがどうしたとも思っていた。
確かにセシルはネームレス盗賊団の時代にたくさんの罪を犯したかもしれない。それを許せないと思っていた頃もあったが、それでも彼女とは友人になれた。
それはエファが大事なのは過去ではなく、その過去を経た今にあると考えたからだ。今のセシルは罪ある過去を悔い、真っ直ぐに生きようとしていて、たとえその本質が闇の住人であったのだとしても、今のセシルとは仲良くできると思ったから、関係性を築くことができた。
だからセシルの話を聞いた後でも、レンに対して偏見を持つようなことはなかった。
困っている人を放っておけず、入学して早々厄介な事件の中心にいた少女を救い出し、その一ヵ月後には過去に闇を抱えた少女を今へと引き戻す手助けをした。
たとえ彼の隠している過去を知っていても、今のレンが闇に染まった存在などと誰が言えるだろうか。
「レンは、そんな人じゃないわ」
絞り出すように、そう言い返すエファ。
だからこそ見抜かれる。
「どうやら、心当たりがあるようでありますね」
はっとして、いつしか握りしめていた拳から力が抜ける。
心当たり。そんなことを言われてしまえば、自然と頭に浮かんでしまう。
二ヵ月前、エファとリーナを救ったあの夜に、レンはエファに切っ先を向け、殺気を放っていた。
一ヵ月前、グリッドを撃破した直後の彼の様子は、まるで鬼のようであったこと。
レンが太刀を右手で使った時、彼は別人のようになる。それは強さだけの話だけではなく、雰囲気もだ。いつもの温厚で優しいレンからも想像もつかない、冷たい血を彷彿とさせる目。
そして、レンがそのことについて一切語らないこと。彼の過去が未だ不明であること。
果たして、それでレンのことを信頼しろと言われて、本当に心の底から信頼できるのか。
表面上ではエファはレンのことを友人だと思っているし、戦いにおいては信頼して背中を預けることもあった。
だが、心のどこかで彼を疑う自分がいるのも事実だ。それほどまでに彼には謎が多すぎる。
リオは客観的に見て、そんなレンが危うい存在であると示唆した。
それを決して間違いではないと、エファの中に否定しきれない自分がいる。あるいは、そう指摘された後ではそれが正しいのではないかと少しずつ考え始めてしまっている自分が。
「あくまで可能性の話であります」
混乱するエファに、リオはそれを和らげるように言う。
「まだそうと決まったわけではないのでありますが、もしも確実に境地へ至りたいというのであれば、レン サイクスの存在はあなたにとって障害になり得るかもしれない。だから、万全を期すのであれば――」
これ以上は関わらない方がいい。
だからこれはあくまで忠告。
理屈はわかる。レンの危うさについても納得がいく。それに付き合う必要性はまったくないのだとリオが言いたいのも理解できる。
それでも、エファは――。
「少し意地の悪いことを言いました。ですが、少し考えた方がいいのは事実でありますよ」
これは、レン サイクスの危険性に気付いた者からのアドバイスだと、そう言い残してリオは去る。
残されたエファは、冷え切った体育館の壁に近づいて、リオがしていたようにその背を壁に預けた。
そうして空を見上げてみると、そこには多くの分厚い雲が青空を支配しようと蠢いていた。
明日は雨だろうか。梅雨時であるこの季節ならばあり得る話だ。などとどうでもいいことを考えて、それでも一つの考えを消すことができないでいた。
――レン、あなたはいったい何者なの?
天を仰ぎ見て、問いを空に投げかける。
陽に向けて放たれたそれは、やがて風に流されやってきた雲に遮られるようにして、眩い光に照らされることはなかった。




