3-7 滞在期間一日目――レアード学園にて(2)
レイフィアとアイレミアがレアード学園に到着したのは五限も半分に差し掛かろうという頃で、そのあと生徒の混乱を落ち着かせるために数分。授業が再開されたのはその後のことだ。
そのせいもあって、五限の講習はそれほど時間を取ることができないまま、終わりのチャイムが鳴った。
ここからは10分ほど休憩を取った後、実践の六限に移る。
というわけで休憩時間、各々好きな場所に散った生徒達。
しかしレン達はそういうわけにはいかない。なにせ両皇女の護衛が任務である彼らにとって、姫達は決して無視できる存在ではないからだ。
もっとも、彼らが足を延ばす前に近づいてきたのは姫君たちの方であったが。
「お疲れ様です、レンお兄様。今日はその御姿を拝謁しに参りましたわ」
「それは構わないけど、せめて一報をくれ。本当に驚いたんだぞ」
「申し訳ございません。ですが私、レン様の驚く顔を見るのが趣味の一つでして」
「まったく、相変わらずだな。それよりもフィア、キミは明日行われる帝国との会議のために来島したんだろう。こんなところで油を売っていていいのか?」
「確かに私が来島した一番の理由は帝国との会議のためですが、視察も皇族としての立派な職務です。レアード学園に来たのは完全に私の趣味ですが、きちんと護衛もついていますので何の問題もありません」
「父さんも来ているしその点はあまり心配していないけど……あんまり羽目を外し過ぎないでくれよ」
「わかっています。もう、レンお兄様は心配性なんですから!」
何のてらいもなくまるで友人同士のように話をする二人。
確かにレンは共和国の大貴族の長男だが、だからといって皇族への敬意を忘れていいものではない。むしろ貴族であるが故に皇族には敬意を払わなければならないものだ。
ということはつまり、レンとレイフィアの間には何か特別な関係性があることは明白で、それはレンの隠し事の一つでもある。
――昔からの、ちょっとした因縁の相手さ。
ケイスがレンにレイフィアとの関係を聞いた時、レンはそう答えた。
昔馴染み、というには少し重すぎる物言い。
しかし、レンはそれ以上は語ってくれなかった。つまりそれは、レン自身が語りたくないと思っているのか、あるいは語れないのかのどちらかだ。
どちらにせよ、エファとしてはそれがおもしろくなかった。
認めたくはないが、エファはレン サイクスという剣士をかなり評価している。
そのレンのことを友人として大切に想う気持ちもあるし、同時に言葉に表せない、抽象的に表現するのであれば好意と呼べるような感情を持っていた(それが恋愛感情であるかどうかはまた別の話になる)。
故にこそレンの傍にいたいと思うし、同時にレンのことを知りたい――あるいは力になりたいという考えを持っている。
だというのに、エファはレンのことを何も知らない。
いや、知っていることはいろいろある。だが、知れば知るほどレンのことを何も知らないという無力感が苛むのだ。
そのレンのことをよく知っている風であるエリアや、妙に親しげなレイフィアのことを羨望の眼差しで見つめるのは、何も不自然なことではなかった。
「エーファちゃんっ!」
むぎゅう、と背後から柔らかい衝撃がエファを襲う。
よく知る声に、よく知る香り。そしてよく知る安心感――はとにかく、こんなことをするのは彼女が知る限り一人しかいない。
「なんだ来てたのね、お母様」
「もー、エファちゃん冷たい。お母さん悲しくなっちゃうな」
残念そうな声でエファから離れると、現ヒルデブランド流当主はしょんぼりとした表情を浮かべていた。
このぽわぽわとして抜けた雰囲気の女性が世界三大剣術の一角であるヒルデブランド流の当主であると言われたところで、信じられる者はそう多くないだろう。実際、あのレンですら最初は疑ったくらいだ。
「と、こ、ろ、でぇ、そんなにレン君のことを熱心に見つめちゃって、もーエファちゃんってばぞっこんね!」
「だ、だから違うってば!」
「何も違いませんよ、エファはもうレンにメロメロの骨抜きにされてます。それはもう心の芯まで」
などと余計な口を挟んできたのはセシルである。
「あらぁ、あなたは?」
「セシル・A・ネームレスです。エファさんとは友人としていつもよくしてもらっています」
「そうだったのねぇ、可愛らしいお友達だわぁ。でも、ここまで可愛らしいとレン君を取られちゃいそうで心配ね」
「問題ありません、私は二人の仲を応援する立場ですから」
「だったら心配ないわね! セシルちゃん、一緒に頑張りましょうね!」
「はい、お母様」
一瞬にして奇妙な同盟ができあがってしまった。
してやったりとブイサインを送るセシルに、エファはげんなりとする。
「まったく、相変わらず仲の良い家族ですわね、あなた方は」
そこへ近寄ってきたのは、帝国皇女であるアイレミアだ。
「こ、これはアイレミア殿下」
「どうか畏まらないでくださいまし、エファ。あなたとは同じ歳ですし、わたくしは友人として接していきたいと思っていますの」
「そうよぉ、皇族だからってそんなに遠慮する必要ないのよ」
いや、貴族としてそれはどうなんだとエファは心の中で突っ込む。
確かに目の前で他国の皇族と貴族が仲良くしている様を見ているが、それはそれ。
帝国にとって皇族とは力の象徴であり絶対の存在だ。それをぞんざいに扱っていいわけはない。他国の者からすると実感が持ちにくいかもしれないが、帝国民はそう教わって育つために皇族の大きさというものが心に刻み込まれている。
奔放な母を家主に持つヒルデブランド家で育ったエファだが、周囲の環境に影響されて帝国民としての意識は持っている。故に皇族たっての願いとはいえ、簡単に馴れ馴れしくすることはできない。
「申し訳ございません、殿下。貴族の長女たる私が皇族の方に砕けた態度を取ってしまえば、帝国民に示しがつきませんので」
「ふぅ、レアードに入学してずいぶん雰囲気が変わったと思っておりましたけど、固いところは相変わらずですのね。構いませんわ、ですがせめてわたくしのことは『アイラ』と呼んでくれませんこと?」
それはアイレミアと親しい者が呼ぶ時に使う、彼女の愛称だった。彼女に遠慮のないルミナスもその愛称を使っている。
愛称を使うというのはなかなかに馴れ馴れしい気がするが、皇族たっての願いをこれ以上断るのも気が引ける。
しばし考えた末、エファは諦めたように肩を落とした。
「かしこまりました、アイラ殿下。ですが態度を改めることはございませんので」
「ふふ、まぁ及第点といたしましょう」
少し不服そうだったが、笑顔で納得するアイラ。
エファも皇女の砕けた雰囲気に多少は打ち解けることはできている。畏まる姿勢を正すことはできないが、これならばと気になっていた話を振ることにした。
「それよりも、どうしてアイラ殿下がレアード学園に?」
「レアード学園はリンクライン島の要所ですわ。視察に訪れるのは何も不思議なことではありません」
きっぱりと言い切るアイラ。
「それに、わたくし自身が気になっている人物が数名いましたから」
視線をエファに固定したままアイラは意味深な笑みを浮かべる。
気になる人物といえば、やはりいま最も注目されているレンあたりだろうか。数名ということは複数いるということで、その中には確実にレンも入っていそうだが。
「ところで、そちらの貴女」
と、次にアイラの興味が移ったのはセシルである。
「聞けばネームレスの出であるとか」
「そうですが、何か」
「他国の問題であるとはいえ、ネームレスは世界的にも一つの教訓として語り継がれるものであると考えております。特に、一ヵ月前の事件は非常に残念でしたわね」
残念というのは、つまりグリッドの死に関して。
グリッドのしたことは立派な犯罪だ。しかし、その死に納得していない者もいる。ネームレスという問題に対して、もっと深く考えるべきだったと。
悼むようにしてアイラは目を伏せる。
彼女のその振る舞いは国だけでなく、世界を考えたもの。ネームレスという悲劇と真っ向から向き合っている、上に立つ者の責任を踏まえた意思。
そこに皇の姿を見出したのは、エファだけではなかった。セシルもまた、そこに正しき為政者の姿を見ていた。
「ありがとうございます。本当に、嬉しいです」
いつもふざけた雰囲気を出すセシルですら、アイラに敬意を示していた。
帝国の皇女という肩書は名ばかりのものではない。それを思い知った瞬間だ。
「聞けば、その若さでかなりの苦難を乗り越えてこられたそうですわね。今年度のレアード新入生の中でも第八位だとか」
「ええ、まぁ」
「なるほど、でしたら一つ教えてくださいまし」
いつになく、アイラが真剣な顔をする。
その視線の先にあったのは、年若い皇族と困ったように話している一人の少年の姿。読めない無表情を称えて、アイラは問う。
「レン サイクス。あなたの目から見て、彼は危険ですか?」
唐突な質問の意図を、セシルとエファは理解できなかった。
確かにレンに注目すべきものがあるのはわかる。あるいは帝国の皇女が興味を持つのも仕方のない話だろう。
しかし「危険」とはどういうことだろうか。
「あの、それはいったいどういう――」
「よーっす、エファ、セシル」
場違いな掛け声と共にそこに乗り込んできたのは、呑気な顔をしたケイスだった。
明らかに空気の読めない出没の仕方に、思わずエファが頭を抱えた。
「ケイス、あんたねぇ。皇女殿下の前よ。もう少し態度を改めなさい」
「つっても俺って平民だし、皇女って言われてもイマイチ実感わかねーんだよなぁ。すんません、俺、粗野な下町育ちなもんでして」
そんなケイスの態度に、最初は呆気に取られていたアイラは、やがてくすくすと笑いだす。
「いいえ、構いませんわ。あなたも帝国臣民なのでしたね。平民でありながらレアードの栄えあるA組に入れたその力量、皇族として誇りに思います」
「お? いやー、なんつーか照れるな。ありがとうございますってか?」
なははーといつものようにおちゃらけた態度で笑うケイスに、エファも呆れ返る他ない。セシルはそれを愉しそうに観察している。
自然といつものやりとりを行っていた彼らを見て、アイラがまた笑う。
「どうやら、良い友人を持ったようですわね、エファ。羨ましい限りですわ」
「これを良い友人と言ってしまっていいものかはわかりませんけどね」
言っていて、エファは思った。
心にもないことを。つくづく自分は素直じゃないな、と。




